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妹のいる生活  作者: むい
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第六百七十二話 翠玉の瞳に映る空(その一)


「カーソンくん、よく来てくれたね」


 南大陸。


 荘厳な伽藍の中に、ふたりの法衣をまとった男がいる。


 片方はかなりの老齢であり、法衣もまた、偉く立派である。


 その彼に『カーソンくん』と呼ばれた男は、まだ三十になったばかりの、気鋭の聖職者であった。


「リシウス大司教のお召しとあっては、馳せ参じないわけには参りません」


 カーソンは、朗らかな笑顔で答えた。


 彼の表情には、熱意と野心が横溢している。


 それを見て大司教リシウスは、大きく頷いた。


 カーソンにはこれから、大きな仕事を任せるつもりなのである。

 仕事には、能力以前に『やる気』がなければ始まらないことを、老練な大司教は理解しているのだ。


「カーソンくん。今日、キミを呼んだのは他でもない。布教のために、南方へと旅だって欲しいのだよ」


「我らの偉大なる主。至聖神の御心を、あまねく辺土まで轟かせよとの仰せなのですね? ならば、断る理由は寸毫程もございません!」


 若き聖職者は、生き生きとした様子で印を切った。


 どこの世にも左遷というものがあり、特に『辺境』へと飛ばされることは、教会にもある。


 そもそも遠く人の世を離れ、遙か遠方へと向かうのは、単純に大変でもあるし、危険でもある。

 これに『不名誉』まで加わるのだから、田舎へと説法に向かう神職が少ないのは、ある意味では当然であると云えた。


 けれども、カーソンには大司教の指示を厭う様子がない。


 それは彼が、この聖務を重要と考えているからであり、そして自らの出世の階梯であると読み切っているという、打算からでもあった。


 カーソンには、大きな失敗をしたという記憶はない。

 上役たちとも、上手くやっている。

 云ってしまえば、飛ばされる(・・・・・)理由がないのだ。


 だからこの仕事は左遷などではなく、教会が大きく躍進するための重要な任務であり、自分が大司教直々に、その任に堪えると評価されたことを意味しているのだと理解していた。


 大司教リシウスは目の前の若輩者の心の動きをほぼ正確に看破していたが、余計なことは何も云わない。

 大切なのは『結果を出すこと』。

 それだけなのだから。


「実はね、カーソンくん。此度の布教は、ファピアノ枢機卿の肝いりなのだよ」


「ファピアノ枢機卿のっ!」


 カーソンは、思わず身を固くする。


 枢機卿は教皇を除けば、教会勢力の頂点。


 中でも美貌で知られるその枢機卿は、至尊であるはずの教皇ですら憚る程の重要人物であるとされている。


 つまりこの聖務さえ達成してしまえば目の前の大司教だけでなく、遠く北大陸にある教会の本部やそこにいる枢機卿、そして教皇猊下にも、自身の名を覚えて貰えるのかもしれないのである。


 三十になったばかりで大仕事を成し、大司教にも枢機卿にも、そして教皇にも名を知られたとなれば、その後の栄進・栄達は、思いのままとなろう。


 カーソンは、野心家である。

 また、己が優れた聖職者であるという自負もある。

 だから当然の勢いとして、四十くらいまでの『若手』たちを、強く意識する。


 殊にこの南大陸には、俊英と呼ばれる僧侶が幾人もいる。


 たとえばそれは異端審問官として辣腕を振るう神官・ミシエロであり、また昨年の二月に人類圏の最南端の村々で発生した『奇病事件』を、その優れた薬学によって解決に導いた司祭・トヴィアスであったりした。


(トヴィアス殿は、奇病事件から人々を救った功により賞され、数年以内に司教への昇進をほぼ確実なものとされている……)


 南方で起きた『泥事件』については不明な点が多く、今なお『教会の手柄』を、メジェドなるまやかしの神が救ったと信じる者たちがおり、更に不快なことに、病人たちを治療してのけたのは、あの無駄にプライドの高く鼻持ちならないエルフどもだと吹聴する愚か者まで出る始末なのだ。


 つまり昨年起きた奇病事件は、教会とメジェド神とエルフと、『みっつの解決話』が語られているというのが現状なのである。

 もちろん、大半の人々は教会を支持したが。


(そうか。大司教様がこの私を抜擢されたのは、単なる無知蒙昧な辺土の民に対する布教ではないのだな!?)


 カーソンは、その点に思い至った。


「リシウス大司教」


「何かな、カーソンくん」


「私の行く先には、昨今、南北の大陸で猖獗を極める、かのメジェド教がいるのですね!? 邪説を信じる者どもを迷妄から救い出し、その根源たちを折伏して参れと、そういうことなのではありますまいか?」


「ふむ。成程」


 法衣の老人は、厳かに頷く。


「基本的には、その通りだ。尤も、対象が違うがね」


「と、云いますと?」


 カーソンの言葉に、リシウスは醒めた視線を外へと向ける。


「メジェドなどという面妖怪奇な自称・神は、底が浅い。歴史も伝統も無いからこそ、怪しげな奇跡を安売りし、信者の獲得に走っておるのだ。つまるところ、巷に蔓延する胡散臭い新興宗教と大差など無いのだよ。第一、あんなふざけたデザインの神など、いてたまるものか」


「成程」


 と、カーソンは頷いたが、それは大司教の言葉に感銘を受けたからではなく、『リシウス様は、メジェドなる存在が嫌いなのだな』という理解から出た言葉である。


 若き神官は、メジェド神を侮ってはいない。


 それはかの宗教が発足間もないのに大きく信者を獲得しているからであり、そして出現した先々で、信者を獲得するに足るだけの『奇跡』を起こしているからでもあった。


 メジェドが胡散臭いというのが本当だとしても、侮るべき相手ではないと彼は考えているのだ。


 で、あるからこそ、教会本部も、メジェド神を正式に『まやかし』と認定し、大陸中に布告したのだと思っている。


「では私の『説得』すべき相手は、他のものであると?」


「その通りだ。メジェドなどという、ぽっと出の道化ではなく、ある意味では『伝統と実績』のある相手なのだよ」


「――つまり、古参の宗教ということなのですね?」


「左様」


 その言葉に、カーソンは息を呑む。


 古参の宗教は長い時間生き残っているだけあって、勢力が大きいものや、地域との結びつきの強いものが多い。


 ちょっとやそっとの『説得』では、夢から覚めてくれないことを、彼は理解している。


 特に、土着の宗教の根強さは、手に負えない。


 教会内部の過激派には、『土着の信仰は改宗不可能である。諦めて根切りにせよ』と主張する者もいるくらいだ。


「……して、その相手とは?」


「――この地より、更に南方。バゼル海に面した地に、海獣を『(ひじり)』と仰ぐ土着の宗教がある。海運や凪を司ると信じられている、『海の神』なのだそうだ。キミほどの努力家なれば、その宗教を知っていよう?」


「シルルルス教!」


「そうだ。矢張り知っていたな。昨今の不勉強な若い神官どもとは大違いだ。よく勉強している」


 リシウスは、満足そうに頷く。

『何も知りません』では、抜擢する意味がない。


「――ファピアノ枢機卿からの要請は、至ってシンプルだ。その地の蒙を啓くこと。ただ、これのみ」


「と、申しましても、具体的な『信仰対象』がいる以上、一朝一夕には行かないのではありませぬか?」


 カーソンとしても、大事な仕事を前に云い訳はしたくない。


 けれども大司教云うところの、『伝統と実績』がある場所であれば、短時間での聖務達成は、難しいもののように思えたのだ。


 それこそ、年単位の大仕事と見なければ、不可能ではなかろうか? 


 場合によっては、『当代』の説得は諦め、次代以降に誕生する者たちを教化するほうが、軋轢も少なく容易いようにすら思える。


 老いた大司教は、たおやかな笑みを浮かべる。


「枢機卿も、その辺のことはよく理解されておられる。無論、私が管轄する教区も、キミを全面的にバックアップさせて貰おう」


「と云うと、矢張り何年、何十年を見越した聖務ということで?」


 若き神官が問うと、老神官は声を上げて笑った。


「『年』などを持ち出すなど、聡明と名高いカーソンくんらしくもない。我らの聖務は、あまねくこの世に、主の御威光を届けること。いかな土着の信仰が強固といえども、粗末な辺土に、そうそうかかずらってはいられないのだよ」


「では、どのような支援をしていただけるのでありましょうか?」


「――教会の聖騎士団から、人数を回そう。具体的な運用は、キミに一任する」


「――ッ」


 カーソンは、その意味を理解した。


 即ち、流血も厭わじ。


 かくてひとつの波乱と波濤が、辺境の一地域に到達しようとしていたのであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 全員メジェド様に転んだらどうなるんだろ
[一言] メジェド様の群による大海嘯とかあるかもしれない
[一言] 教会…騎士団…流血を厭わず…おそらくいちごっことかち合う時期の出張…あっ…(察し)
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