第六百五十九話 エイベルと干し柿
「ぶーぶーブタさん、ぶぅぶぶぅーっ!」
目の前で妹様が、おしりをフリフリ。
「もーもー牛さん、もぉももぉーっ!」
機嫌良さげに、おしりをフリフリ。
そのすぐ隣では、末妹様も、おしりをフリフリ。
「にゃんにゃんにゃにゃん、にゃんにゃにゃぁぁ~んっ!」
云うまでもないが、クレーンプット姉妹は、浮かれているのである。
理由は、出発する日の迫ったセロ&海へのお出かけ。
まずは毎年恒例の里帰りをし、その後に真っ直ぐ西の離れへと戻らず、エイベルの案内で南大陸側の海へと向かうことになっている。
(セロの湖には、シャーク爺さんと行くのか、軍服ちゃん姉妹――片方は男だが――と過ごすのかは、未だに決まってないんだけどね……)
うちの爺さん、毎年孫と遊びたがっているのに、一度も果たせずにいるからなァ……。
でもフィーは筋肉が苦手で、しかもバウマン子爵家の果物に弱いから、今年も分が悪そうだが。
「にーたっ! にぃたぁぁっ!」
「にーっ! あきゃっ!」
おしりをフリフリしていたはずの我が家の姉妹様たちが、満面の笑顔で駆け寄ってくる。
その頭上にはいつの間に取りに行ったのか、麦わら帽子が装備されている。
「ふへへぇ~……っ! にーた、にーた! 見て見てっ!?」
「きゃ~~っ! にーっ! にぃぃっ!」
どちらも、麦わら帽子をアピールしてくる。
フィーもマリモちゃんも、母さんに作ってもらった麦わら帽子が大のお気に入りで、こうして毎日のように褒めて貰おうとしてくるのだ。
もちろん俺は、その想いに毎回応えている。
妹を褒めるのは兄の特権であり、義務なのだから。
「ふたりとも、よく似合ってるよ、可愛いね?」
「ふ、ふへぇ……っ! ふぃー、にーたに褒められた! ふぃー、嬉しい! ふぃー、にーた好き! ふぃー、もっとにーたに褒めて貰うっ!」
「きゅふ……っ! きゅふふふふふぅ~……っ!」
妹様たちは顔を赤くしてデレデレだ。
「あらあら、ふたりとも良かったわね?」
などと母さんは第三者を装って云っているが、愛娘たちが自分の編んだ麦わら帽子を気に入ってくれたことに、ニマニマしていることを俺は知っている。今もほっぺがピクピクしてるし。
しかしこのように平和な光景も、ひょっこりと部屋を覗き込んできた駄メイド様の一言で崩壊する。
「アルトきゅん、アルトきゅぅん。お帽子も良いんですが、今日のおやつの甘味、もう切れてませんでしたかねー?」
ピシリと、空気が凍り付いた。
うちの女性陣は、先程までの笑顔が嘘のように青ざめている。
フィーはワナワナと震えだし、マリモちゃんは黒いおめめに涙をいっぱいに溜め、母さんは膝から崩れ落ちた。
そう。
本日分のおやつは、既に無いのである。
理由は簡単で、お昼ご飯のあとにデザートを食べ過ぎたから。
うちのメンツ、甘いものがあればあるだけ食べちゃうからね……。
(いや、まあでも――)
旅行に持って行くぶんのおやつも含めて、この後ヤンティーネとフェネルさんが商会から甘いのを持ってきてくれる手はずだから、落ち込むことがまずおかしいんだけどね?
しかしマイエンジェルは、泣きそうな顔で俺に縋り付いてきた。
「にーた、どうしようっ!? ふぃーたち、甘いの食べられないっ!」
ああ、うん。
フィーたちは、そうだね。
俺はあんまりお菓子を食べないから、自分の分は丸々残っているんだけどね。
「あ、あきゅぅぅ~~……っ!」
マリモちゃんも、俺にしがみついて震えている。
以前は普通の食事が出来なかったこの子も、今やすっかり甘いもの大好きっ子になっているのだ。
……え?
それはそれとして、俺の魔力も食べたいの?
あ、はい……。
「アルちゃん! アルちゃぁぁぁんっ! お母さんに、何か妙案を授けて……っ!」
そしてマイマザーまで抱きついてくる。
だからさ、母さん。
おとなしく待っておけば、ティーネとフェネルさんがお菓子抱えて戻ってくるってばさ。
悲しみに暮れるクレーンプット家の女性陣。
そんな状態に困り果てていると、外出していたうちの先生が戻ってきた。
「あ、エイベル。おかえり」
「……ん。ただいま」
マイティーチャーは、こんな状況を見ても何も云わない。
日常風景だとわかっているのと、余計なことを云えば自分が巻き込まれることも理解しているのだ。
案の定、そそくさと屋根裏部屋へ逃れようとするエイベル。
しかし彼女の背中に、柔肉の魔物がしがみついた。
「エイベルっ! 助けてっ!」
「……助けを求める立場なのは、今襲われている私のほうでは」
「甘いものがないの……っ!」
「…………」
ああ、無表情なのに、お師匠様の視線が冷たい。
彼女はもう、何があったかを大体察しているのだろう。
「……自分たちで食べ尽くしたものを、『無い』などと表現するのは違うと思う……」
「そんなこと云わないで……っ! 私たちを、飢えから助けてっ!」
「エイベルー、たすけてー!」
「あきゃっ!」
「…………アル」
次々としがみつかれて、悲しげに俺に救助を求める世界最強様よ。
しょうがないので、皆を引っぺがしてあげた。
「あぁ……っ!? 私たちの甘味が……っ! アルちゃん、何をするの……っ!?」
親友を『甘味』呼ばわりするのは、やめなさい。
「…………」
自由を取り戻したエイベルは、しかしそれでもゾンビのように手を伸ばしてくる友人と娘たちを見て、カツアゲされることに甘んじたようである。
「……仕方がない」
ため息混じりに、異次元箱を漁っている。
うちの先生も、大概甘いよね。
俺はお皿を用意してくる。
マイティーチャーがそこに乗っけたのは――。
「わぁ……っ! ドライフルーツね、これ……っ!」
「しわしわっ! しわしわの果物……っ! ふぃー、初めて見たっ! にーた、だっこ!」
「きゅふっ!」
母さんたちが、目を輝かせた。
そこにあるのは母さんの云った通り、栄養豊富で甘くて美味しい保存食。ドライフルーツであった。
リンゴにバナナ、アンズにプルーン……。
そして――。
(わ、干し柿だ。懐かしい……!)
こっちの世界に来てから、一度も食べてないからな、干し柿は。
「これ、エイベルの庭園の果物かい?」
「……ん。私の庭園で作られたもの。ただドライフルーツの大半はリュティエルが購入していくから、私の手元に残る数は、あまり多くはないけれども」
あ、妹さんの好物なんですね。
母さんは待ちかねたように、親友に炯々とした瞳を向ける。
「え、エイベル……っ! これ、貰っちゃって良いの……っ!?」
「……今更ダメとは云わない」
「やったーーーーっ! エイベル大好きっ! フィーちゃん、ノワールちゃん! エイベルによくお礼を云って頂きましょうね!?」
「はーいっ! エイベル、ありがとーっ! いただきまーすっ!」
「えーべ、あーとっ! あきゃっ!」
三人は勢いよく頭を下げて、それからドライフルーツに挑み掛かった。
その様子を、うちの先生は呆れながらも微笑ましいものでも見るかのような視線で眺めている。
彼女にとっては、こういうワガママも『幸せな風景』なのかもしれない。
「ん~~……っ! 甘くて美味しい……っ! 本当に美味しいわ~……っ!」
「ふへへ……っ! しわしわなの、美味しい……っ!」
「きゅ~……っ!」
相好を崩し、舌鼓を打つクレーンプット家の面々。
俺は亡者の群れから解放された先生に、頭を下げた。
「ごめんね、エイベル。貴重なおやつを」
「……別に良い。アルが気にすることでもない」
良かった。本当に気にしてなさそうだ。
親しき仲にも何とやらだ。
あまりこの人に、俺は迷惑を掛けたくないのよね。
そっと立ち上がり、冷蔵庫に向かう。そして手つかずだった自分のおやつを持ってくる。
それを、先生の前へと置いた。
「……これは?」
「プリン。恩師への献上品でございます」
「……なら、私からはこれを」
エイベルは、干し柿をくれた。
俺のプリンは失ったドライフルーツへの補填のつもりだったんだけど、恩寵を賜ったようである。
それも干し柿なのは、俺の視線に気付いてくれていたということなのだろうか?
「俺まで貰っちゃって良いの?」
「……あげたんじゃない」
「うん……?」
小首を傾げて先生を見る。
すると彼女はこちらを向かず、ちいさく俯いている。
「……アルと、その……」
お師匠様の顔は赤い。
「……こ、交換をしたかった……」
「…………」
エイベルにはエイベルなりの、楽しみ方があるようだった。
前世ぶりに食べた干し柿が美味しかったのは、きっと単純な味のせいだけではないのだろうな。




