第六百五十七話 進め! 黒猫魔術団!(その十六)
わたくしの名は、セルウィ。
ゼーマン子爵家、そしてイフォンネお嬢様にお仕えする、しがない戦闘メイドでございます。
わたくしの生家も王国貴族の末席におりますが、その権勢は主家たるゼーマン子爵家とは比べるべくもなく、また近年にわかに富者となったヴェーニンク男爵家と比べても、その財力は隔絶して劣っております。
そんなわたくしではありますが、多少の戦闘能力と縁に恵まれ、優れたお嬢様の専属従者となることが出来ました。
わたくしのお仕えするイフォンネお嬢様は、王国貴族きっての才媛でございます。
わずか十二歳で魔術免許を取得したことからも、その優秀さが伺えるかと思います。
しかも秘めたる魔術の才は実際の階級以上であり、もしもその道を選ばれていたとしても、大成したことは疑いありません。
しかし世の中には、上には上がございます。
イフォンネお嬢様とそのご友人たるミアお嬢様。
そしてわたくしも先程参加を許された魔術結社・黒猫魔術団を主宰される八歳の少年――アルト・クレーンプット様は、わずか七歳で段位魔術師に到達された、世に隔絶する大天才でございます。
彼に勝る才人と云えば、我が国の第四王女殿下以外には存在しないことでありましょう。
そのアルト様は、自らの業績の価値を理解されていないのか頓着しないのか、常に控えめで無駄に誇ることがありません。
わたくしが彼に初めてお目もじしたとき、その腰の低さと、朽ちた廃屋のようなあまりな気配に驚いたことを憶えております。
普通、あの年頃の少年はもっと快活か、或いは自らの成功に驕っていると思うのですが……。
思えば今回の遠征も、彼の発案によるものでございました。
――王都近郊の未発見の遺跡を探し当てよう。
一歩間違えれば痴愚者の夢としか思われない計画を淡々と推し進め、いくつかの文献と論文から、本当に古代遺跡を見つけ出してしまわれました。もちろんそこには、イフォンネお嬢様とミアお嬢様の献身があったことは間違いありません。
けれども彼は、まるで決められたルートの道案内でもするかのように、わずか二日目には、遺跡に到達されたのです。それは、奇跡のような発見でありました。
その道中にも、数々の驚きがございました。
お湯の出る不思議な短剣を所持されていること。
エルフの商会から、発売前の試作品である『飯盒』なる野外調理具を借り受けることが出来る程に信頼を得ていること。
料理に対してもひとかどの見識を持っていること。
等々、そのどれもが瞠目に値します。
しかし最も驚いたのは、その戦闘能力でありましょう。
わたくしも戦闘メイドとしての力量には多少の自負がございましたが、不世出の天才とも呼ばれる彼の手並みには、感嘆を禁じ得ません。
尤も、実際の戦闘を見ることは出来なかったのですが。
そう。
見ることが出来なかった。
これこそが驚愕の原因と云えましょう。
バゴラマ。
その魔獣の兇猛さは、いっそ語りぐさになる程です。
魔力の籠もった雄叫びを聞けばたちまちその身がすくみ上がり、隊を成した戦力であっても、一方的に敗れ去る程の狂獣。
その腕力は金属を枯れ葉のように引きちぎり、高い知性も厄介であるとされる悪夢のような存在です。
かの獣が目の前に現れた際には、このわたくしも死を覚悟致しました。
どうにかして、お嬢様たちだけでも逃がせないものかと。
そのような思案に暮れている一瞬に、『その子ども』は駆け出していきました。
それはまるで、自らが狒々の怪物を引き付け、我々を守ろうかとするかのように。
わたくしたちは、慌てて幼い兄妹の後を追いました。
行ってどうにかなるものではないとわかってはおりましたが、追わずにはおられません。
子どもを見捨てるという選択肢を選ぶ者は、この場にはいなかったのです。
――追いかけた先で、信じられないものを見ました。
それは、バゴラマの死体。
そしてその傍に立つ、稀代の天才魔術師の姿を。
わたくしたちが駆けつけるまでのほんの数分の間に、アルト・クレーンプットは魔獣バゴラマを討伐してのけていたのでした。
それも、一切の無傷で。
何をどうすればそのようなことが可能なのか?
どのような手段で手傷を負うことなく、これ程の怪物を圧倒したのか?
その全てが、まるで見当も付きません。
この狒々の魔物は、『個』で挑んで勝てる存在ではないはずなのですが――。
わたくしたちと合流したちいさな少年は、単独行動したことを心配し叱るイフォンネお嬢様とミアお嬢様に謝ることに必死で、最早自らが倒したであろう狂獣になど、興味がないようでした。
つまり彼にとっては、バゴラマですらが、『その程度』の敵手でしかなかったのでしょう。
大層心を痛めておられたミアお嬢様に抱きしめられた後、彼は云いました。
「――皆が無事で良かった」
年少の魔術師は穏やかな目をして、腕の中のフィーリア様を撫でられています。
それだけで、彼が自らの妹君と我々を守ろうとして無茶(?)をしたのだとわかりました。
「アルトくんはね、私やミアちゃんのために、今回の探索を考えてくれたんだよ?」
頭の中に、敬愛するお嬢様のお言葉がよみがえります。
彼は最初から、イフォンネお嬢様やミアお嬢様のためだけに、今回の旅を企図して下さったのです。
自らの功を誇ることや討伐の自慢などよりも、我々の安否を気にしてくれるのは、当然だったのかもしれません。
「……ですが、子どもが危ないことをしてはダメですよ?」
それでもわたくしは、彼を窘めました。
戦闘能力で遙かに劣るとしても、守られたのがこちらであったとしても、無茶をした子どもを叱るのは、大人の役割なのですから。
年齢よりもずっと大人びている少年は、まるでこちらの意図などわかっているかのように、目を伏せたままに頷きました。
それは叱られることに反発するのではなく、『叱ってくれる大人の存在を喜ぶ』かのような神妙さだったのです。
黒猫魔術団の主催者は、どこまでも不思議な子どもでありました。
わたくしはイフォンネお嬢様だけでなく、この精神的に成熟しつつも、どこか危なっかしい少年を可能な限り守って差し上げようと、固く心に決めたのでありました。
※※※
その日、とある魔術結社によってもたらされた報告は、王国中の識者を驚かせることとなった。
幻精歴代のものと思しき未発見の遺跡が、新たに王都の傍で見つかったのだというだ。
それも単なる朽ちた残滓などではなく、『未だ可動の可能性を有する』とされたのだから、その価値は計り知れない。
加えて遺失文字であるはずの『幻想真言』と思しき記号列までもが見つかっている。
これは考古学上も魔導復古学上も見逃せない、空前とも云える歴史的な大発見であった。
「ただちに主立った学者を集めろ! 魔導復古学だけでなく、法学者もだ!」
「明確な『南方論』を説いていたのは、クロンメリン女史だったな!?」
「在野の学者では、シェインデル博士のほうが詳述されています。彼女を召し出すべきでしょう」
「ベネディクテュス先生は招聘できるのであろうか? かの碩学の見識は、この場でも大いに役に立とう?」
「幻精歴関連ならば、寧ろ星読みとも連動するだろう。観星院にも声を掛けるべきだ」
「未発見の神代遺跡ともなれば、他国もクチバシを突っ込んで来よう? その対応はどうする? 万が一、教会の連中が口を挟んできたときの対処は? 我が国が遺跡を囲う法的根拠をまずは整えるべきだ」
「それよりも、早急に騎士団か冒険者を派遣しての現場の確保だろう。荒らされたりイタズラで破壊されでもしたら、目も当てられない!」
侃々諤々の有様であったという。
無論、それら貴重な遺跡を発見した魔術結社およびそのメンバーも、大きくクローズアップされることとなった。
けれども、主催者の少年は『ヴルスト』の偽名を使い、素顔も隠し、早々に陰に籠もることを選択したようではあるが……。
いずれにせよゼーマン子爵家とヴェーニンク男爵家の両三女の価値は飛躍的に高まり、安易な『安売り』が不可能になるという、結社の真の目的は果たされることになったようだ。
尤も、ヴェーニンク男爵家の当主は自らの娘の不行跡を鑑みて、もとより外部に『解き放つ』ような恐ろしいマネをするつもりはなかったのだが。
何にせよ、発足したばかりの結社・黒猫魔術団の名は、一部の識者たちに知れ渡ることになったのである。
そして同魔術結社はこの後も数々の業績をあげ、大陸中にその名が轟くことになるのだが――。
それはまた、別の話だ。
 




