特別編・終末に暁を見る
星を見た。
その日、姉妹は、ふたり並んで星を見た。
遙か天空。
巨木の上から、中天に輝く星を見たのだ。
「あの星は、さ」
「…………」
「間もなくぶつかることになる『敵』なワケだけど、それはそれで置いておくとして――」
「…………」
「やっぱ、綺麗かなと思うワケよ。あたしとしてはさ」
「…………」
「月見酒、ならぬ星見酒ってね。どう? なかなかオツなものでしょ?」
酒杯を傾けながら、『二番目』のアーチエルフは、『三番目』のアーチエルフに云う。
「……ラミエル」
「なぁに、エイベル? アンタもお酒が欲しいの? でもだ~め。これは、あたしンだから」
「…………」
『姉』の傍若無人さを知る無表情な妹は、真横に座る『二番目』をジロリと見る。
「……ラミエル。私は『大事な話がある』と云われたから、ここに来た。お酒を飲む相手が欲しいなら、ハニエルでも誘えば良い」
「あたしは、アンタがいーの! ていうか、今がまさに『大事』なことよ?」
「…………」
こつんこつんと肩で肩を叩かれて、エイベルはため息を漏らした。
『姉』の野放図さに閉口しつつも、拒絶することもない。
つまりはそれくらいに、『姉妹』の仲は良好なのだ。
「こんなふうにさ、エイベル」
「…………」
「こんなふうに、特に意味もなく、大事な家族と一緒に空を見上げられるのって、とても大事なことなんだよ。少なくとも、あたしはそう思う」
「…………」
エイベルは、姉の言葉を否定しなかった。
その言葉の意味を知っているから。
「アンタ、そろそろ旅立つんでしょ? レリエルが泣いてたわよ? お姉様と離れたくないって」
「……別れは、もう済ませている」
淡々と語る無表情な妹の言葉を、けれどラミエルは微笑を浮かべて聞いている。
この子は感情表現が下手くそなだけなのだ。
けれどもその実、誰よりも家族思いで。
だから、ただひとり。
最も困難な、最激戦区へと赴くことになっている。
「――必ず、生きて帰りなさいよ?」
「……保証は出来ない」
自らの生と死すらも、そのエルフは無機質に語る。
何事もないかのように。
ただ静かに。
「……私とライギロッドの力は、ほぼ拮抗する。加えてこちらは単独。対して向こうには、他の幻想種とオリジナルドラゴンが存在している。この状況で生還出来ると思える程、私は楽観的ではない」
その言葉に、ラミエルは目を伏せる。
事実を述べるだけの妹は既に、『帰還』を切り捨てている。
そういう決断をさせたことが、心苦しかった。
「……あたしたち兄弟の中で、『戦闘特化型』はバルディエルとアンタだけだったものね。だからいつも、矢面に立ったのはアンタたちふたり。……まあ、バル兄はもういないけどさ」
「…………」
「だから」
「…………」
「だからさ、アンタくらいは、ちゃんと戻ってきなさいよ。かわりに、皆は――末っ子のレリエルくらいは、あたしが守ってみせるから」
「……私は、『幻想領域』、そして星読みや星辰術士との戦いに専念することになる。一部の精霊や、あの『蛇』との戦いには参加できないし、助けに来ることも、たぶん出来ない」
「そっちは、あたしとハニエルで何とかするわよ。……正直云うと、アンタの戦闘能力とポーションの支援がないのは、本ッ当にキツいけどね」
「……なら」
「要らないわよ。アンタはもう、残せるだけ残せるだけ。ありったけのありったけ。必要以上のポーションをあたしたちにくれた。残りは最後の生命線でしょ? アンタがここに再び、生きて還るための。それを譲ってしまったら、可能性は『低い』じゃなくて、『無し』になる。だから受け取れないし、受け取らない。――大丈夫よ。一番厄介な『蛇』のほうは、『竜姫』がぶつかってくれるかもしれないから。そうなれば、戦闘もだいぶ楽になるし」
「…………ラミエル」
「なぁに、エイベル?」
「……あの『蛇』は下手をすると、ライギロッドよりも恐ろしい相手になるかもしれない。私の受け持ちよりも、場合によってはそちらのほうが苦難に満ちている可能性がある」
「それは良かった」
あっけらかんと。
実にあっけらかんと、『二番目』のエルフは笑い出した。
「アンタに最も困難な相手を押しつけるよりも、あたしが最難関に当たれる方が、精神的には、ずっと楽」
「…………」
魂で感じるまでもなく。
『姉』の言葉は、嘘偽りのないものなのだろうとエイベルは理解した。
彼女も、そんな『妹』の心の動きを理解したのだろう。
酒杯を傍らに置くと、パンと掌を打ち鳴らした。
「さぁさ、もうお互いに準備は済んでるし、ついでに云えば、覚悟も出来てる。やるべきことはやったんだから、余計なことは考えなくて良いじゃない。それよりホラ、星でも眺めながら、お酒呑みましょ! バカ話しましょ! 下らないことで笑える時間って、とっても貴重で贅沢なんだからさっ」
「…………」
真面目な姿でないほうが、実にラミエルらしいと、心の底からエイベルは思った。
※※※
「――そこでマクドゥーエルのヤツが云ったのよ! 『私をマックと呼ぶことは許そう。だがしかし、マクドと呼ぶことだけは、死んでも許さんっ!』って」
「……アレは、『ケンタ』呼びの時も、同様のことを云っていた。東西のお国柄の違いは、もう埋めようがない」
そうして姉妹は、宣言通りに下らない四方山話に興じている。
けれどもそれは、両者が望んだことで。
そしてきっと、大事なことで。
ふたりの益体もない会話は、空が白むまで続いた。
「……もうすぐ、夜が明ける」
「そ。いつだって、夜は明ける。どこにいようと、何をしていようとね」
ラミエルは、空になった酒杯を指で弾く。
そして、薄明かりを背に、『妹』へと振り返る。
「月を見ながら酒を呑む風習は昔からあるけどさ。――こうして日の出を見る習慣も、また広まったりしないものかしらねぇ? 綺麗じゃない? 明けの空って」
「……朝日を見る為には、相応の時間に起きて無くてはならない。『活動時間』という枷がある以上、そうそう広まるとは思えない」
「なら、年一。その年の始まり限定にすればどう? これなら、『一回くらいだし見てみるかぁ』って物好きたちに広まると思わない?」
「……思わない。そんな暇人ばかりが、何人もいるはずがない。ラミエルの云うことは、不合理」
「そうかなぁ……?」
『放浪』のエルフは、小首を傾げる。
「暇人が多いこと。ただ空を見る為だけに起きていること。そんな時間にわざわざ起き出すこと。そういう無駄を楽しめる者が多いって、それはきっと、凄く幸せなことなんだと、あたしは思う。下らないことをありがたがって、それをわいわいみんなで楽しんで。――そんな世の中のほうが、ずっと面白いし、あり方として健全だと思うのよね」
「…………」
エイベルは目を伏せる。
自分と、この『姉』とでは、きっと見ている世界の範囲が違うのだと思う。
「……私にとって、『世界』とは手の届く範囲のこと。自分が、愛おしいと思える者たちのいる場所のこと。『他』に対して、どうこう思うことはない」
「ん~……」
ラミエルは、酒杯を指でもてあそぶ。
その後、微笑を浮かべたままに、真剣な瞳を『妹』へと向けた。
「エイベル」
「……?」
「アンタはやっぱ、何があっても帰って来なさい。他でもないエイベルこそが、あたしの云った『バカバカしい未来』で生きていくべきだと確信したわ」
「……意味がわからない。生存のために最善を尽くすのは当然のこと。けれど、ラミエルの云う『未来』を生きるということは理解の埒外」
「今はそれで良いわ」
放浪のエルフは、夜と朝の狭間の光に目を細める。
エイベルも、それに倣った。
ラミエルは、前方を見ながらに云う。
「朝日、綺麗でしょ?」
「…………ん」
「いつかさ。アンタのとなりで、こんなふうに何の意味もなく、朝日を一緒に見てくれる人が現れると良いね」
「…………」
「それが何百年先か、或いは何千年先になるのかはわからないけど、そういう相手を。或いは、新しい家族を。アンタが得られることを、お姉ちゃんとしては望むワケよ」
「……意味がわからない。家族なら、ここにいる」
「……だから、今はわからなくて良いんだってばさ。――アンタはこれから、死地に赴く。それは大切なものを守るために。でもさ。それだけじゃなくて、『幸せになるために戦う』。そんなふうにアンタがなれたら、きっとあたしが嬉しいのよね」
「……結局は、ラミエルの自己満足」
「あははっ。そうかもっ」
エイベルの『姉』は、ニッコリと笑った。
それは『幻想領域』との戦いの始まる、直前の風景だった。
※※※
――そして、神聖歴。
初日の出を待つ夜の時間に、ふたつの影が寄り添っている。
それは、ちいさな師弟だった。
ツバの広いとんがり帽子を被った小柄なエルフと、うち捨てられた粗大ゴミのような雰囲気を持った、奇妙な少年の。
「もうすぐ夜明けだねぇ……」
「……ん」
「初日の出のためだけに家を抜け出して来ちゃったね。バカバカしいけど、なんだか楽しいや」
「……………………ん」
ちいさなエルフは、目を伏せながら口元だけで笑う。
魔術の師弟は、ただ朝日を見に来ただけだ。
誰もいない。
誰も来ない草原の上で。
夜の終わりと新たな年を見る為だけに、ここにある。
「何でもないことって、きっと幸せなんだよねぇ」
少年は、ポツリと呟く。
その言葉に、エイベルはしっかりと頷いた。
ここにはささやかながら、何よりも大切な風景がある。
彼女はそれを、ようやく知ることが出来たのであった。




