第六百五十五話 進め! 黒猫魔術団!(その十四)
理不尽。
度重なる理不尽によって貴重な宝珠を失った大精霊ヒゥラスは――キレた。
いや、キレてしまったというべきか。
――このままでは、手持ちの宝珠、その全てを失うのではないか?
あまりにあまりな理不尽が積み重なった結果、彼はその思いに囚われてしまった。
敬愛すべき精霊王のみが、労苦の末に作り出せる貴重なオーブを、空しく失うだけではないかと思い込んだのである。
そしてこのときの彼は、本当にツイていなかった。
『生涯に一度のバカツキ』。
その逆バージョンを引いていたヒゥラスは、そのままでは本当に、全ての宝珠を理不尽に無くしたことであったろう。
だから、彼がある種の実力行使に出たのは、当然でもある。
宝珠の使用を妨げる原因は、ふたつ。
ひとつは前述の如く、不運。
こちらはもう、どうしようもない。
『運勢操作』は遺失した星辰術士でもなければ使用できない。たとえそれが、大精霊であったとしても。
そしてこの場は確かに幻精歴の遺跡であったが、別に『運命干渉』系のトラップがあったわけではない。
本当に、単純にして理不尽な不運だけだったのである。
なので彼は、『もうひとつ』を取り除こうとした。
それは、自分と同じように隠れ潜むハイエルフの隠密。
アレさえ排除出来れば、もっと堂々と安全性を確保した投擲が可能となるはずである。
(問題は、ひとつだけ――)
あのハイエルフが、増援を呼んだ場合だ。
ヒゥラスは大精霊である。故に、その力は群を抜く。
ハイエルフの群れを相手にしても伍して戦う自信があったし、彼は自らの隠匿能力に自信があったから、撤退をする場合も、簡単に逃げおおせる確信があったのだ。
(援軍要請の阻止。それさえ出来れば、こちらの勝ちだ)
隠密の名手であるヒゥラスから見ても、イェットの隠れ方は上手であると云えた。
ただし、こちらは向こうに気付き、向こうはこちらに気付いていない。この差は、絶対だ。
彼は自らの気配そのものを、風景に完全に溶け込ませることが出来る。
それはたとえば、魔力感知と魂の視認が出来るフィーリア・クレーンプットをしても、『よく見なければ気付けない』というレベルの韜晦具合であったのだ。
だからこれを、イェットの未熟と呼ぶのは酷であろう。
腐っても、彼は大精霊。
しかも隠密のスペシャリスト。
彼の行動と攻撃に不意を打たれたのは、仕方がないことと云えた。
「――――ッ!?」
突如として伸びてきた植物のツタに、イェットは絡め取られた。
それは身動きすることも、口を動かすことも出来ぬ程の完璧なる拘束。
ヒゥラスは自らが隠者であることから、『最も隠密の嫌う縛り方』を知悉しているのである。
(しまった……ッ!)
イェットは歯噛みするが、最早動くことが出来ない。
商会諜報部に属する自分を一方的に手玉に取れる程の者がいたことに、戦慄した。
出来る範囲で、周囲を見渡す。
けれども、木々の他は何もない。
これだけ有利な状況においてなお、『この存在』は、自らの姿を晒すような真似はしないのだと思い知った。
(確実に、私よりも上手の者……ッ! 高祖様や商会長の警戒していた花精の手の者か、或いは、別の存在か……!?)
判断材料を、与えることもなく。
一方のヒゥラスは、すんなりと無力化に成功したことで、落ち着きを取り戻した。
(フン……! 最初から、こうしておけば良かったわ! 本来ならば、まずは面倒な蠢動をする可能性のある隠密を始末すべきだが、我らが王のご所望のガキを、先に捕らえねばならぬ……)
それに、宝珠も残り少ない。
耳長にかまけて取り逃がしました、では、目も当てられない。
(矢張り、邪魔がいないというのは、素晴らしい……)
狙いが簡単に付けられる。
果たして彼の放った宝珠は、呆れる程簡単に、標的たちの足元へと転がった。
そして、十秒――。
(世界を、浸食せよ……ッ!)
女王フィオレの作り出した宝珠は、その効力を発揮しようとし――。
ちいさな破裂音と共に、その『世界』は破壊された。
「――は?」
意味がわからなかった。
広がるべき異世界は、完全に消えていた。
先程までの『宝珠の損壊』とは違い、今度は術式が発動したはずだ。
そんなものを、誰が、何故、どうやって阻んだというのか。
(まさか、アーチエルフ!? あの特級の怪物が来ているのかッ!? それとも、我らの怨敵たる、トゥルー・ダークが……!?)
ヒゥラスは、自らを倒し得る者は、その両者くらいであると踏んでいる。
もちろん、『天の杯』のような『例外』もいるにはいるのだが、『強い』だけの者に、女王の術式を打ち破る術があるはずがないとも思う。
視線の先には、黒猫魔術団の姿がある。
先程、貧弱な人間同士の小競り合いを見た。
取るに足らぬ存在だ。
万が一にも、この身が後れを取ることはないと断言できる。
ならば宝珠の発動を妨害したのは、あの矮小な人間どもでは無いはずだ。
「では一体、何者が――!?」
周囲に、余人の気配はない。
少なくとも、ヒゥラスの探る範囲では。
ならばこの状況を、どう考えるべきか?
術式の発動も、また理不尽な理由で潰えたというバカげた可能性まで考慮せねばならないのだろうか?
そこまで思索の範囲を広げては、果てしがない。
(仕方があるまい。周囲に最大限の警戒をしつつ、まずは『標的』の確保だ。他のことは、都度対応していくしかあるまいな……)
泥縄になるとは、何と情けない話か。
しかし、目的を違えてはいけない。
我らが王の『エサ』を、まずは確保せねば意味がないのだから。
事ここに至って、ヒゥラスは方針を切り替える。
別世界に引きずり込むのではなく、ここで魔獣に襲わせる。
後方に控えるハイエルフたちがやって来る前に、標的を『保護』して女王の元へと連れ帰る。
後方に控えるエルフの兵たちとは、充分な距離がある。
深い森の中であるならば、他の目撃者もいない。
油断はしないが、余裕を持って事に当たれることであろう。
(用意した魔獣は、三体……)
一体を念のために、ハイエルフたちの足止め用に待機。
もう一体を、自身の警戒兼予備戦力として残す。
脆弱な人間の相手は、残る一体で充分であろう。
何しろこの魔獣は、そこら辺にはいない特別製。
並の人間基準で考えるならば、一隊を組んで当たらねばならぬ程の戦力を兼ね備えている、『災害級』の一歩手前なのだ。
特別貴重な宝珠を複数用意したことと云い、戦力過剰な魔獣を複数体用意したことと云い、花の女王フィオレが、いかにアルト・クレーンプットを手に入れたいかがよくわかるというものであった。
魔獣を仕舞っていた専用の宝珠から、それら三体を解き放つ。
それは、巨大な狒々のような獣――。
「行け、バゴラマよっ!」
懸念すべき点は、ただひとつ。
魔獣・バゴラマの戦闘力の前に、脆弱な人間の子どもが死亡しないかという一点のみ。
「他は死んでも、構わぬがな……っ」
花の大精霊は、獰猛に笑う。
もとより、人間などに価値は見いだしていない。
寧ろ世界を穢す害悪として、排除すべき種族だ。
ヒゥラスの意識は、アルト・クレーンプットを殺さずにギリギリで助け出すこと。
その一事のみに集中している。
それでも無意識レベルで周囲を警戒していたのは、流石であると云えよう。
彼の優れた隠密としての才覚は、だから違和感を確かに覚えたのだ。
「――――ッ!?」
彼は、慌てて振り返る。
静かな森の、その奥を。
(なん、だ……!? 何がいる……ッ!?)
自分のセンサーには、『何もない』。
鼻の利くバゴラマですら、後方に意識を向けていない。
だから。
そう、だからおかしいのだ。
まるで、ちょうど人間ひとり分の、穴が出来ている。
彼の探る気配に、『全く感知が出来ない人の形』が存在する。
そいつは、悠々と歩いてくる。
その存在の周りだけが『何も探れない』から、逆にその形があぶり出される。
『何もない』から、『何かがある』と、イヤでもわかる。
(エルフ――。それも、女……?)
ゴクリと、つばを飲み込んだ。
こんな真似の出来るエルフが、存在するというのか?
いや、仮に存在するなら、あちらで倒れるハイエルフの隠密の代わりに、護衛に出来たはずである。
ヒゥラスから見ても、イェットの隠匿能力は図抜けていた。あれ程の隠者は、そうそういないはずなのだ。
けれども『そいつ』は、確かにいる。
この大精霊たる我が身すら欺いてみせる程の、何者かが。
「まさか、アーチエルフか……っ」
戦慄した。
始まりのエルフとトゥルー・ダークだけは、どうしても敵に回すわけにはいかなかった。
もしもこの場に『高祖』がいるなら、死も覚悟せねばならない。
(だが、妙だ……)
彼が主君たるフィオレに教えられている両高祖の特徴。それは、どちらも背が低いこと。
こんな長身の女ではないはずなのだ。
ヒゥラスは、何もない空間から、確実な『死の気配』を感じ取っていた。
 




