第六百七十三話 翠玉の瞳に映る空(その二)
「はぁーいっ、ノワール様ぁ! こっち、こっちですよぉ~っ?」
「きゃーっ♪」
目の前で、満面の笑みを浮かべた黒髪の幼女様が両腕を突き出して駆けている。
目指す先は、子ども大好きのハイエルフ――ではなく、その彼女が手に持っている、お高いお高い魔石である。
つまり、エサに釣られているわけだ。
どうにもうちの女の子たちは、好きなものには一直線。
それ以外は目に入らないという危なっかしさがある。
具体的にはこうやって、大好きなものに両手を伸ばして向かって行く習性があるのだ。
お兄ちゃんとしては、いつ転ぶんじゃないかとハラハラだよ。
なおフェネルさんの持ってきた魔石は、わざわざ末妹様のご機嫌取りのためだけに、高いお金を出してショルシーナ商会で購入してきたものなんだそうだ。
お値段、日本円換算で、約百万円。
お子様に好かれるためだけにそこまでやる根性は、もの凄いと驚嘆すべきか。
はたまた、涙ぐましい努力と同情すべきか。
いずれにせよ、当の本人はとろけきった笑顔でマリモちゃんと遊んでいる。
「はいっ、ノワール様、捕まえましたぁ~っ!」
「あきゅ~……っ♪」
適当なところでノワールを捕獲したフェネルさんは、膝の上に末妹様を乗っけてご満悦。
対して黒髪の幼女様は、よだれをしたたらせながら、魔石にかぶりついている。
「うふふっ、どうですかノワール様ぁ、美味しいですかぁ~?」
「あきゃっ!」
当人同士が幸せなら、俺が何かを云うことはないよね……。
現在、俺たちがいるところは、南の海に浮かぶ、島である。
島、と云っても、『水色ランド』ことキシュクードのような人界から切り離された場所ではなく、大陸からも見える範囲にある島なのだが、景観が良く人がいない(エイベル的には、これが最重要だろう)という場所なのである。
人が入ってこない理由は簡単で、この周辺の海が、海獣・シルルルスの住処だから――なのである。
この辺の現象は、エルフの森や竜の領域に人があまり立ち入らないのと似た理由なのだろう。
尤も、その海獣シルルルスは、『聖獣』として祀られているから、宗教的権威も大いに付加されているのだろうが。
「さあっ、アルト様っ、フィーリア様っ、こっちです!」
「みゅぅ……? ふぃーに、ご用……?」
マリモちゃんを膝に乗っけたフェネルさんが、突如として俺たち兄妹を呼ぶ。
何事かと思い近付いてみると――。
「はいっ、おふたりも捕まえちゃいましたぁ~……っ!」
「みゅぁぁっ!? にーた、どうしよう、ふぃー、捕まった!?」
俺とフィーが、彼女に囚われてしまう。
フェネルさんの上に末妹様。
その左右に、俺たちという構図。
クレーンプット兄妹を全て手中に収めたことが嬉しいのか、商会従魔士様の御尊顔が、ニヨニヨで凄いことになっている。
「アルト様、アルト様っ! 私っ、今、無敵! 無敵になったんですっ!」
そうですね。
無敵の人ですね。
「うぅぅ~……っ! ズルいっ、ズルいわぁ~~……っ!」
と、歯噛みしているのは、三児の母たる、リュシカ・クレーンプット嬢である。
彼女は親友に襲いかかっている隙を突かれて、子どもたちを商会エルフに掻っ攫われてしまっていたのだった。
「もう、最ッ高! 最高の構図です……っ!」
「何云ってる!? ふぃーとにーた、離れてる! こんなの、おかしいのっ!」
妹様は抗議の声を上げているが、局長様の長く綺麗なお耳には届いていないようである。
「さぁさ、クレーンプット家の皆様っ、あちらです! あちらにうっすらと見える陸地が、南大陸なんですよ!?」
フェネルさんの言葉に、素直に大陸を望むクレーンプット・シスターズ。
この辺の素直さは人柄でもあり単純さでもあり、そして旅行が楽しいからでもあるのだろう。
「にーた、あっち、誰か住んでる?」
「みたいだな」
「あの海沿いの一角には、シルルルスを神と崇める集落がありますね。ほら、あの大灯台が、そのまま神殿を兼ねているんですよ」
「とーだいっ!? あの、細長いの、とーだい云う!? にーた、ふぃー、あれにのぼってみたい!」
マイエンジェルの青いおめめが、途端にキラキラ。
マリモちゃんも、食事を続けながらも大灯台を凝視しており、興味自体はあるようだ。
(でもアレ、観光施設じゃなくて宗教施設なんでしょ……?)
なら、ちょっと内部の見学は難しいだろうなァ……。
無闇矢鱈とトラブルに巻き込まれることの多い我が家だからこそ、進んでいざこざの原因を作るわけにもいかないだろう。
その辺の配慮は、しすぎるということがないはずだから。
フェネルさんも、その辺を察したのだろう。
即座にクレーンプット・シスターズの興味を、別のことへと移すことに決めたようだった。
「フィーリア様、ノワール様。この海には、凄い海獣が住んでいるんですよ! 高祖様に案内して貰って、それを見に行きましょうっ!」
「みゅみゅっ!? かいじゅー!? にーた、かいじゅーって何!?」
「平たく云うと、海に住んでる動物だねぇ。ほら、バラモスたちの卵を保護したときに、ダイカイギュウを見ただろう? ああいうのだねぇ」
「んゅ……っ! んゅゅ……っ! ダイカイギュウ……っ! あの格好良くて可愛いやつ! アレ、ここにもいる……っ!?」
ダイカイギュウって、『格好良い』ってカテゴリだったかなァ……?
まあ、その辺のセンスは、うちの妹様だからな……。
興奮することしきりなフィーに、フェネルさんと、我らがマイマザーが声を掛ける。
「フィーリア様。残念ながら、この海にいるのは、ダイカイギュウではありませんよ」
「でもでも、フィーちゃんなら、絶対に気に入る子よ?」
フィーが気に入る……。
成程。
『そういう方向性』かぁ……。
興味津々になったマイエンジェルは、炯々とした瞳を俺に向けてくる。
「にーた! その子、今度こそ、おうちに連れて帰るっ! お風呂で飼う! ふぃー、がんばってお世話するっ!」
『今度こそ』ってのは、以前ダイカイギュウを持って帰ろうとしたことを指しているんだろうな……。
だがフィーよ。
海獣のサイズは知らないが、風呂場で飼えるような大きさじゃ、絶対にないと思うぞ?
というか、地元で信仰されている生き物を連れ去ろうとするのは、おやめなさい。
そんな妹様に、マイティーチャーが淡々とダメ出しをする。
「……シルルルスは、大きいから無理」
「みゅぅ……。ふぃー、またしても夢破れたの……」
また妙な云い回しを……。
ともあれ、落ち込んだフィーを慰めてあげたいが、生憎と俺はフェネルさんに囚われて身動きが取れないし、その従魔士様が、マイエンジェルの頭を嬉しそうに撫でている。
仕方ないので、俺は魔術の先生に振り返る。
「エイベル。そのシルルルスって、何ものなの? そもそも俺、『シルルルス』が個体名なのか種族名なのかすらも、知らないんだけど」
「……ん。シルルルスは、個体名。海の生き物」
いや、『海の生き物』って、いくらなんでも説明が雑すぎるでしょうよぅ。
俺の視線を受けて、マイティーチャーは、説明を続ける気になったようだ。
「……シルルルスは、宗教的権威として『聖獣』と呼ばれているが、本来のカテゴリとしても、『聖獣』に位置する」
魔力を帯びた『獣』は、モンスターなんかだと、魔獣や妖獣と呼ばれたりもするが、格の高い『魔力生物』は、別の名称で呼ばれる。
即ち、神獣や聖獣である。
また、フェネルさんの『家族』であるトトルは霊獣だし、ヘンリエッテさんが使役しているイシュケは霊鳥だ。
これらは妖精のように、半分生物であり、そして半分が魔力体でもある。
そして聖獣や神獣クラスになると、より精霊に近い存在となる。
また、これらと似て非なるものに『幻想種』と呼ばれる者たちもいるが、その辺の説明は、今回は割愛。
何にせよ、聖獣や神獣は『神代』に属する生き物で、当然ながら人間以上の知性と魔力と格を持つと理解しておけばよろしい。
「あの子、すっごくおとなしいわよねぇ?」
その聖獣シルルルスに会ったことがあるらしい母さんは、そんなことを云う。
「……ん。シルルルスは、物静か。フィーの狼藉にも、怒ることはないはず」
お師匠様の中で、フィーの行動の大半は『狼藉』にカテゴライズされているらしい。
「にーた、にーたぁっ! ふぃー、そのシルルルス、見てみたいっ!」
「あきゃっ!」
シスターズが、興味を持ったようだ。
フェネルさんの戒めから、大暴れして脱出しようとしている。
「そうねぇ。ここには泳ぎに来たはずなんだけど、フィーちゃんたちに見せてあげるのも悪くないかもね?」
「……ん。シルルルスに話を通しておけば、フィーが溺れたり流されたりしても、すぐに助けて貰えるはず」
聖獣に、プールの監視員みたいなことをして貰うんですか……。
大丈夫?
それ、聖獣の信者たちに、怒られたりしない?
「さ、行きましょ?」
そんなことを云って、サラリと腕の中にマリモちゃんを取り戻す母さん。
フィーもフィーで、当たり前のように俺の横へやって来て、キュッと手を握ってきた。
俺を見上げるその顔は、ふへへと笑顔だ。
「あ、あぁぁぁあぁぁ……っ! わ、私の楽園が……っ!」
一瞬で天国を失い、青い顔でワナワナと震えている人もいるが、取り敢えず放置で良いだろう。
平和な場所なのに油断無く槍を携えたティーネが傍に付いてくれて、それから俺たちは、島の縁へと向かって行った。




