第六百七十八話 翠玉の瞳に映る空(その七)
この状況で、目の前の少年がとても怒っていることの理由が知りたい。
いや、『熱心な信徒だから』と云われてしまえば、それで終わりではあるんだ。
たとえば俺だって、フィーやマリモちゃんが理不尽な暴力を振るわれたら、一瞬でブチキレる自信があるしね?
ただ、これは単なるカンだけど、男の子の態度からは、『信仰心以外』の理由が滲んでいるような気がしたのだ。
もちろん、それはただの思い込みや思い違いかもしれない。
だって甚平さんは、別に『そういう感情』があるように思えないしね。
だから、男の子のほうを、マジマジと見つめてみる。
彼は俺の視線に気づくと、やっぱり顔を背けてしまう。
「めっ!」
しかし、妹様大激怒。
ちっちゃなおててで俺の頬を左右から挟み、懸命に自分のほうへと視線を誘導しようとしている。
「にーたは、ふぃーだけを見るの! 他の子見る、それ、めーなのーっ!」
いや、別にそう云うわけじゃ……。
そもそもこの子、男の子でしょ?
まあ、軍服ちゃんをはじめとする、ヒゥロイト軍団みたいな例もあるけどさァ。
一方で、あちらのほう。
甚平さんは、少年の頭を撫でている。
なんというか、優しい目だな。
完全に保護者枠なのかもしれない。
「坊、大丈夫だ。この連中からは、血の臭いがしねぇ。何より、太平楽だ」
血の臭い、という単語に、ヤンティーネとフェネルさんがぴくりと反応した。
護衛役としては、矢張り思うところがあるのだろうか?
男の子は、槍術の先生を指さした。
「でもこのエルフ、武装してるっ!」
「こんな世の中だ。武装くらいは誰でもすんだろうよ。現に俺だって、こいつを持ってるしなぁ……」
銛をヒラヒラとさせる甚平さん。
ティーネはそんな行動にも一切の警戒を解いていない。この辺はプロ故だろう。
男性――ケーン氏もそれがわかったのだろう。
続けて少年にこう云った。
「エルフが二体。俺では勝てんよ。そもそもからして、捕まえること自体が無理だ」
「ハイエルフです」
すぐに訂正を入れたのは、ティーネとフェネルさんの、両方だ。
エルフ族の人たちって、トップのちびっ子姉妹以外は『ハイエルフ』と『ノーマルのエルフ』の線引きに、拘りだかプライドだかを持ってるみたいだからね。
こういう反応を示すことが多いようだ。
男は、肩を竦めた。
「ハイエルフかよ、そいつは珍しい。エルフ自体がめったに拝める種族じゃないのに、更に稀少な上位種とはね。――こりゃダメだ、坊。生殺与奪の権利は、完全にあっち側だぜ」
口調とは裏腹に、あまり切羽詰まった様子を見せないケーン氏。
それどころか、彼は護衛のふたりをマジマジと見つめた。
「いやぁ、エルフ――おっとと、ハイエルフってのが美形揃いってのは本当だねぇ。死んだ坊の母ちゃんも滅法美人だったが、その遙か上を行く。眼福眼福……」
「…………」
冗談のつもりなのか本気なのか、彼は手を合わせて拝みだした。
一方でエルフという種族は、その美しさから度々人間族に狙われている。
だからか、この手のおべっかに対して、喜ぶと云うことが稀である。
今もハッキリと眉を顰めている。
だが、甚平さんは冷たい視線などどこ吹く風。
マイマザーにも、驚いたふうな顔を向ける。
「そっちの女性も、えらいベッピンさんだが、人間族なんだろう? 精霊か妖精との混血とかじゃないよな?」
「ふふふー。人間ですよ?」
母さんも、その容姿を褒められ慣れているから、大きな反応を示さない。
ただハイエルフズと違って、『喜ぶ』ことはするようだ。
加えて彼女は物怖じせず、好奇心も旺盛である。まさにフィーの母親と呼ぶに相応しい。
母さんは、こう質したのである。
「もしかして、陸地のほうで何かありましたー?」
血の臭い、という言葉に反応をしていたのは、この人もだったようだ。
まあ考えてみれば子煩悩な人物だし、我が子の環境まわりを案じるのも当然か。
何でもない風を装って、そのへんの情報を仕入れようとしている。
ケーン氏は、そんな母さんの心の動きを理解したらしい。
一瞬だけ少年を見て、それから、「まあ、いいか」と呟いた。
彼は、説明を始める。
「――俺たちはこんな僻地に住んではいるが、他所との交流が全くないわけじゃぁない。粘土や陶器の販売なんかもしているし、情報交換だって重要だ。で、ちょいと前にだな……」
ケーン氏の云うところは、こうである。
教会の司祭であるカーソンという名の若い男がやって来たのだという。
彼らの街、シルリアンピロードは余計な揉め事さえ起こさなければ、他の神を信仰していても文句は云われない。
だが、カーソン司祭の要求は、少しだけ毛色が違った。
曰く、『大規模な盗賊団がこの近辺に出現している。正確な位置情報の提出をしても良いし、場合によっては教会の聖騎士団で討滅を引き受けても良い。その代わりに、シルリアンピロードでの布教の自由と、教会の建設を認めて欲しい』、というものであったとか。
シルリアンピロードは、政教一致の街だ。
けれども、だからこそ『他宗を差別しない』ということと『布教の橋頭堡の建造を許す』ことには、巨大な差がある。
しかも相手は、至聖神のみを絶対とする教会なのだ。
他の宗教とのような『共存』は難しく、一度教会の『出店』を許せば、街は徐々に蚕食されるであろうし、諍いも起こるようになっていくはずだ。
なので彼らは、教会の申し出を、柔らかく、けれどもハッキリと否定した。
「ふむ……。残念ですな。我々も皆様とは仲良くやっていきたいと考えていたのですが……。ともあれ、協力し合うことに『遅い』ということはありません。何事かがありましたら、いつでも我ら教会に声を掛けていただきたい」
カーソンは気分を害することもなく、そう云って立ち退いたのだという。
それと前後して、街へと向かういくつかの商隊が、盗賊の群れに襲撃を受けたらしい。
徹底的で、そして残忍な殺し方だったという。
「商人たちだって、無防備に移動するなんてことはない。必ずや自前で戦力を囲っていたり、冒険者を雇っている。一方的にやられるというのは、だからおかしな話なんだ。それこそ軍隊崩れの連中が活動を始めたのか、それともどこかの国が、野盗を国家公認で始めたとでも思わない限りはな。それで、自警団や神殿戦士たちもピリピリしていてな」
そこに、聖獣シルルルスが滅多にあげない噴気をあげた。
何事かと思い、彼らが駆けつけると、そこにはのんきな顔をした一家が浜辺で遊んでいたと。
「まあ、幸い盗賊たちは街の側には来ていないみたいだし、島の周辺も平和だしな。たまたま街道が略奪範囲だっただけで、もうこっちには来ない可能性だってある。だから今、噴気についての会議を開いているお偉方も、流石に野盗と聖獣様を結びつけはしないだろうよ」
気を回しすぎだぜ、坊、と云って、甚平さんは少年をつついた。
この子の敵愾心について尋ねるなら、このタイミングかな?
そう思った俺は、甚平さんに水を向けてみた。
「じゃあ、その子が俺たちに当たりがキツいのは、盗賊のことがあったからなんですか」
「ん? あ~……いや、坊の場合は、ちょっと違うかな……」
む?
どこか飄々としていたはずのケーン氏が、珍しく歯切れが悪い。
何かあるのかな?
と思っていたら、少年はズズイッと目の前に出てきて、ビシッと指をさしてきた。
「それはお前たちが、シルルルス様に不敬を働いているからだっ!」
ん~……?
狂信者予備軍、ってわけじゃないよね?
目とかアブナイ感じがしないし。
だが、そんな男の子の前に、我らが妹様が立ちふさがった。
「人に向けて指さす、それ、やっちゃいけないこと!」
前にフィーがイザベラ嬢に対して指をさしていたシーンを見た記憶があるが、それは云うまい。
人様を指すのは、避けるべきことだしね。
マイエンジェルは、更に言葉を続ける。
「ふぃーたち、シルルルスに酷いことなんてしてない! シルルルス、とっても優しい! 子どものことは好きって云ってた!」
「嘘をつくなっ!」
男の子の瞳が、怒りに曇った。
彼はフィーを、ありったけの憎悪を込めた瞳で睨み付ける。
「お前なんかが、聖獣様と話が出来るわけがない!」
「ふぃー、嘘ついてないもんっ! シルルルスと、お話したもん!」
「そうよぅ! フィーちゃんだけでなく、私だって、お話したんだから!」
「あぶ……っ!」
クレーンプット家女性陣は、嘘をついていない。
それどころか、『正直者』である。
けれども、そんな『正直』が信じられるかというと、それはまた別の話で。
(ゆるクジラと会話できる存在は稀だって、聞いたばかりだからな……)
何しろ、精霊でも会話できるかは怪しいって話だったしね。
案の定、男の子には嘘つき呼ばわりされてしまった。
フィーは大きなおめめに、涙をいっぱい溜めている。
「ひぐ……っ、うぐぐ……っ! にぃたぁぁ……っ!」
マイシスターは、俺に抱きついてきた。
兄としては弁明してあげたいけど、この子が『凄い』というのは、秘すべきではないかとも思うんだよねぇ。
だっこして、頭を撫でてあげる。
安心したのか、フィーは徐々に落ち着きを取り戻していく。
――街のほうから、煙のようなものが見えたのは、そんなときだ。
「あれは、敵襲を知らせる狼煙だ……!」
甚平さんが、真剣な目をして呟いた。
 




