第六百六十七話 ある宗教の話
こんな状況だが、ぶたれるのはイヤなので、認識強化の魔術を使う。
スローモーションのように感じられる世界で、敵対者と周囲を窺う。
うん。
相手のチンピラさんは、頭に血が上っているのか、全力で拳を振り下ろして来ているね。
怒り狂った顔はしかし、どこか悲壮感も感じられる。
まあ、一方的に面食いちゃんにコキ下ろされたんだから無理もないが。
でもだからと云って、大の大人の握り拳を喰らってあげるわけにもいかない。
大ケガしちゃうからね。
一方、他の人たちは――。
(誰も助けに入る気配が無ぇっ!)
いや、正確にはヤンティーネとシャーク爺さんは、既に武器を握りしめているから、本当に俺や面食いちゃんがヤバくなれば横入りしてくれそうだが、なんとなく静観されてる気もするぞ?
なんていうか、『アルトなら、どうとでもするだろう』という、あまり嬉しくもない方向性の信頼をされているのではないか?
(いやまあ、確かにこれくらいなら、自力で何とか出来るけどさァ……)
腕の中には、絶賛睡眠中のフィー。
腕に張り付くのは、こんな状況であるにも関わらず、爛々とした期待の瞳で俺を見つめているエトホーフト交易代表の娘さん。
ブン殴りに合わせてカウンターも出来るけど、万が一にも暗器の使い手とかだったら困るし、回避に専念しておこうかな?
と云うわけで、色々と逡巡したが、後方へとジャンプ。
妹様を片手で抱き直し、フリーになった手でミュゼを持って移動した。
デネン家の手下の振り下ろした拳が、空を切る。
充分な距離を取れているので、連撃が来ても対応は出来るだろう。まあ怒りにまかせた大振りの一撃なんで、追撃なんて来ないんだけどね?
「格好良いおにーちゃん、素敵……っ。イケメンな人は、何をやってもサマになるのね……。それに対して、ブ男のみっともなさと来たら……! 子どもひとりを捕まえることも出来ないなんて……っ」
煽らなくて良いから。
ほらァ、残りのふたりも、目がマジになっちゃってるじゃんかー……。
三対一……? になれば、流石にティーネか爺さんが助けてくれるかな、と思ったら、別の方向から声がした。
「お前たち、何をやっている!?」
何だか聞き覚えのある声だなと考えた矢先、ブレフが表情を輝かせた。
「スヴェンさんっ!」
うん? スヴェンさん……?
(あー、あの、屋台がチンピラーズに襲われているときに出てきた、腕利きの冒険者か。確かその後で、路地裏で変なのと斬り合ってケガしてた人だよね?)
革鎧姿で帯剣しているところを見ると、その後は後遺症もなく復帰できているのかな?
しかし彼の胸元を見て、動きが固まる。
スヴェン氏の胸元には、ワッペンのようなものが縫い付けられていたのである。
しかもそれは――。
「メジェド様っ!?」
思わず、声を上げてしまった。
その一瞬にスヴェン氏が嬉しそうに震えたように見えたのは、俺の気のせいだろうか?
彼は、俺たちとチンピラーズの間に入り込む。
「お前たち、何をしているのだ? まさか、いたいけな子どもに暴力を振るおうとしていたのではあるまいな?」
因縁のある相手の登場に、男たちは呻き声を上げて怯んだ様子を見せた。
けれども自分たちに『理』があると思ったのか、すぐに気を取り直して怒鳴り返した。
「そ、そいつらは『いたいけ』なんかじゃ、絶対にねぇッ! 片や容姿に対して暴言を吐く差別主義者、片やはロッコルの実の果汁を目に飛ばしてくる悪魔だッ!」
酷い云われようだァ……。
しかしスヴェン氏は、「そんな邪悪な所業を……?」とか呟きながら振り向いてくる。
「おう。スヴェン」
「シャーク隊長っ。そういえば、今日はギルドを休んでいるんですね? 執行職のほうは、ルーカス副隊長が?」
「まあな。出来る部下を持って、俺は幸福だぜ」
爺さんの言葉に、壮年の冒険者は苦笑する。
グランパの口ぶりと彼の表情から察するに、仕事を押しつけたのかな?
ちなみに俺の前世は、押しつけられるほうね。
あ、向こうではさっきまで笑顔だったフェネルさんが、死んだ魚のような目をして震えている。
あの人も、仕事に押しつぶされる側だからなァ……。
「――それで。これは一体、どういう状況なんです?」
スヴェンさんの言葉に、全員が押し黙る。
誰がこの酷い状況を説明できるというんですかね?
※※※
「事情はわかった。――いや、サッパリわからん……」
話を聞いたスヴェンさんは、難しそうな顔で腕を組んでいる。
まあ、発端がメチャクチャだったからね。まともな人ほど、意味が不明な現象だろう。
彼は、男たちに振り返る。
「――が、どんな事情であれ、子どもに暴力を振るおうとしたことは、捨ておけん」
「暴力じゃねェッ! 躾だッ! 口の利き方を知らんクソガキに、教育を施してやろうと思っただけだッ!」
「ブ男に教わることなんて、何もない……。というか、まずは醜いことが害悪だと自覚すべきだと思うの……。自分で自分を教育して来て……っ」
ちょっとォッ、面食いちゃんっ! これ以上、問題をややこしくしないでよォッ!?
スヴェン氏もそう思ったのか、こちらに実害がなかった故だろう、男たちに、もう帰れと促した。
チンピラーズも腹に据えかねているようだが、ここにはスヴェン氏どころか、セロの街最強の男・シャーク爺さんがいる。
契約うんぬんの話もあったろうが、我が家の筋肉ダルマを見てスゴスゴと引き返していった。
「ふ……。正美は勝つ……っ!」
謎のドヤ顔で勝ち誇る面食いちゃんよ。
仲介をしてくれた冒険者さんも、「ほどほどにね?」と困り顔だ。
「冒険者のお兄さんはギリギリ格好良いから、まあ聞いておいてあげる……」
スヴェン氏でギリギリなんだ……。要求レベル高いなァ、この子。
小規模の台風はこうして収まったが、今度はそのタイミングで、眠り姫がお目覚めになられた。
「んゅ……? にーた……?」
うすうすとおめめを開かれる天使様は。
「ふへへぇ~……。にぃただぁぁ……っ!」
こちらの存在を認識すると、すぐにとろけきった笑顔でキス(よだれまみれ)を繰り出してきた。
「ふへ……っ、ふへへ……っ! 目が覚めて、すぐ目の前に、にーたがいる……っ! ふぃー、それ嬉しい! ふぃー、それ幸せ! ふぃー、にーた好き……っ!」
ちゅっというキス音じゃなくて、びちゃっ、ぐちょっ、なのは前述の如く、よだれまみれだからだよ。
しかしそんな妹様は、スヴェン氏を見て、青いおめめを見開いた。
「みゅぅ……っ! メジェド様……っ!?」
そして、すぐに俺に振り返る。
「にーた、大変っ、大変なのっ! そこに、メジェド様がいる!? あれ、ふぃーも欲しいっ!」
マイエンジェルの発言に、壮年の冒険者は心底嬉しそうな顔をした。
「キミ、メジェド神に興味があるのかい? それは大変に素晴らしいことだ……!」
その言葉に眉を顰めたのは、しれっと俺の肩に寄り添ってきた軍服ちゃんである。
「何を云っている。今や、かの神の存在は、セロにとっての頭痛の種だよ」
「どういうこと?」
そもそも俺、何でスヴェン氏がメジェド様のワッペンしてるのかも知らないし、フレイがイヤそうな顔をするのかもわからないんだが……?
そんな俺に、スヴェン氏や軍服ちゃんが、説明をしてくれた。
「――え……? 宗教で揉めてんの?」
聞いた話をおおざっぱにまとめると、そういうことになるらしい。
大元は、このセロに『元祖メジェド教』が出来たことだ。
あ、『元祖』と付いたのは、後からなんだけどね?
元の名前は、『メジェド様かっけぇ教』だったみたいだし。
ともあれ、セロで数々の奇跡を起こし、実際に多くの人々を救ったメジェド様は、この地から始まる宗教の権威となった。
かくいうスヴェン氏も、路地裏の死闘でメジェド神に命を救われ、以降、忠実な信徒になったのだとか。
一方、時を置いて南大陸でも『メジェド教』が興る。
こっちはアレだ。
エイベルと一緒に南方に赴いたときの『泥事件』。
アレの影響であるらしい。
セロも南も、自分たちこそが真なるメジェド様の使徒であると云って譲らない。
結果として、このセロが『元祖メジェド教』。
南大陸のものが、『本家メジェド教』と相成ったわけだ。
その後も地味に信者を増やしているこの両メジェド教は、互いに互いを『偽物』と罵り合いながら、勢力を拡大しているのだとも。
この壮年冒険者が付けているワッペンは、その『元祖メジェド教』の信徒の証なのだという。
俺やフィーが興味を示して喜んだのは、『信徒獲得のチャンス』と思ったからなのだろう。
フレイは、俺の耳たぶにキスするかのような囁き方で云う。
「それだけではないぞ? メジェド神は、至聖神の教会から、正式に『偽神』と認定されている。故に、教会勢力との間にも、軋轢が出来つつある。このセロで、そんな揉め事は起こって欲しくないのだけどね」
成程。
それは軍服ちゃんが懸念を抱くわけだ。
この子、誇り高い貴族としてセロの安寧を常に願っているからねぇ……。
しかしスヴェン氏は、どこ吹く風だ。
「フン。正しき教えとやらを語りながら、一切の救済を与えてこない教会風情が、何を云う? このセロも、そして南大陸の奇病も、実際に救ってのけたのは、我らが神たるメジェド様だけだ。言葉の上だけの存在と、実際の奇跡を示される我らが主と、どちらが正しいかは議論の余地がないではないか」
凄いなァ……。
この人、ガチモンでメジェド様に染まってんじゃん……。
しかし、万が一にも黒猫魔術団でセロや南へ行くときは、注意しないとね。メンバーのイフォンネちゃんって、熱心な教会の信徒だし。
そしてここに、怒り心頭な幼女様がひとり……。
「メジェド様はふぃーとにーたのものなのーーーーっ! 他の人、勝手に使う、それ、めーなのーっ!」
この子の中では、メジェド様のオフィシャルは、クレーンプット兄妹だからなァ……。
でも、ここまで騒動が大きくなった今、名乗り出るわけにはいかないからね。
墓の中まで持って行くべき案件よ。
そしてこんな様子など気にもとめていないのが、我らが、面食いちゃんである。
「格好良いおにーちゃん……。不細工な神のことなんてどうでも良い……。私と遊んで……?」
ついついと俺の服を引っ張るミュゼ。
けれどもそれに反応する人たちもいる。
「いや、アルト。キミのエスコートは私の役割なのだから、こちらの相手をして貰わないと困るぞ?」
「めーっ! にーたはふぃーのなの、近付く、めーなのーっ!」
「にー、まーく、あきゅっ!」
「アルー。つまんない話は終わったかー? さっさと俺と、試合しようぜーっ?」
だからさァ。
何で俺がもみくちゃにされる結果になるわけよ?




