第六十七話 エニネーヴェの決断
「……おじい、さま……。それに、エイベル、様……?」
外見通りに幼い声が、祖父と高祖に向けられる。
多分、今目覚めたのだろうが、随分と弱々しい。
「お、おぉぉ……、エニ……!」
スェフは慌てて駆け寄って孫娘の手を握った。
繋いだ掌からは淡い光がこぼれているが、あれが生命力譲渡なのだろうか。
しかし、エニネーヴェは右手を引っ込めようとする。
「お爺様、もう良いのです……。このままでは、お爺様が倒れてしまいます……」
「私は大丈夫だ。さ、しっかり手を掴むんだ……」
老人が無理をしていることは、傍目にもすぐに分かった。
レァーダの云う通り、このままでは共倒れの未来以外にないのだろう。
俺はエイベルを部屋の端っこに引っ張っていって、小声で問いかけた。
「ねえ、エイベル。あの子、何とか助けてあげられないの?」
「……核が損傷している以上、助けることは難しい。それに、既に身体の大半が消滅している」
「ポーションは効果ないよね?」
「……ポーションは基本的に『肉』を治すもの。エニネーヴェの身体を構成しているのは、殆どが雪と氷で、効き目が薄い」
「雪? あの子、氷精じゃないの?」
「……祖父のスェフは氷精だけれども、その妻は雪精。そしてスェフの子でエニネーヴェの親も雪精と結婚したはず。あの子の割合は、氷よりも雪が多い。だからエニネーヴェ自体は雪精に分類される」
ははぁ、ミックスの場合は割合で種族が決まるのか。
しかし、雪ね……。
その言葉を聞いて、俺はレァーダに渡した雪の魔剣に視線を向けた。
あれを使うことは出来ないのだろうか?
「雪の魔剣で身体を再構築出来たりはしないの? 欠損を補えるとか何とか、確かレァーダが云ってたと思うんだけど」
「……確かに欠けた身体を高濃度の魔力の籠もった雪で再生できるのが雪精の強みではある。けれどそれは、核を治せることを意味しない。核が損傷していれば雪精は死に至るし、再生能力も発動しない」
「じゃあ、核が治せないと、どうしようもないってことか」
「……そうなる。私は核を治す手段を知らない。それはスェフたちも同じだと思う」
それはそうだろう。
核を治せるなら、とっくに治しているに違いない。
そうこうしているうちに、エニネーヴェが弱々しい声を出した。
スェフが真剣に聞き入っている。
「……お爺様。おねがい、が、あるの……」
「何だ、エニ。どんなことだって、云ってごらん」
「……氷を、たべたいの、です……。おいしい、こおり、が……」
「あ、ああ! 食欲が出たのだね! 任せておきなさい!」
スェフは弱々しい顔に喜色を浮かべて、勢いよく立ち上がった。
フラフラしていて危なっかしい。
「ご主人様、氷でしたら、私が」
使用人が声を掛けるが、総族長は首を振った。
「いや、私の宝物庫に聖湖の大結氷があったはずだ! それを取ってくる!」
老いた氷精はよたよたと部屋を飛び出していく。
それを見送ると、エニネーヴェは息も絶え絶えになりながら、園長の名前を呼んだ。
「れ、レァーダ、さま……」
「何だ……?」
神妙な面持ちで少女に近づく。
エニネーヴェは、幼い顔に悲壮な決意を湛えて云った。
「わ、わたし、を……。送っては、いただけません、か……?」
「な、何を云うの、エニネーヴェ! それがどういう意味か、分かっているの!?」
驚愕するレァーダに対し、幼い精霊は笑顔で頷いた。
「こ、これい、じょう……。おじいさ、まに、迷惑は、かけら、れ、ません……。わたし、はもう、助かりません、から……。お爺様を、まきぞ、いに、したくは、ないの……」
だから氷が食べたいといって遠ざけたのか。
祖父のいないうちに、この少女は自分の人生を終わらせるために。
「お爺様は、とっても、やさ、しいのです……。だから、ふた、ん、かけたく、ないんです……。お父様も、おかあ、さ、まも亡くなって……。もう、わたし、しか、いな、いから……。だから、おじい、さま、あんなに、必死に……」
「それは違うわ、エニネーヴェ。総族長は貴方が好きだから、救おうとしたの」
レァーダがそう云うと、雪精の少女は弱々しい笑顔で頷いた。
「それ、も、知ってい、ます……。だから、よ、けいに、ツラいんです……。レァーダさま、どうか、わたしを……」
「――――」
氷精の園長は苦悶の表情を浮かべた。
助からない命を無理に延命させることの愚を説いていた彼女でも、矢張り直接手を下すというのは、別の話であるらしい。
俺だって、そんな役目を引き受けたくはない。
「……私が貴方を手に掛けて、総族長が納得するとは思えない」
「……はい。それ、は、わかって、います……。ですの、で、エイベル様……」
唐突に名前を呼ばれたアーチエルフは、しかし表面上は一切動じた様子もなく、エニネーヴェに近づいた。
「……何?」
「レァーダ様が、して、くださって、こと、は……。わたしの、意志、であったと、説明、して、ほし、いんです……。エイベル様の、おこと、ばな、ら、おじいさ、まも、きっと……」
「……貴方はそれで良いの?」
返事の代わりに、エニネーヴェはにっこりと笑った。
使用人の女の子が、膝をついて泣き声をあげる。
この家に仕えている以上、他の者よりも遙かに思い入れがあるに違いない。
俺は思わず自分の妹を見つめてしまった。
もしもこの娘に何かあった時、平静でいられるだろうかと。
フィーは俺の視線に気がつくと、ちいさく首を傾げた。
「にーた、にーた。あのこ、びょーきなの?」
「ん? そう……だな。具合が悪いみたいだな」
「おむねの、まあるいのがこわれてるから?」
「フィー、お前、あの子のコアがわかるのか?」
「こあ……? あのまあるいの、こあいうの?」
俺には崩れかけた身体の外側しか視認出来ない。
触って魔力を流せば核の状況が分かるだろうが、ここからでは無理だ。
ハトコのシスティちゃんの保有魔力にも気付いていたことがあったし、どうやら我が家の妹様には、魔力に対する鋭敏な感覚があるらしい。
(そうか……。そういえば核って、ようは魔力の結晶か)
だから気付いたのだろう。
普通、魔力は触れねば知覚できないはずなのだが。
フィー曰く、何となく感じられるんだそうだ。
エイベルのように知覚も視認も自由自在とまでは行かないが、それでも驚異的な才能であることは事実だ。
「あのこの、こあ、これからなおすの……?」
逡巡しながらもある種の結論に到達しようとしているレァーダを見ながら、フィーが訪ねた。
幼いこの娘には、あの子を送ることの意味もツラさも、分かっていないに違いない。
「治すと云うか……。楽にしてあげる感じかな」
それが救いだと云い切るのは無理があろう。
けれども、ベターであると思う以外に無いのも事実だ。
祖父が力尽き、あの子もなくなりました、では、誰一人幸せにはなれない。
家族の悉くがいなくなって、ただひとりきりになる老人の苦悩までは、解決してあげることが出来ないけれども。
「あの、がらすみたいなおねーさんが、あのこをなおすの?」
「ガラスって、レァーダさんのことか? そうだな。そうなるな」
「あのひと、にーたみたいに、まりょくあつかえる?」
俺みたいに魔力を扱うって、根源にアクセスする能力のことだろうか?
ならば、それは不可能だと思われる。
エイベルは俺の素質を、「これまでに見たことがない」と評したことがある。知人のレァーダが使えるなら、そんな云い方をしないだろう。
俺がそう伝えると、妹様は、またまた小首を傾げた。
「それじゃー、あのこ、なおらないよ?」
「そう――だな。治せない。……だから、楽にしてあげるんだよ」
しかしフィーは、そのまま、とてとてとレァーダに歩み寄り、肩をぽんぽんと叩いた。
園長はギョッとして身体をビクつかせる。
「えっ? 何……?」
「そのこなおすなら、ふぃーのにーたに、おねがいしたほうがいーよ?」
「は……?」
「ふぃーのにーたなら、そのこ、なおせるよ?」
その言葉に、周囲だけでなく、俺自身も言葉を失った。




