第六百六十話 セロへの道行き
「アルトきゅぅ~ん、里帰り、楽しんできて下さいねー……?」
セロ及び南大陸の海への旅行、その出発の日だ。
見送りは駄メイドのミアのみ――と思いきや、ずっと向こうの方の物陰で、異母妹のイザベラ嬢が寂しそうな顔を覗かせている。
ちょっと手を振ってみると、すぐにどこかへ隠れてしまった。
「むむーっ、残念ですねー、無念ですねー。アルトきゅんの傍には、姉であり専属メイドである、このミアお姉ちゃんがいるべきなんですけどねー……!」
何が悲しくて旅行の間中、変質者を傍に置き、貞操の危機を迎えねばならんのか。
このように、私的な理由で落ち込んでいるヴェーニンク男爵家の三女様。
一方で、上機嫌の方もおられるわけで。
「ふっふふ……っ! 押し寄せる仕事の波と無縁のままに、クレーンプット三兄妹を好き放題出来るこの大旅行を、私は一日千秋の思いで心の底から待ち望んでおりました……っ! あぁ……っ、フィーリア様のほっぺ、柔らかい……」
ほくほく顔で妹様を抱き上げて頬ずりしているのは、ショルシーナ商会局長にして子ども好き従魔士・フェネルさんである。
彼女は今回の里帰りにも同行してくれるが、それが一応は『仕事』だということに気付いてはいないらしい。
まあ仕事の忙しさから来るストレスのキツさは、俺自身も身をもって知っているからね……。どうぞ癒されて下さいとしか云いようがない。
同行メンバーは、いつも通り。
我らクレーンプット家の五人に、御者のフェネルさんと護衛のヤンティーネの計七名。
いや、従魔のトトルも入れれば、八名か。
「馬車の中では、このフェネルめが付きっきりでお子様方のお世話をさせていただきますので、どうぞご安心を……っ!」
御者役が操縦席に不在だと、馬車が動かない気がするんですが、それは。
ともあれこうして、今年の里帰りが開始されたのであった。
※※※
カッポカッポと、のどかに馬車は進む。
セロへの道程は、二日間。
その間は、平和そのものだ。
と云っても、退屈なのではない。
賑やかな家族がいるので、始終楽しい。
もちろん、合間合間に勉強もする。
エイベルだけでなく、フェネルさんも見てくれるのが新鮮だった。
彼女、大企業の重役だけあってか、教え方が上手い。
教師にも向いていますねと云ってみると、従魔士様は真剣な顔でうむむと考え込んだ。
「……私塾を開くのも有りですね……。子ども相手に教えるのは、私も望むところですので」
彼女の言葉に、ハイエルフの女騎士が眉を顰める。
「アルト様、フェネルをあまり誘惑しないで下さい。この子、気持ちが傾くと本当に商会を辞めてしまいかねませんので」
ショルシーナ商会も、微妙にブラックっぽいからなァ……。
忙しくなさそうなのって、あの酔いどれダメエルフくらいしか知らないし。
まあ、余計なことは云いませんがね。
商会を忙しくさせている理由の一部って、バイエルンとかエッセンとかプリマとか、あとヴルストとかいう奴らのせいだし。
俺まで『一味』だと思われたら、たまらんわい。
皆さん、身体を壊さない範囲で頑張って下さい。
「にぃたぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああぁぁああぁぁ~~~~っ!」
青空の下での勉強が終わった妹様が、元気よく抱きついてくる。
家族でお出かけすることが大好きなマイエンジェルは、もう旅の間中ずっと、お日様みたいにご機嫌だ。
「ふへへ……っ! 旅行、とっても楽しい……っ! ふぃー、にーた好きっ!」
「ふふふー……っ、良かったわね、フィーちゃん。――ノワールちゃんも、旅行は楽しい?」
「あきゃっ!」
マリモちゃんも、上機嫌。
愛娘たちを連れている母さんも、周囲を見渡しながら云う。
「安全安心な旅だと、気楽でいられて嬉しいわー」
「…………」
そんなマイマザーの言葉に、ティーネは静かに目を伏せた。
何だろう?
何かあったのかな?
俺はそっと槍術の先生に近付いて、今思ったことを訊いてみた。
彼女は云う。
「いえ、危険はどこにでも潜んでいるものですから、油断をしないようにと我が身を引き締めただけです。本来ならば皆様にも『気を抜くな』と注意を促すのがスジなのでしょうが、久々の旅なのですから、あまりそういったことを気にせずに行程を楽しんでいただきたいとも思いまして……」
成程。
護衛には護衛の悩みがあるらしい。
フェネルさんもこちらにやって来て微笑む。
「クレーンプット家の皆様をお守りするだけでなく、のびのびと楽しんで頂くことも我々護衛のお仕事ですからね。周囲に怯え、警戒しつつ進む旅なんて、お子様たちには味わって欲しくないんですよ」
従魔士さんは、俺とフィーの頭を同時に撫でた。
この国の中心部のすぐ傍であり、日に何度も見回りの騎士や冒険者を哨戒の任に付かせている主要街道であっても気を緩めていないのは、流石というべきなのだろうか。
するとそんな俺の胸中を読んだのか、フェネルさんは苦笑しだした。
頭を撫でる手は止めないままに。
「商会店舗でも、警備部の巡回員の目の前で堂々と盗みを行う者もおりますからね。『まさかここで?』というのは、考える意味がありません」
ティーネも年下の上司の言葉に頷く。
「輸送や護送任務のときも、わざわざ警備が厳重なときに襲いかかってくる妙な連中もたくさんおります。世の中には理解の及ばぬ者も多いのですよ。ですので、このような場所でも気を抜くことは出来ません」
どうやら護衛役のふたりの警戒理由には、『生真面目さ』とか『責任感』以外のわけもあったようだ。
でも確かに、『え? このタイミングって正気か?』みたいなときにアクションを起こす人もいるからね。
機を窺わず行き当たりばったりに行動するからそうなるのか、致命的に運がないだけなのかは知らないが、このような比較的安全圏であっても不意の――そして不可解な襲撃を考慮してくれているのは、女性ばかりの家族を持つ身としてはありがたい。
「はい、はーいっ!」
そこに、元気よくおててを挙げる銀髪の少女がひとり。
「ふぃー! ふぃーが皆を守るのっ! ふぃー、家族大事! にーたが大好きっ! だからふぃーが、大切な皆を守ってあげるのっ!」
「そっかー……。皆を守ってくれるのか。フィーは優しいな?」
「ふへへ……っ! ふぃー、褒められた! 大好きな人を守る、それ当然のことっ! にーた、好き……っ!」
ぷちゅっとキスされてしまう。
家族思いの良い子に育ってくれて、兄ちゃんは嬉しいよ。
フェネルさんはそんな兄妹の遣り取りを見て苦笑した。
「守るべき御方のほうが遙かに強いというのは、アルト様も我々も同じですね?」
局長様とティーネの視線の先には、母さんに蹂躙されているエイベルの姿。
まあ、『思い』と『強さ』は別だからね。
(ありゃ? エイベルが、こっちに来るぞ……?)
マイマザーから逃れたお師匠様が俺たちのほうへ来た。
そしてティーネに小声で、何事かの指示を出す。
「了解致しました。すぐに処理して参ります」
ポニーテールの女騎士は槍をつかみ、馬甲を纏った馬に飛び乗ると、そのまま街道を離れ、遠くに見える森のほうへと駆けていく。
俺は先生のローブをちょいちょいと引っ張った。
「エイベル?」
「……ん。賊」
お師匠様の回答は、シンプルだった。
探知魔術も魂命術も魔力感知もあるこの人は、いの一番に異変に気付く。
フェネルさんは肩を竦めた。
「うちのトトルよりも、気付くの早いんですからね」
ちいさなリス型の霊獣が彼女の胸元から出てきて、前方に立った。
これはうちの家族を守るために配置してくれたのだろうな。
(と云うか、本当に出たんだな……)
これを襲撃されたと云って良いものか――。
ともかく、賊が現れたというのは間違いではないのだろう。
何名現れたのかは知らないが、お師匠様がピリピリしている様子もないし、ティーネ単騎で向かわせたところを見ると、取るに足らない相手のようではあるが。
「……済んだ」
エイベルが呟く。
たぶん、魂が消えたのだろう。
程なくして、槍術の師が戻ってくる。
彼女は馬を下り、我々に一礼した。
「片付きましてございます」
「……ん」
彼女の持つ槍の穂先には、血糊は付いていなかった。
けれども『魂が消えた』以上、それを振るったはずで。
洗浄は済ませてきたということなのだろうか。
「既に周囲に脅威はありませんが、長く留まるのは避けたほうが良いでしょう。皆様、馬車にお乗り下さい」
予定よりも、少しだけ出発が早まった。
皆が馬車に乗り込んでいき、ティーネは再び馬にまたがる。
戻る前に、俺は彼女に訊いてみた。
「賊、どんなヤツだったの?」
「粗末な身なりをした中年の男たちでした。専業の盗賊というよりも、食い詰め者の集団に見えましたね。まあ、どちらであっても『女は犯し、ガキは売り払う』と云っていた連中なので、捕縛する価値もないと判断致しましたが」
彼女は、淡々と云う。
その様子に、俺は『慣れ』を感じた。
商会の仕事でも、そういう手合いは、しょっちゅう見かけるのだろう。
俺の周りは、常に平和で温かい。
けれどもそれは、きっと『当たり前』なんかじゃない。
色々な人に助けられ、その結果として、そういう景色が作られているということは、肝に銘じておくべきだ。
そして俺も、いつかは『その風景』を守る側に立ちたいと思った。
楽しい旅行の裏側や側面には、それを支えてくれる人たちがいる。
今の俺に出来ることは、そんな人たちに感謝をし、そして大切な家族たちと楽しく過ごすことなのだろう。
我が家が笑顔であることを、心から望んでくれている人たちがいるのだから。




