第六百四十九話 進め! 黒猫魔術団!(その八)
夜が明けた。
黒猫魔術団の探索遠征、その二日目だ。
「にぃさま、おはよーございます! ふぃー、元気ですっ!」
お日様のような笑顔で抱きついてきてキスを繰り出すのは、我らが妹様である。
昨日は入浴前から急に不機嫌になって、コアラのようにしがみついたまま離れてくれなかったが、一晩寝たら、元気になってくれたようだ。
「フィー、おはよう」
挨拶を返してさらさらの銀髪を撫でると、天使様は気持ちよさそうに目を細めた。
しかしそれも束の間。マイエンジェルは、お腹をさする。
「にーた! ふぃー、お腹減った!」
元気いっぱいに、空腹の申告。
世には朝は食べないとか、ちょっとしか口に出来ないといった人も多いが、うちの妹様は、朝食からたっぷりと食べる。
おかわりもしっかりとし、食後のおやつまで食べる。
マイマザーなどは愛娘が肥満児にならないことを心底不思議がり羨んでいるが、母さんだって太らないほうだろう。
寧ろお外で走り回るマイエンジェルと違って、恋愛小説を読んでばかりであの体型なのだから、本来はお腹まわりに悩む世の女性陣たちに、恨みを買う側のはずだ。
「にーた、朝ご飯なぁに!? ふぃー、いっぱい食べる! おかわりするっ!」
朝食が何かは、俺も知らない。
これが家なら、俺も母さんやミアと一緒にご飯を作るんだけどね。
うちの妹様は、だっこしていないと寂しくて目を覚ましてしまうので、俺がブオーンやダイコンのかわりに抱き枕になっていたのだ。
「アルトきゅんは、フィーちゃんと一緒にいてあげて欲しいですねー」
「朝食は、私とミアちゃんで作っておくから、遠慮しないで休んでいて欲しいな?」
などと、幼なじみメイドさんコンビに云われたので、お言葉に甘えることにした。
周囲の見回りは、戦闘メイドのセルウィさんが受け持ってくれている。
尤も、俺が頼りにしているのは、ここに『いない』ことになっている商会所属の隠密さんだけれども。
「あ、アル、ト、様……」
テントの中でフィーといちゃいちゃしていると、薄布の向こう側から、吃音のような声がする。
それがコミュ障の芸術品好きエルフであることは、すぐに分かった。
「どうかしたの、イェットさん」
「あ、あの、まだだいぶ後方です、が……。に、人間の、気配、がしま、す……。たぶん冒険者で、ふ、複数人です……」
「――――!」
昨日、森に入る前に見た、あの冒険者たちだろうか?
この森自体は、魔術という迷彩で覆われている。
俺は昨日、それをオフにした。
今はもうオンに戻っているが、すぐに戻さなかったのは、ある程度の距離を抜けないと、再起動した迷彩の効果が俺たちにも掛かってしまうからだ。
だから昨日の冒険者たちが迷彩を戻す前に、「こんなところあったっけ?」と入り込んでくるのは、別段不思議ではないということになる。
「その人ら、こっちに来るかな?」
「ま、魔獣が全然いない道が、こ、こちらですので、しょ、消去法で、そ、そうなるかと……」
あ~……。成程。
フィーが魔物を追い返しちゃってるから、図らずも安全なルートが出来てしまっていると。
未知の場所に入り込むなら、当然の話として魔物が少ない道を通るだろうから、どうしてもこっちに来てしまうか。
「そのうち、俺たちの足跡も発見されちゃうかな?」
「そ、そちらは、わ、私が、み、道々、け、消しておきましたの、で……」
うむ。有能。
イェットさんは、こちらの『キャンプ場』の痕跡も、消してくれることを請け負ってくれた。
「あ、あと――」
「何か?」
「き、気のせい、か、何度か、し、視線を感じた気がしました……」
「視線? それはどういうこと?」
「わ、わかりません……。で、ですが追跡者なら、わ、私よりも、う、上手の隠密ということに……」
「追跡者って――」
追われるような身分じゃないはずなんだが。
俺の言葉に対し、薄布の向こうの姿の見えないハイエルフは、こう云い直した。
「わ、わたしの、き、気のせいの可能性も、じゅ、充分にあります……。こ、この森自体、が、認識に対する、ま、魔術の掛かっていた場所なの、で……」
つまり、あまり考え込んでも仕方がないと云うことか。
まあ、イェットさんは優秀な人だし、フィーもいる。
いよいよとなれば、きっと警戒すべき時を教えてくれることだろう。
(だから考えるべきは気のせいかもしれない追跡者なんかじゃなくて、存在が確定している冒険者のほうだね)
俺たちは最短ルートを通ってはいるが、ひょんな理由で目的の遺跡を『先に発見されました』というのは、絶対に避けたい。
アクシデントや『もしも』なんて、いくらでも起こることだろうからね。
「し、始末、します、か……?」
流石に、物騒すぎるわ。
こちらに危害を加えてきたわけでもないのに、『手柄』欲しさに暗殺を命じることは、俺には出来ない。
「で、では、あんまり、の、のんびりとは、出来なくなり、ますね……」
そこは仕方がない。
そもそも何泊もしては、貴族家令嬢たちの家だって心配するだろうし、母さんたちも不安に思うはずだ。
「はーい! アルトきゅん、フィーちゃん、朝ご飯が、出来ましたよー?」
そこに、気の抜けるような声がする。
テントの向こうの隠密様は一瞬で姿を消し、残ったのは、腹ぺこの妹様だけである。
※※※
「ふへーっ! お腹いっぱい! ふぃー、たくさん食べた! にーた、だっこ!」
「はいはい……」
膝の上に、マイエンジェルをのせる。
考えるのは、冒険者のことだ。
このままだと、バッティングしないとも限らない。
けれども、『後続』がいることを知れたのは、イェットさんのおかげで。
それをバカ正直に、皆に話すことも出来ない。
そんなことをすれば、今回の件がエルフ主導のインチキだとバレてしまうからだ。
エイベルたちに手を貸して貰った手前、そのへんを知られるつもりはない。
恩を仇で返すつもりはないのだ。
なので、上手くやらねばならないだろう。
(結局、出たとこ勝負になるか。どこか適当なところで、セルウィさんに『発見』して貰うしかないわなァ……)
あとでイェットさんに、何か合図でもして貰う算段でもつけますかね。
フィーを撫でながらそんなことを考えていると、後片付けまでやってくれたメイドさんコンビがやって来る。
「うぅん……っ! やっぱり、この『お湯の短剣』便利すぎだよぉ。野外のお片付けで、お湯が好きに使えるなんて、普通はないことだもん」
「『水の短剣』もあるから、飲料水にも困りませんしねー」
などと云うのは、西の離れで洗濯にアルト謹製の魔剣を日々使っている変質者様である。
「ふたりとも、朝の支度と片付けやってくれて、ありがとう」
「ありがとーございます!」
兄妹揃って、頭を下げる。
イフォンネちゃんは、俺たちを抱きしめながら云った。
「お屋敷での朝に比べれば、もの凄く楽だから、気にしなくて大丈夫だよ?」
まあ朝っぱらからトゲっちの相手なんかしてたら気が休まらないだろうし、それは事実ではあるんだろうけどさ。
「イフォンネ、自分だけアルトきゅんに抱きつくとか、ズルいですねー! このミアお姉ちゃんも、抱きつきますねー!」
「よだれを垂らしながら迫ってくるの、やめいっ!」
うん。
変質者に襲われる以外は、太平楽な朝だ。
今日も一日、平和だと良いな。
※※※
(あのハイエルフ、思ったよりも厄介だ……)
ヒゥラスは、舌打ちをした。
まだ自分の存在が気付かれてはいないが、全く油断できる相手でもないことが分かった。
少しでも気を緩めれば、たちどころに察知される危険がある。
それは取りも直さず、『宝珠』を投擲する隙が極端に少ないことを示している。
昨日の『不幸な事故』以来、あまりにもチャンスがないことに驚いた。
これ程の手並みであるならば、強引にことを運んでも、『異界発動』までの十秒間に、仲間に連絡を取られてしまうことだろう。慎重にやらざるを得なかった。
――長い我慢比べの後、チャンスは朝食後にやって来た。
目的の集団は完全に気を緩めており、唯一手強いと感じたハイエルフも、野営の痕跡を消すことに集中している。
それでも周囲への警戒を解いていないのは流石だが、ヒゥラスほどの存在からすれば、隙だらけだ。
(ここだ……ッ!)
宝珠を投擲。
完璧なタイミングであった。
今度は奴らも歩いていないので、踏みつぶされる心配もない。
そのとき、脳天気な顔で少年に抱きついていた銀髪の幼女がすっくりと立ち上がり、棍棒を振り回し始めた。
「お外なら、ふぃー、自由自在に棍棒を振り回せる! おかーさんに、怒られない! ふぃー、これでにーたを守るっ!」
幼女のスイングする棍棒は、足元の小石を弾き飛ばした。
その小石は近くの木にぶつかり、木の実が落ちる。
転がった木の実は別の石を転がし、ヒゥラスの投げた宝珠の軌道を塞いだ。
宝珠は石にぶつかり、ものの見事に弾け飛んだ。
「…………」
その有様を見ていた花精の男は――。
「そうはならんだろッ!」
青筋を立てて、叫び声を上げた。
 




