第六百七十四話 翠玉の瞳に映る空(その三)
島の端っこ。
もの凄ォ~く綺麗な砂浜に、俺たちはやって来ている。
凄いぞ。
本当に綺麗だ。
青い水は透明度が凄まじく、砂浜も真っ白で、まさに最高のビーチって感じだ。
ここが地球世界だったら、絶対に観光客でごった返すと思う。
けれどもこの場には我が家しかおらず、静かな波の音だけが、風に乗って耳に届いた。
「ふぉぉぉおおおぉぉぉおおおおぉぉぉ~~~~~~~~~~~~っ!」
そして、妹様のおめめはキラキラ。
海も砂浜も、そこから見える景色も。
その全てが気に入ったらしい。
母さんにだっこされているマリモちゃんも、黒いおめめを輝かせている。
「ふふふー……っ! フィーちゃんもノワールちゃんも、満足してくれたようね? エイベルに無理を云って連れてきて貰った甲斐があったわねー!」
マイマザーも嬉しそうだが、その『比率』は、愛娘たちが喜んでくれたことに対するものが主なようだ。
マイエンジェルは、プリティーチャーのもとへと駆けていき、青いローブを引っ張った。
「エイベルっ! ふぃー、早くシルルルスっていうの、見てみたいっ!」
「……ん。今呼んでみる」
エイベルは呟くが、それ以上何もしない。
けれどもフィーとマリモちゃんがワクワクと反応をしたから、魔力を放ったのだということがわかった。
魔力って基本的に、直で触れないと感知できないからねぇ。
つい先日までセロで行動を共にしていた軍服ちゃんなら、『魔術感知』の異能があるので、ある種の理解が出来たのかもしれないが。
それから暫く。
青く透き通った海に、表面上の変化はない。
だが妹様は、嬉しそうに大声を上げた。
「にーた! 凄くおっきい魔力と魂が近付いてくるっ! 優しい感じ! ふぃー、これ好きっ!」
大きい。
矢張りその海獣とやらは、大きいのか。
「あ、来たわね。ん~、本当に久しぶりっ」
母さんが指し示した先に見えてきたもの。
それを見た俺は、思わず叫んだ。
「クジラ、かァ……っ!」
音もなく、ヌーっと近付いてきたもの。
それは紛れもなく、クジラそのもので。
(でかいな! 三十メートルはあるんじゃないかっ!?)
巨大な海獣は海から顔を出し、白い砂浜に、その首を置いた。
しぶきも砂煙も起きないのは、この聖獣の異能なのだろうか?
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
そして、シルルルスの『雄姿』を見た妹様が、雄叫びを上げた。
「格好良いっ! にーた、この子、凄く格好良いの! 勇ましくて、凛々しいのっ! ふぃー、とっても気に入ったっ!」
わかっているとは思うが、砂浜に乗り上げたクジラ様のお姿は、微塵も『格好良くない』。
何というか、もの凄い『ゆるキャラ』風味だ。
茫洋としている、という表現はまだマシなほうで、非常に失礼な云い方をさせて貰えば、超・『間抜け面』である。
少なくとも、賢そうには見えない……。
しかし妹様は、感激した様子で、シルルルスの顔面に抱きついている。
「こんにちはなの! ふぃーは、ふぃーって云うのっ!」
マイエンジェルの言葉に、ゆるクジラは答えない。
というか、そもそも喋れるのか、こいつは?
「ふへへへ……っ! お顔、おっきい! ふぃー、おっきいの好きっ!」
ペチンペチンと、遠慮会釈もなくクジラの顔面を叩いている妹様よ。
それを見ていたマリモちゃんも、姉のマネをしてシルルルスの顔を叩き始めた。
いや、これ、凄い失礼なことしてない?
野生生物だったら、怒るか逃げるかすると思うんだけれども。
「…………」
しかし、ゆるクジラは微動だにしない。
まるで、フィーたちがその場にいないかのように、泰然自若としている。
それとも、ニブいだけか?
「高祖様、これ、大丈夫なのでしょうか?」
そう心配しているのは、数少ない常識人枠のティーネである。
彼女、俺たちの護衛役だからね。
このゆるクジラが怒っちゃったら、矢面に立つのって、この人だろうし。
けれども、エイベルはしっかりと頷いた。
「……問題ない。以前リュシカがしでかしたことよりも、ずっとマシ。あのときもシルルルスは怒らなかった」
母さん……。何やったんですか……。
そのマイマザーは、笑顔でクジラの顔を撫でている。
「ふふふー。久しぶりねー? 私のこと、憶えてる? そうなのー? 嬉しいわー?」
などと、ニコニコしながら呟いている。
俺は、お師匠様に訊いてみた。
「エイベル、母さんって、このクジラと会話できるの?」
「……シルルルスは、人語を話すことは出来ない。けれども特殊な波長の魔力を響かせることで、鋭敏な魔力感知を出来る者のみと、意思の疎通が図れる」
いや、うちのお母様、そもそも魔術系の才能・素養が一切無いはずなんですが……。
「……てことは、一方的に会話している気になっているだけ……?」
「……そこがリュシカの不思議なところ。何故か彼女とシルルルスは、会話の遣り取りが成立している」
なんじゃそりゃ。
うちのマザー、どうなってるんですかね。
いずれにせよ、シルルルスは気分を害していないようだ。
なかなかの度量の持ち主であると云えよう。
妹様たちは、この巨大クジラが気に入ったみたいで、顔に抱きついたりムニムニしたりしている。
ゆるクジラは、されるがままだ。
フェネルさんが隣に来て、俺に云った。
「アルト様はどうですか? 聖獣シルルルスに、何かしたいことはありませんか?」
「したいことって、急に云われてもな……」
首を傾げるが、すぐに思いついた。
「噴気! 噴気を見てみたいな。――っていうか、出来るのか知らないけれども」
クジラと云えば、噴気だもんね。
なお一般的には『潮吹き』のほうが使われる単語だろうが、俺の心が汚れているせいか、あまり積極的に使いたい表現ではない……。
俺の発言に、『毒霧噴き』が興味を示した。
「にーた、噴気ってなぁにっ!? それ、楽しそうな予感がするっ!?」
「ええとね……」
かくかくしかじかと説明をする。
クレーンプット・シスターズは、同時におめめを輝かせた。
「ふぃー、それ見てみたいっ!」
「きゅーっ!」
うちの子たちが、激しく興味を示した。
すると子ども大好きなフェネルさんが、にこにこ顔でお胸を叩いた。
「ならば、この私にお任せ下さいっ! 皆様が楽しめるよう、聖獣シルルルスに頼んでみせましょうっ!」
「え~……? 会話なら、私が出来るわよぅ!」
「……私も」
「シャラップ! しゃーらぁ~っぷっ!」
護衛対象も高祖様も怒りの一喝で黙らせて、従魔士様は、ゆるクジラの前に立つ。
そして、咳払いをひとつ。
「聖獣シルルルスよ……! どうか――えっ、目の前で喋ってたから、聞こえてたよ、ですか、そうですか……」
フェネルさんが、ショボンとしている。
口がバッテンになってるし……。
なお後で聞いた話だが、シルルルスと会話できるのって、もの凄いことらしい。
精霊とかでも、難しいのだとか。
だからサラリと話せているフェネルさんって、実は凄いのよね。
尤もこれは、従魔士としてのスキルであるらしいが。
(そう考えると、やっぱおかしいのはうちの母さんか……)
ただのコミュ強なだけの気もするが。
或いはギャグ補正に近いものか。
「にーたっ! シルルルス、噴気見せてくれるって云ってる! ふぃー、楽しみっ!」
「あきゅっ♪」
あれ……?
何でうちのシスターズも、普通に理解してるんですかね……?
常識人のティーネを振り返ると、彼女は黙って首を振った。
良かった。
ハイエルフの女騎士は、『わからない側』であるらしい。
というか、それが当たり前だと念を押された。
……この中だと、俺とティーネだけだけどね、聖獣と喋れないの。
ぬぼーっとした顔のゆるクジラは、澄んだ海へと沈んでいく。
ややあって、それなりの距離の海に、丸い背中が浮かんできた。
そして――。
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
妹様が、歓声を上げた。
雄大な噴気が立ち昇った。
それはまるで、空へと逆流する滝。
天へと昇る瀑布にも似て。
これ程の光景を見られたことに、純粋に感激した。
後ろでは、この貴重な瞬間をティーネが俺たち入りで写真に撮ってくれていた。
(ファミ○ンゲームの、チャレ○ジャーのシーン3みたいだな……)
などと考えてしまったのは、ここだけの秘密だ。




