第六百七十九話 翠玉の瞳に映る空(その八)
狼煙。
街から上がる狼煙。
それを見ていた甚平さんは、少しだけ考える仕草をした後、すぐに俺たちのほうへと振り向いた。
「アンタたちに、頼みがある。少しの間でいい、坊のことを、預かっていてくれないか」
どうやら彼は、単独で街へ向かう決意をしたようである。
それはこの少年を、この場へと残していくという選択でもある。
「ケーン!?」
「大丈夫だ、坊。俺の目を信じろ。この連中は俺より強いだろうし、何より悪党には見えねぇ。危険な場所に坊を連れて行くことが出来ねぇ以上、この場に留まって貰うのが最善だ」
「イヤだ! わ……俺も戻る! 皆を見捨てられない!」
「ダメだ、坊。お前が一緒に来ても、足手まといにしかならねぇ」
甚平さんはピシャリと云い切り、再びこちらを向く。
「初対面の人間に頼むこっちゃないのは、重々承知している。だが、状況は今云った通りだ。すぐに迎えに来るから、坊も一緒にいさせてやって欲しい」
ケーン氏の言葉に、ハイエルフのふたりは顔を見合わせた。
向こうに聞こえないくらいの小声で、こんなふうに話し合う。
「――ヤンティーネさんは、どう考えますか?」
「クレーンプット家の皆様の警護と帰還を考えるのであれば、断ることが最善ではあるでしょうが……」
ティーネの云う『帰還』とは、もちろん『門』を通っての移動のことだ。
第三者がいれば、万が一の時に、そちらへ向かうということが出来なくなるという判断なのだろう。
『門』は完全なるオーバーテクノロジーだ。
そんなものがこの近くにあると知られれば、絶対にそれを巡って諍いが起きる。
少なくとも、街の管理下に置かれるのは必然となるであろう。
では、素直にアーチエルフの存在と『門』の起動方法、そしてそれによる移動が可能であることを明かすのか?
それは出来ない。
そんなことをすれば、間違いなくエルフ族が人間たちに目を付けられることになる。
そしてことあるごとに、『門』の使用権や所有権をよこせという話になっていくだろう。
だからそれらは、絶対に隠し通さねばならないことだ。
では、甚平さんの頼みを一刀両断にするのか?
それを即断できる程、このふたりは非情でもなければ、薄情でもない。
加えてそこいらの賊徒くらいならば、十や二十いても問題のない程の戦闘能力も持っている。
つまり、ここでこの少年を見ていることを引き受けても、さほどのリスクは負わないだろうという見通しもあるのだろう。
ヤンティーネの言葉。「断ることが最善ではあるでしょうが……」には、その辺の事情が滲んでいるものと思われる。
「――良いんじゃないかしら?」
状況に一石を投じたのは、母さんだった。
母は、柔らかい瞳で少年を見つめている。
この人も大概な子ども好きだからね。
セロの託児所なんかでも、喜んでお世話を手伝っていたし。
マイマザーは云う。
「セ……こほん、私の故郷でも襲撃の狼煙を見たことはありますけど、あれってたぶん、そこまで切羽詰まったタイプの知らせ方じゃないですよね?」
母さんは自分の経験則から、あの狼煙をそう判断したらしい。甚平さんに、そのように尋ねる。
彼は、すぐに頷いた。
「ああ。あれは、あくまで襲撃を知らせるものであって、『本当にヤバい』ときの合図じゃァねぇ。ただ、それは警戒をしなくて良いってわけじゃねぇからな。敵が予想外に強いかもしれないし、数が多いかもしれない。というよりも、あの教会の坊主からの、ありがたい『ご忠告』を考えれば、警戒をしないという選択肢は、寧ろ無いとすら云える。だから、ここに坊を置いておきたいんだ」
彼の言葉に、ハイエルフズは顔を見合わせた。
再び小声で、何事かを語り出す。
今度はさっきよりも、ちいさな声だ。
傍に居る俺でも、聞き取れない。
やがてヤンティーネは、生真面目な表情で甚平さんに告げた。
「我々の守護対象である彼女が『良い』と云っているので、引き受けても構いません」
「お、そいつは助か――」
「ですが」
ピシャリと、ハイエルフの女騎士はケーン氏の言葉を遮る。
「それはあくまでも、こちらのご家族を十全に守ることが出来る範囲において、です。誤魔化しはしたくありませんのでハッキリと云いますが、そちらのお子様とこちらのご家族。天秤に掛けるならば、躊躇することはない、とだけ申し上げておきます」
それはある意味で、非情とも云える宣言だった。
けれども甚平さんは、笑いながら頷いた。
「――ああ、アンタら、本当に良い奴らなんだな」
彼はポンポンと、少年の頭に掌を乗せた。
「坊。こいつらは、底抜けの善人だ。一緒にいろ」
「でも……」
「大丈夫だ。お前も、街の様子もな。坊は気にせず、そっちのガキンチョどもに遊んで貰え。――坊、友だち少ないだろう?」
「な……っ!?」
虚を突かれ、顔を真っ赤にする男の子。
ケーン氏は、その瞬間に笑顔で手を振って、駆け出していた。
「すぐに迎えに来る。あまり難しく考えるな。坊はそこで、楽しく笑っていろ!」
彼の足は速い。あっという間に姿が見えなくなった。
言葉とは裏腹に、急いでいたのだろうか。
「人間にしては、気持ちの良い人物ですね」
ハイエルフの女騎士は、生真面目な表情のままで呟いた。
※※※
「……ロフ」
というのが、少年の名乗りだった。
目を伏せ、バツが悪そうに名前だけを口にした。
「じゃあ、ロフちゃんね!」
マイマザーは、パンと掌を打ち鳴らす。
せめて『くん付け』で呼んであげればよかろうに。
彼が居心地悪そうなのは――ある意味では当然か。
先程まで敵意剥き出しだったし、それをぶつけてきていたのだし。
これがダメエルフのミィスあたりだったら、あっさりと「じゃあ、よろしくお願いしますね」とか云って悪びれもしないのだろうが、この少年は彼女と違って、『恥を知る』という常識が備わっているようである。
ロフ少年は、チラリと俺に抱きつくフィーを見た。
うちの妹様と一番衝突したのだから、気にするのは当然か。
けれども、俺も。
そして母さんも、実はその辺のことは心配していない。
理由は簡単で、フィーは良い子だから。
ちょっとくらいのわだかまりならば、水に流してくれるはずなのである。
「ほら、フィー。ロフくんと、一緒に遊んで貰おう?」
「……みゅぅぅ……」
まだちょっと警戒してる感じ?
それを真似して、マリモちゃんも俺にピトッと抱きつい来て、陰から彼を見ているようだ。
「あぶ……っ」
とか云っているけど、別に険しい表情はしていない。
或いは、失敗している。
するとコミュ強の母さんがズズイッと前へ出てきて、少しかがんでロフと目線を合わせる。
「うふふ~……っ。改めて、こんにちは。私はリュシカ。この子たちの、お母さんをしています」
「……お母、さん」
男の子は、少し寂しそうに呟いた。
そういやさっき甚平さんが、この子のお母さんはもう亡くなっているって云っていたか。
母さんは、一瞬だけ目を細めて、それから柔らかく頷いた。
「ええ。この子たちの、お母さん。ロフちゃんには、お父さんがいるんでしょう?」
「え、う、うん……」
うちと逆だな、と云ったら、母さんは悲しむだろうか?
でもぶっちゃけ、俺たちとステファヌス氏は交流が全くないからなァ……。
マイマザーは俺たちの後ろに回って、そっと前へと押し出した。
「ロフちゃん。うちの子たちと、仲良くしてくれると嬉しいかな?」
おっと。
これは、こちら側から歩み寄ってやれという合図だよな?
この子たちの兄である俺が、率先して仲を取り持たねば。
「アルトって云います。よろしくね?」
必殺の、営業スマイル。
前世の勤め先は褒めるところが微塵もなかったが、自然に媚びを売るスキルが身についたことだけは、良かったと云えるのかもしれない。
こんなふうに、転生先でも使えているし。
「――――っ!」
するとロフ少年は、顔を赤くして目を逸らしてしまった。
何だろう?
人の目を見て喋るのが苦手だったりするタイプなのかな?
「ぶーっ!」
そして何故か、妹様激怒。
ギュギュッと抱きついてくる。
真似して、マリモちゃんもギュギュギュ~っ。
「うふふ~……。うちの子たち、仲が良いでしょ? だから、ロフちゃんも仲良くなってくれると嬉しいわ?」
「う、うん……」
笑顔で押しが強いのよね、マイマザー。
これにはロフ少年も、ついつい頷いてしまう。
流れに乗って、俺もたたみかけるとしよう。
「じゃあ、これで俺たちは友だちだよね?」
手を握ってみる。
相手が女の子なら遠慮はするけど、同性ならば構うまい。
「ひゃあぁっ!」
なのに男の子は、可愛らしい声を上げて飛び上がった。




