第六百七十話 ある魔術師の挑戦(後編)
湖のほとり――。
けれどもあまり人の来ない穴場のような場所で、アルト・クレーンプットと、魔術師エスメイは対峙していた。
『対』、という文字の通りに、その表情は対極的で。
一方は未来に思いを馳せるかのような、ニヨニヨとした笑顔。
もう一方は、渋々といった、微塵もやる気のない真顔。
(何でこんなことに……)
アルト・クレーンプットは、世の無情さに肩を落とす。
何故彼は、年上の魔術師と向かい合うハメになったのか?
――切っ掛けは、面食いちゃんことミュゼの一言だった。
「格好良いおにーちゃん……。その女に、わからせてあげて……?」
わからせるって、何を!?
彼は叫びそうになったが、ミュゼの無法な一言に、エスメイのほうが飛びついた。
「フ……! 貴方が何者かは知りませんが、この私に戦いを挑んでくる以上、腕に覚えがあるということですね!? 良いでしょう! ミュゼお嬢様の護衛を務めることもあるこの身としては、馴れ馴れしくお嬢様の傍に陣取る貴方の力量を試さないわけにはいきません! さあ、どこからでもかかってきなさいっ!」
まだ幼い年少者に戦いを挑むなど、普通に考えれば異常な光景である。
事実、ハイエルフの女騎士やセロの執行職や歌劇団の子役スターなどは、ドン引きした様子でエトホーフトの戦魔術師を見つめている。
一方、十手を片手に「戦うなら俺も入れてくれよー!」とかアピールしているわんぱく小僧もいるにはいるが、残念なことに、彼に反応してあげる人物は、その妹さんくらいしかいなかった。
アルト・クレーンプットと戦うことばかりに気を取られていたエスメイは、そこでやっと、自分の態度が『不審者』のそれであることに気がついた。
指をビシッと指したポーズのまま、赤面している。
――ここで自分の力をアピールしてヴルストに名前を覚えて貰い、その成果であわよくば黒猫魔術団に誘ってくれたりしないかな? ――などという都合の良い展開へと持ち込もうとした己の不明を、胸中でコッソリと恥じる。
尤も『恥じただけ』であり、予定自体を変更するつもりはないのだが。
彼女は取り繕うように咳払いをすると、干からびた虫の死骸のような気配をした少年に云い直した。
「うちのお嬢様は、色々なところでトラブルを呼び込み――コホン、何故か逆恨みをされることが多い御方なので、『もしも』のときに動ける人間でないと、傍に居るのは難しいのです。なので少し、キミの機転というか、戦闘能力をですね、ちょっと確かめてみたいなと思ったわけでして。別に虐待をしたいとか、そういうのではありませんし、他意があるというわけでも……ええ、本当に無いのですよ、ええ」
湖のほとりに、シラけた空気が蔓延する。
悲しいことに、既に彼女はこの場にいるメンバーの大半に、『残念な人』という判定を受けてしまっている。
「あのー……。ちょっと良いですか……?」
おずおずと手を挙げたのは、今の今まで実の娘のお尻に平手の雨を降らせていた女性である。
(ん? このパフォーマーの方と、泣き叫んでいる女の子はソックリですね? 年の離れた姉妹か、叔母と姪の関係かしら……?)
リュシカ・クレーンプットの容貌は、大変に若々しい。未だに十代の少女にしか見えない。
なので早婚が多いこの世界の住人からしても、即座に『親子』という関係に結びつけることは難しかったようである。
「えっとぉ……。私の息子に戦いを挑むのは、流石にやめてあげて欲しいんですけどー……。私のアルちゃんは天才だけど、まだほんの子どもなので」
「えっ、息子さんっ!? ヴル――コホン、その子、まだ小さいとはいえ、それなりの年齢ですよね!? 一体、何歳の時のお子さんなんですかっ!?」
女魔術師の言葉に、リュシカ・クレーンプットはニコニコとしている。いくつになっても、女性は若く見られることが嬉しいらしい。
彼女は機嫌を良くしたまま、実の息子にキラキラスマイルを差し向ける。
「アルちゃん! この人、良い人だわっ! 少しだけ、胸を貸してあげたらどうかしら?」
シラけた視線が、今度はリュシカに移動した。
エスメイは彼女を、残念な人のようだと考えた。
この場にいる人間族の中で最年長のシャーク・クレーンプットは、仕方ねェと呟いて、孫とエスメイに云う。
「アル。相手してやれ。この手のヤツは、ゴネると長いぞ? ――どうやらお前の正体を知っている上で、戦いを挑みたいみてぇだからな」
アルトも女魔術師も、同時に驚いた顔をした。
尤も、その内容は大きく異なってはいたが。
くたびれた雰囲気の少年は、「えっ、止めてくれないの!?」という、ショックに近い驚愕であり、他方エスメイのほうは、「何で『知っている』って知っているの!?」という驚き方なのであったが。
しかし、『何で』というのは愚問である。
冒険者ギルドの執行職として、日々不正の調査や、誤魔化し・揉み消しを企む嘘つきたちの尋問をこととするシャークにとって、彼女の態度は、あまりにもあからさまであった。
また、似たような理由で、他者の『演技』を日常的に見ているフレイも、彼女のウソを即座に見抜いている。
シャークは続ける。
「――力比べは、安全なものにしてくれや。じゃねぇと、保護者のひとりとしては、承諾しかねるぜ?」
「ならば、プッシュでどうでしょう!? あれなら、ちょっと吹き飛ぶだけですし、比較的安全ですよ?」
勝負が出来るということで、エスメイは既に笑顔になっている。
彼女は、自分の魔力量には自信があった。
魔術師の中でも、多いほうだろうという確信があるのだ。
彼女の目的は、ヴルストに自分を売り込むこと。
プッシュを通して自らの魔力の『圧』を体験して貰えれば、きっと驚くだろうと思っている。
「……だ、そうだが? どうする、アル? 仮に吹っ飛ぶようなことがあっても、すぐに回り込んでキャッチしてやれるが?」
「はぁ……。――まあ、プッシュなら……」
安全であることと、長引くようなものではないことが、アルトの態度を決定させた。
ついでに云えば、息子に話題が移ったことと、リュシカ本人の機嫌が良くなったことで、クレーンプット家の長女様が、お仕置き地獄から解放されたことも、祖父の案に乗った理由でもある。
彼は泣きながら駆けてきた自分の妹の銀髪を撫でつけている。
「さあ、格好良いおにーちゃん……っ! 私のために、力を見せて……? イケメンなら、とっても強いんでしょう……っ!?」
ステファヌスが強いとか初耳ですけどね、と、アルトは胸中で呟いた。
仕方なしに、よっこいせと立ち上がる。
「えっと、じゃァ、やりますか?」
「ええ。お手柔らかに。ゆっくりと押すくらいにしましょう。万が一とはいえ、ケガがあったら大変なので」
両者は鈍重とも云えるスピードで魔力を展開する。
互いに、相手を傷つけるつもりは無い。
吹き飛ばすつもりもない。
少し後ずさるか、場合によっては尻餅をつく程度を想定している。
――だが、やる気だけは決定的に違った。
(さあっ、栄えある黒猫魔術団の主催者よ! 私の魔力量を、見てちょうだいっ!)
彼女は、全力で魔力を開放した。
※※※
私はゆっくりと。
けれども、全力でヴルストを押すことにした。
相手は年少とは云え、稀世の天才、不世出の大魔術師。
ケガをしないように手心を加える理由はあっても、手加減する必要は全くない相手である。
ありったけの魔力を開放!
それを、前に押し出そうとし――。
(は…………?)
動きが、止まった。
それは、山。
或いは、砦か。
天を突くかのような巨大な岩の塊でも、押しているかのような錯覚を覚えた。
『押す』という行為そのものが間違っているかのような、絶対的な無為。
自分が疲れるだけで、状況に何ら変化をもたらさないような、完全なる徒労。
もしも目の前に顔を真っ赤にし、脂汗を流しながら城壁を押している人がいて、「これを動かそうと思うんだ」と主張されたら、私はその人物を、ただのバカだと思うだろう。
そんな『バカの側』――巨大な岩山を押しているかのような感覚に、私は囚われた。
(は……? え……? 何これ……!? まさか、この『圧』全部が、この子の魔力なの……っ!?)
恐ろしさで、冷や汗が吹き出た。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……っ!
こんな……ッ!
こんな巨大なものが、存在できるものなの!?
まだほんのちいさな子どもが――ううん、これはそんな話なんかじゃなくて。
人間という種族の者が、天をも覆うかのような巨大な質と量の魔力を持てるなど、あり得ることなのだろうか……!?
「ぅ……っ、は……っ」
魔力を出し過ぎたからか。
それとも恐怖を覚えたからか。
私は息を荒げ、震えていた。
これは、人なんかじゃない。
そんな次元に、いるものではない!
ちょっと人より頭が良いとか、術式の構築が器用だとか、そんなレベルじゃなくて――。
あり方そのものが、まるで違っていて――。
「――おい。大丈夫か?」
「え……?」
気がつくと、ポンと肩に手を置かれていた。
それがシャーク・クレーンプットの大きな掌であることだとわかったとき、私は自分が、いつの間にかへたり込んでいたことに気がついた。
「あ……? 私……?」
「決着は付いたようだな?」
執行職の言葉に、現実を突きつけられた。
文字通りに私は、『為す術無かった』のだ。
ポカンとして見上げる私に、少年は心配そうなそぶりを見せる。
「あの、大丈夫ですか……?」
そう確認する彼に。
「き、キミは――魔術で難儀していることは、あるんですか……?」
答えになっていない答え。
意味不明な質問を、私はしていた。
魔術師ヴルストは一瞬だけ不思議そうにした後。
「……ビー玉一個じゃ、出来ないことが多すぎる」
ぼやくようにして、理解不能な一言を呟いたのだ。




