第六百六十四話 湖畔でのひととき
横長なタイプのマンガの吹き出し――。
それが、『この国のかたち』である。
尤もこれは、幾分か乱暴な説明ではある。
似た例を挙げるならば、北海道を『菱形』と説明するようなものだからである。道民大激怒。
ただ、いかに道産子たちの怒りを買おうと『菱形』が北海道の形をある程度は表しているのと同じように、『マンガの吹き出し』という説明は、今俺が生きているこの世界、ムーンレインの形状を、ある程度は説明できているのも、また事実ではある。
では、何故『マンガの吹き出し』と表現したのか?
それは、『誰が喋っているのか』を表す、ちょこんと伸びた鋭利な部分。
この国にとっては、そこが要所なのである。
その『ちょこん』は、象の鼻のように、スルスルスルスルと大陸・南西方向へと伸びている。
そして僅かながら、大陸の端――海へと通じているのだ。
そう、この王国は、『海、持ちたる国』なのである。
海に面している部分。
そして、海とこの国の主要部分をつなげる『ちょこん』の部分は面積こそ少ないながらも重要視されており、従ってここを貴族に領地として与えることはなく、天領――王国の直轄地となっているのだ。
ムーンレインは、この部分を通して、海洋貿易などもやっているが、他の沿岸諸国や海洋国家と比べて、海軍力や造船能力が劣っている。
これには、海のほうにばかり労力や技術力を割いていられないという事情があるからなのだという。
まあムーンレインの大半って、内陸国みたいなものだしね。
だから国内で出回っている塩も、岩塩が主だ。
一方で陸軍の能力は結構高いみたい。
ムーンレインは北大陸有数の大国であって、単純に人口が多いというだけでも、充分以上に有利な条件ではあるのだろう。
そして国の端――東部地域や北西部、それから『ちょこん』を避けた南西部などには、この国の誇る五大侯爵家の領地がある。
つまり侯爵の仕事とは、『外敵の進入を阻む』という役割であるわけだ。
まあ侯爵家の当主たちは自領にいることはあまりなく、年間の大半を王都で過ごしているようではあるが。
一方で南東部――というか、この国の四分の一程度の広大な領域は、フェーンストラ大公家の領地となっており、半分、『国の中に国がある』状態となっている。
かつては南東方面に対する備えとして、フェーンストラ大公家と、本来の『南方担当』であるブルクハユセン侯爵家が共同で睨みを効かせていたが、今では同侯爵家が、大公家に対する『押さえ』を期待されているとかいないとか。
尤もブルクハユセン侯爵家の当主――あのライオンマンは、ベイレフェルト侯・カスペルの盟友であるから、国のお偉方たちは大公家対策ひとつを練るにしても、カスペル老人の鼻息もうかがわなければならない状況であるらしいのだが。
というより、あの老人が、それを見越して自分の影響力を高めるように仕向けたのだろうけれども。
この手の海千山千な手腕は、ステファヌス氏には無いものだろう。
時流を読める、まともな後継者が育つと良いですね?
一方で三公爵家の領地は中央部付近、王都を囲むように配置されている。
これは文字通りの『防壁』であり、外縁部を守る侯爵家が敗れ、国内に他国の軍がなだれ込んできた場合と、内乱があった場合の備えなのであるという。
まあ、六代前のムーンレイン王家とフレースヴェルク家の戦いのときのように、その『防壁』が頼りない場合もあるのだが。
――そして、セロだ。
王都傍の大都市。
首都を守る最終防衛地点のひとつであり、出城的な役割も併せ持つ。
もしもの場合は、セロと王都が相互に連携をして敵に当たる――ということになっている。
街道がやたらと整備されているのも、その辺が理由なのだろう。
故に、この都市の役割は重要。
ぶっちゃけ外縁部を守る侯爵家や、中央部を守護する三公たちが奮戦したとしても、セロが裏切って王都を直撃すれば、大国ムーンレインといえども、一瞬で瓦解しかねない。
その点、現領主たるアッセル伯・ダミアンは律儀者と評判であるから、ダミアンが伯爵家当主である限りは、安心でいられるのだろう。
二年前の大災厄で、伯爵閣下が無事で良かったですね。
俺の畏友たる男の娘、フレイが自らの出自に誇りを持っているのも、その身は子爵家でありながら、要衝都市・セロの守護を担当するという重責から来ているのであろう。
まあ、『もう一方』がデネン子爵家というのは、ちょいと心配だが。
さて、国や都市を支えるのは、貴族家だけではない。
当然、『民間』にもそれがある。
たとえば我が家が懇意にして貰っているショルシーナ商会なんかも、民間――と呼ぶには色々と影響力が強いが――であるし、このセロにも、お貴族様以外の屋台骨が存在する。
それが、『エトホーフト交易』である。
セロと王都間の輸送を担当する民間の商会であり、セロ近辺の村などに商隊を派遣したり逆に農作物や工芸品の買い付けを行ったりする物流担当会社でもある。
魔物や野盗が跋扈する街の外へと出て行くだけあって、交易会社自体もある程度の固有の武力を有するが、冒険者ギルドともよく連携を取っており、互いに『お得意様』なんだとか。
「エトホーフトはカッチリしてやがるからな。下手な冒険者を派遣すると、すぐにドヤされるぜ。逆に能力がいまいちでも、誠実で真面目なヤツなら歓迎されやすい傾向にあるな。ほれ、お前も知ってる、あのスラックス兄弟なんかも、よく輸送任務に駆り出されてるぜ?」
とは、筋肉ダルマな執行職様の談。
セロ湖の向こう側の岸で、今もオーリーフィッシュの水揚げが行われているが、あれも何割かがエトホーフト交易を通して、近隣に運ばれていくのだという。
「すぴすぴ……」
現在の俺たちは、湖のほとりで休憩中。
フィーは俺に。
マリモちゃんは母さんにだっこされながら、夢の世界に旅立っている。
ふたりとも、大はしゃぎしていたからなァ……。
暫くは目を覚まさないかもしれない。
システィちゃんは、簡易的なティーセットからお茶を淹れてくれて、皆に配って回っている。
気遣いの出来る良い子なのだ。
一方で、その兄貴のほう。
ブレフは十手を片手に、ティーネに声を掛けている。
「あんた、アルの槍の先生なんだろー? どのくらい強いんだー? ちょっと俺と、戦ってみてくれよー」
「お断り致します。私の任務はクレーンプット家の皆様の護衛です。街中といえど、気を抜いて良い理由はありません」
彼女は生真面目なので、ハトコ様の挑戦を受けてあげる気は無いようだ。
なおもブレフが食い下がっていると、ちょっと面倒くさそうにフェネルさんを指し示した。
「どうしても身体を動かしたいのであれば、彼女にして下さい。あの子はああ見えても、相当の使い手ですよ?」
「えっ!? ヤンティーネさん、こっちに話を振らないで下さいよ!? 私、ノワール様のだっこの順番待ちなんですから!」
テイマーハイエルフさんにとって、今回の旅は完全に趣味と息抜きを兼ねているので、それ以外にリソースを割く気にはならないようだ。
なお、ティーネの云う通り、フェネルさんは相当に強い。
ヤンティーネの家系は、元々は高祖直属の護衛騎士の血筋。
生え抜きの戦士であるので、並のハイエルフを超える力量を持つ。
そのティーネ曰く、フェネルさんと自分が戦えば、一対一ならば自分が勝つ。
「――ですが、従魔込みならば、私でもフェネルには勝てないでしょう。そして、彼女の本職はテイマーです。優れた従魔士に指揮される使役獣の強さは、通常の秤を大きく超えます。二年前の災厄を引き起こした人間の従魔士の率いた魔獣たちが良い例です。アレも、高い指揮能力によって、大きな災いとなりました。そしてフェネルの従魔・トトルの強さは、並の獣の及ぶところではありませんし、何より彼女自身がハイエルフ族でもトップクラスのテイマーです。ひょっとしたら、我らの種族の中で、ナンバーツーの従魔士かも知れません」
「ナンバーツー? じゃあ、一番は……?」
俺の問いに、フェネルさんが苦笑いを浮かべた。
「私の知る限りの最高の従魔士は、あろうことか本職が従魔士ではないんですよね。……片手間で、私を上回る能力を有します」
え、誰それ?
そんな凄いエルフがいるの?
そう考える俺に、ティーネが淡々と云う。
「うちの副会長ですよ」
あー……。
ヘンリエッテさんかァ……。
あの人、本当に凄いんだな。
ほっぺつつくのが好きな、優しいおねぃさんってイメージしか無いんだが。
俺を見ながら、フェネルさんが肩を竦める。
「あの方に気に入られているのって、本当に凄いことなんですよ? ヘンリエッテ副会長、物腰は柔らかいんですが、誰に対しても、ある程度の距離を置かれる方なので」
「それを云い出すならば、アルト様は高祖様の大切なご家族ですからね。そういう扱いのほうが、本来はあり得ないことですよ」
ティーネもそんなことを云う。
そういえば、エイベルも凄い人なんだよね。
俺にとっては家族であると同時に、『可愛い子』枠なんだが。
ハイエルフズとハトコ様の遣り取りを見て、行きの馬車の中でそんな会話をしていたことを思い出した。
静かになった湖畔で、そんな風に思っていると――。
「ふふ……。しかし、キミとこうして寄り添えるのは、良いものだね……?」
文字通り、女の子座りして俺に肩をひっ付けている軍服ちゃんが、平和を噛み締めるかのような物云いをする。
「私も貴族家の端くれだからね。家での勉強や声楽隊での稽古にも忙しい。デネン子爵家の調査もある。だから、こういう伸び伸びとした時間は貴重なのさ」
まだ子どもだろうに、忙しいことで。将来、過労死とかしないでおくれよ?
俺の視線を受けて、彼女は歳不相応に妖艶な笑みを浮かべる。
「キミの周りには、常に誰かしらがいるからな。今だけは、私の独り占めだ」
いや、寝てるとはいえフィーもいますし、システィちゃんも傍らにいるんですが。
そう突っ込もうとした矢先、急に背後から、ちょいちょいと服を引っ張られた。
(うん……? 誰だ……?)
ちびっ子たちは寝ているし、ハトコ様たちは視線の範囲内にいるし。
振り返って、驚いた。
「え……? キミは……!?」
その姿、忘れもしない。
ほんのちょっとの出会いしかなかったけど、無闇矢鱈とインパクトのあった子だから。
「お久しぶり……。格好良いおにーちゃん……」
面食いちゃん、再び。




