第六十六話 総族長・スェフの事情
「にーた、おっきい! ふぃー、にーたすき!」
大きいもの大好きな妹様が二体のゴーレムを見て喜んでいる。
良かった。もう、雪精たちに襲撃された恐怖から立ち直ったようだ。
「…………」
ゴーレムたちは置物のように微動だにしない。ただ、視線は感じる。
雪精たちに好かれていなかったら、攻撃されたのだろうか?
「いえ。敵対者は攻撃しますが、そうでない場合は持ち上げて敷地外への撤去で済みますね。まあ、その際に暴れたり抵抗しますと、敵対行為とみなされて殴られますが」
……普通、いかついゴーレムが迫ってきたら抵抗すると思うが。
「そう云えばレァーダさん。園長と総族長って、どう違うの?」
「違い、ですか?」
クリスタルな女の子がキョトンとしてる。
まあ、唐突な質問だったからな。違いを知ったところで、俺に益するものはないし。
レァーダは、エイベルをちらりと見てから、こう云った。
「ショルシーナ商会をご存じでしょうか?」
「うん。お世話になってるから知ってるよ」
「では、そこの商会長がハイエルフであることは?」
「それも知ってる」
「では高祖様――そちらの御方がハイエルフ以上の貴種であり、我々精霊族からみても尊貴な立場であることも?」
俺は無言で頷く。
尤も、あんまり特別扱いしない方がエイベルは喜ぶんだが。
「なら、話は早いです。園長と云う立場は、あくまで氷雪の園の管理者であるに過ぎません。一方で総族長は、氷精の族長と雪精の族長を束ねる立場にあります」
ああ、成程。
ショルシーナは確かに商会を束ねているけど、エイベルの方が偉いよ。でも職分が違うよ。
みたいな感じか。
「ふーん……。じゃあ、総族長って人、偉いんだねぇ」
「はい。かなり高位の精霊です。尤も、高祖様には身分、戦闘能力共に遠く及びませんが」
まあ身分や戦闘能力はおいておいて、現状を何とか出来る力があるのなら、外部に頼ったりはしないだろう。
そんな話をしながらゴーレムを素通りして、屋敷の方へとやって来る。
こちらも石造りだ。園の建築物は基本的に氷で出来ているようなので、稀少な建物のようだ。
「外部の方をお通しする可能性のある場所は、石造りになっております」
レァーダは、そう説明した。成程ね。
(ちゃんと呼び鈴も付いているのか……)
園長がそれを押すと、ややあって使用人風の氷精が出てきた。
こちらも女の子タイプだった。
「ようこそいらっしゃいました、高貴な御方。どうぞお入り下さい」
「総族長は奥にいるの? 高祖様がいらしたのですから、自ら出迎えなくてどうするの?」
「申し訳ありません。現在、お嬢様に――」
「ダメよ。事情は理解しているけれど、高祖様に失礼は許されない。すぐに呼んで来なさい」
「……良い。スェフに会える?」
咎めるような口調だったレァーダを、エイベルが遮った。
何だろう? 複雑な理由でもあるのかな?
「もちろんでございます、高貴な御方。どうぞ、こちらに」
使用人が俺たちを通そうとするが、園長が頭を下げた。
「申し訳ありません、高祖様。本来は総族長が出迎えねばなりませんのに……」
「……私は良いと云ったはず」
エイベルの方が立場が上であり、しかも園の都合で呼んだのだから、礼儀の上のみならず、義理や恩の面から云っても、本来は総族長が出迎えねばならないのだとレァーダは云った。
実際、数日前にこの熱線の件でエイベルが園に訪れた時は、総族長のスェフもそうしていたらしい。
「つまり、出迎えられない事情があるって云うこと?」
「……総族長のお孫さんが、伏せっているのです」
こちらに目線を合わせないまま、レァーダは説明する。
その表情は、どこか、暗い。
そう云えば、熱線が増えて移住うんぬんの話をしている時、スェフはここを離れられないと云っていたが、あれは孫の事情なんだろうか?
総族長を務める程の精霊なら、土地と離れられない、と云う線もありそうではあるが。
そして通されたのは、ある部屋の前。使用人が内部へ声を掛ける。
「高祖様をお連れしました」
「お、おぉ……」
ずいぶんとやつれた声がして、ひとりの人物が現れる。
老いた氷精の男だった。
その身体は枯れ木のようにやせ細り、目は落ちくぼみ、ほほは痩け、およそ生命というものを感じられない姿だった。
「総族長! その姿はどうされたのです!?」
レァーダが驚愕して目を見開いている。
どうやら、普段はこんな姿ではないらしい。
男はよろよろとした足取りでエイベルの前へ来ると、折れそうな身体で礼を取った。
「高貴なる方、よくぞおいで下されました。出迎えすら出来ず、申し訳ありません……」
「……それはどうでも良い。それよりもスェフ。生命が枯渇しかけている。何があった?」
エイベルの問いに、スェフは目を伏せる。
すると、代わって使用人の女の子が声を出した。
「実は、エニネーヴェ様の治療のために、スェフ様は力を使っておられるのです」
「バカなッ! 治療ですって!? エニに治療をしているのですか!?」
取り乱すレァーダだが、俺には話が見えてこない。
孫が伏せっているなら、治療を試みるのは当然ではなかろうか。
しかしエイベルは表情を変えぬまま、ぽつりと呟いた。
「……エニネーヴェは死の床についているの?」
「……はい」
絞り出すような声で、老人は答えた。
その顔には、疲れよりも絶望が見て取れる。
「エイベル、どういうことなの?」
「……私も詳しくは分からない。けれど、スェフの状態だけは分かる。死に行く者に己の生命力を分け与えて、無理矢理生かしているのだと思う」
何と云うべきか、言葉が見つからない。
そんなことも出来るのかとも思ったし、それ程に孫が大事なんだろうなとも思った。
しかし、レァーダはスェフに詰め寄った。
「総族長、貴方はご自分が何をされているか、分かっているのですか!? エニネーヴェを助ける術がないのは分かっているはずです。なのに貴方は、生命を削って延命を試みている。これでは共倒れになってしまいます! 助ける術がない以上、それは、あの子に痛みと苦しみを与え続けているに他ならないのですよ!? こういう場合は静かに送ってあげることが、我々のルールだったはず! 総族長の貴方自身が、それを破ると云うのですか!?」
「…………」
スェフは俯いている。
反論しないところを見ると、レァーダの言葉は彼らの常識なのだろう。
だが、と俺は考える。
たとえば愛しの妹様が伏せっており、俺に生命力を譲渡できる手段があったとしたら、同じことをするのではないかと。何も出来なくても、何かをしてあげたいと思う気持ちを否定しきることが出来ない。
ただ、その一方でレァーダは「助ける術がない」とも云っている。
これはつまり、安楽死の倫理観に似ているのかもしれない。
彼らの中では手を下さなくても、送ることが常識であり、他所者が口を挟んではいけない領域なのだろうと思う。
だから俺は、黙っていることにした。
「……エニネーヴェの様子を見ても?」
エイベルが問うと、スェフはかすかに頷いた。
部屋の中には、ひとりの少女が横たわっていた。
俺と同じくらいの、幼い女の子。
レァーダのようなクリスタルタイプではなく、人間に見えなくもない容姿。
しかし、人とは違う点が、目に見えている。
女の子の身体は、その殆どが溶けていた。
存在するのは、胸から上くらい。
下半身や左腕は完全に存在せず、残りも淡雪のように頼りない。
雪精や氷精の生態に詳しくない俺でも、末期の状況だと分かった。
「……エニネーヴェに、何があった?」
エイベルは淡々と質問する。
動じていないのか、そう振る舞っているのか。
「孫娘は、熱線に触れようとする雪精の幼体を庇い、代わりに怪我を負ってしまいました……。その時に核の半分が溶解してしまい、助ける術がありません……」
スェフはそう云って泣き崩れた。
それと同時に、ちいさな女の子は目を開いてこちらを見つめた。
淡い雪のように、儚い瞳だった。




