第六百五十三話 進め! 黒猫魔術団!(その十二)
見誤る。
見誤る、見誤る、見誤る。
彼らは、見誤る。
その少女を、見誤る。
「メイドだッ! まずは、こっちのメイドを潰せッ!」
「いや、ローブの女だ! こいつに、これ以上の詠唱をさせるな! 速射が途切れないッ!」
戦闘メイドは、確かに強い。
熟練の冒険者パーティ、クーパー一家をして、その堅牢なる守備を突き崩すことが出来ぬ程に。
ローブの術士は、確かに巧い。
自らの得手と立ち回りを完璧に理解し、戦闘メイドを前面に出しながら、後方の友人を守りきっている。
この二名の動きは、戦闘に慣れたクーパー一家であっても、『メイドとローブの女。この両者は共に突出した脅威である』と印象づけるに充分であったのだ。
他方、その童顔の少女はどうだ。
彼女は、最初から『埒外』であった。
整った顔はしている。
けれども、実年齢よりもずっと下に見られるその容貌は、『幼い少女を好む』人物がいないその一家にとっては、あまり価値のあるものではなかったのだ。
決戦の場の縁で抱き合っている単なる子ども――クレーンプット兄妹と同じく、『年少者枠』。
故に、最初は『戦力者』としてカウントされない。
戦いが始まり、詠唱を開始してなお、彼ら一家の目には、『戦闘メイドとローブの女』の後に始末すべき対象と看做される。
けれども。
けれどもだ。
ここに一定以上の戦略眼の持ち主がいれば、戦闘メイドとローブの魔術師の両名が、一貫して彼女を――イフォンネ・ルテル・エル・ゼーマンを守ろうとしていたことに気付いたであろう。
たとえばアルト・クレーンプットが彼女らの初見の敵対者であったならば、彼は一も二もなく、イフォンネを潰しに掛かったに違いない。
ゼーマン子爵家の三女にとっては甚だ不本意ではあったろうが、彼女の幼い容姿は、襲撃者たちを油断させるに充分な材料であったのだ。
(凄いな……)
胸中でそう呟いたのは、岡目八目のアルト・クレーンプット。
彼はその詠唱から、イフォンネが使おうとしている術式をほぼ正確に理解している。
彼女が組上げるのは、多層にして多重の魔術式。
属性は、闇。
光と闇の魔術の使い手は、そう多くない。
属性には得手不得手があって、使用することの出来ない属性が存在するのは、当然でもある。
たとえば現在戦闘に従事する三名の少女たちは、いずれも『水属性』の魔術が使えない。
だからこそ、昨夜は『例の短剣』に感動をしたのだ。
それは置くとしても、この魔術はどうだ、と、アルトは思う。
(魔術の精密性。それに範囲と効果。イフォンネちゃんは七級魔術師って話だけど、七級程度が手を伸ばせる領域じゃないよね、これは)
詠唱とは、設計図である。
型紙である。
そして、規矩でもある。
緻密で複雑な図式を、下書きも無しに書き上げる。
それも、殴り書きのような速度でだ。
魔力の『根源』から変質をもたらし、必要な工程を省いて『結果』だけを抽出できるアルト・クレーンプットは、それ故にイフォンネの才覚に驚嘆する。
イフォンネ・ルテル・エル・ゼーマンは、僅か十二歳で魔術師の資格を得た才媛。
免許を得たのは、より良い結婚のための『付加価値』を付けるためだけ。
だから、七級よりは進まない。
研鑽を積めば宮廷魔術師にすら手が届く才能を、それで公式には発展させることもなかった。
修練自体は、日陰に籠もったのだ。
その一端が、この場に開かれる。
「にーた」
「ああ、うん」
術式が発動する前に。
その兄妹は、未来でも見えたかのように、そっと範囲の外へと移動している。
イフォンネに彼ら兄妹を巻き込むつもりが無いとわかっていても、その領域にいることを良しとはしない。
それは、この兄妹の共通の師の教えを、正しいと信じているから。
そしてこの兄妹は、発動前の効果範囲を、完璧に見切っていた。
かくて、その魔術は完成を見る。
「――闇界・縛捕」
紡がれた、ちいさな言葉。
それは隠れ潜んでいたハイエルフと、理不尽に苦悩する大精霊以外を吞み込む、暗黒の霧。黒いドーム。
クーパー一家は、完全に見誤った。
まさか発動した魔術が、範囲の一切に干渉できるレベルであるなどとは、夢にも思わず。
子爵家三女の能力は、この場で戦闘をする者たちの悉くを凌駕する。
単純にこの中で、最強であったのだ。
その魔術結社・黒猫魔術団の構成員は、僅か三名。
けれどもそこには――傑物のみが所属する。
※※※
暗闇の霧を発生させ、事前にサーチしていた相手に向かってそれを収束、縄状の固形物にして捕縛する。
それが、彼女の使った魔術だった。
広範囲を覆うこと。
探知系の魔術を別に使えること。
大量の魔力を消費すること。
動き回る相手を正確に封じること。
そのどれもが、難しい。
単独でそれら多層術式を展開し、完成させてのけた彼女の才覚と魔力量は、だから凄まじいものだったのだろう。
今彼女は、イス代わりの岩に腰掛け、肩で息をしている。
親友の少女が、寄り添って飲み物を飲ませていた。
ミア・ヴィレメイン・エル・ヴェーニンクは、友人の能力を知悉し、それを一番発揮しやすい場所として、ここを戦場に選んでいる。
戦闘メイドが武器を振るいやすいという理由ではなく、最も勝率の高い地形を探し出し、加えて幼少の兄妹ふたりが、いざというときに逃亡しやすい場所を選んだのだ。
そういう意味で、彼女も大魔術の功労者であったと云えるであろう。
なお、囚われの存在となったクーパー一家は、セルウィが人目に付かない場所まで運び出し、そこで『処分』している。
彼らの云い訳や命乞いなどの一切を無視し、淡々と処理をした。
まだ『遺跡発見』という旅の目的が残っているので、反乱や逃亡の可能性のある彼らを、引き連れて歩く必要性を認めなかったのだ。
『お湯の短剣』でしっかりと手を洗い終わった戦闘メイドは、主人の状況を確認し、安堵したあと、イフォンネとアルトに頭を下げた。
「イフォンネお嬢様。そして、アルト様。不躾ではありますが、お願いがございます」
八歳の少年と十四歳の少女は、顔を見合わせる。
両者に同時に声をかけるということは、『共通の話題』ということなのだろうが、聡いふたりであっても、すぐには接点が見いだせなかったのである。
戦闘メイドは云う。
「どうかこのわたくしを、魔術結社の末席に加えていただきたいのです」
「イフォンネちゃ――こほん。イフォンネさんのために、ですか?」
「左様でございます」
力強く。
そしてハッキリと少女は頷く。
「結社が今後も続いていくならば、こうして戦闘に巻き込まれることが増えていくのは、想像に難くありません。また、功績を挙げた後、その成果に寄生しようとする貴族家縁の者が現れることも、必定でありましょう。わたくしはそのような者たちからイフォンネお嬢様を守る義務がございます。そのためには、わたくし自身が結社の一員としてお嬢様と行動を共にする必要がございます。幸い、わたくしも微力とは云え魔力を持つ者。魔導免許も取得しておりますので、参加資格自体は有しております。また、役に立てる部分もあるかと思いますが」
「成程」
イフォンネちゃんも、お付きの人がいるほうがやりやすいだろうな、と、アルトは単純に考える。
その彼を撫で回そうと、白い手をわきわきさせている魔道着姿の少女が、得心行ったように頷いた。
「それはつまり、今後『黒猫魔術団』にちょっかいを掛けてくる人たちから、アルトきゅんを、ゼーマン子爵家の名で守ってくれるということですねー?」
「はい。見返りとしては些か物足りないでしょうが、わたくし個人の武力と、お嬢様のご実家の持つ権勢で、結社の皆様を可能な限りお守りさせていただきたいと思っております」
「な、成程ぉ……」
わかっていなかった少年が、ちょっと引きつりながらに頷く。
彼はあまり、腹芸の類には向いていないのだ。
ツインテールの魔法少女が、おずおずと手を挙げる。
「私としてもセルウィを採用して貰えると嬉しいけど、それとは別に、今後は『強引に入ってこようとする人』を上手く排除出来る仕組みや取り決めも必要だと思うな?」
「拒否権の制定ですねー。ネコちゃん好きの集いに、『ワンちゃん原理主義者』が来ても上手くいきませんからねー」
「俺、犬も大好きなんだけど……。ウェルシュテリアとかコモンドールを飼うの、ちょっと憧れてたんだけどね?」
「ふぃーは、ブタさんが好きっ! にーたが大好きっ!」
クレーンプット兄妹の言葉は、丁重にスルーされた。
アルトは呟く。
「それにしても、構成員の四分の三が『メイドさん』の魔術結社か。これ一体、何の集まりなんだろうね……?」
その言葉に答える者は、やっぱりいなかった。




