第六十五話 総族長の家へと向かう
氷雪の園と云うのは、氷の大地だ。
この大陸の北端に巨大な氷がくっついており、その上が雪精たちの住処、と云えば少しは伝わるだろうか?
草木がない理由は、土ではなく氷で出来た土地だから、と云うシンプルなものだった。
ただ、全部が全部氷なのではなくて、園の地下深くには、巨大な岩石がある。
それが氷を形成する核であり、ついでに冷風を生み出す元となっている。
ようは、巨大な魔石だと思えばいい。
魔石は基本的に、その属性を変えることがない。
水の魔石なら、水の魔石のままであり、ある日突然、火を噴くようになった、などということはあり得ない。
けれども、今この園で起こっていることは、それなのだ。
冷風が熱線に変じ、しかも徐々に増えていると。
「……スェフはなんて云っている?」
「総族長はこのまま事態が好転せねば、移動も視野に入れるべきだと。ですが、あの御方はここを動くことが出来ません」
また新しい名前が出てきた。
スェフ、と云うなんとも発音しにくい人は、総族長と云うらしい。
名称からしてまとめ役っぽいが、園長とどう違うんだろう?
「……私がスェフに会ってくる」
「そうですね。氷穴に入るには総族長の許可も必要となりますし、高祖様がいらしてくれたことも報告せねばなりません。私が案内役を致します」
事情がよく分からないうちに、話が進んでいく。
レァーダはコミカルな筆頭騎士に視線を向けた。
「シェレグ。貴方は先に氷穴へ向かっていてちょうだい」
「承知。我ら氷雪騎士団が、必ずや高貴なる方をお守りすると誓いましょう」
雪だるまは優雅に一礼して出て行った。
エイベルも立ち上がる。
どうやら、移動することになったらしい。
「エイベル、俺とフィーはどうすれば良いの?」
「……このまま氷穴に向かうことになる。一緒に来て欲しい」
……氷穴ってなんだろう?
ここに来てから、分からないことだらけだ。
まあ、結局は、彼女たちについて行く以外にないのだけれども。
「高祖様、その人間族の子供たちも、総族長の元へ連れて行かれるつもりですか? あそこには――」
「……このふたりならば、問題ない。雪精に嫌われることはないはず」
む。
出発前に雪精のご機嫌取りをしたが、ここでその話が出てくるのか?
と云うか、小箱に入っていたあの子は、まだ出してあげてない気がするんだが。
「高祖様がそう仰るのであれば……」
またも半信半疑と云った感じで、レァーダは頷いた。
どうやら同行しても良いらしい。
俺としては、ここで愛しの妹とイチャイチャしながら待っていても、構わないっちゃあ、構わないんだが。
「フィー、行こう」
「にーた、ふぃーのこと、だっこして……?」
「ほら」
妹様は氷精の話にはさほど興味がなく、今は俺に甘えたいみたいだ。
なので、要求通りに抱きかかえてやると、マイエンジェルは心底嬉しそうに、「ふへへへ…」と笑った。
あー……。ほっぺ柔らかい。
迎賓館の外に出て、集落の外れへと向かう。
ちいさな雪精たちは見知らぬ存在に怯えたのか、遠ざかって行くが、氷精たちは、こちらに視線を向けてくる。種族的に好奇心が強いのだろうか?
ちなみに氷精の幼体はレァーダのような人型ではなく、かち割り氷にしか見えない。ちいさめのロックなアイスな感じだ
やがて一際立派な建物が見えてくる。
その前に、ふたつの人影が門番のように立っていた。
二メートル超の巨体で、見るからに強そうだ。
「あれはスノーゴーレムとアイスゴーレムです。あまり融通は利きませんが、単純な戦闘能力は高いですよ」
「園の入り口ではなく、あの建物を守っているんですか?」
「正確には、総族長を、ですね。園の守護自体は、基本的に騎士が務めることになっています。ゴーレム任せで戦闘が遠ざかると、いざという時に頼りになりませんから」
あまり魔物がやってくることのない場所らしいから、実戦の機会を奪わないように配慮しているのだそうだ。
結果、ゴーレムは歩哨のような立場に落ち着いている、と。
レァーダは俺にそう説明した後、エイベルに心配そうな視線を向ける。
「あの……高祖様、その兄妹は単なる人間の子供なのですよね? ゴーレムたちに近づけないほうが良いのでは……?」
何だろう?
融通が利かないって云ってたし、あの番兵に不用意に近づくと、攻撃されたりしちゃうのかな?
俺は兎も角、フィーに何かあると困るんだが。
「……平気」
エイベルは淡々と答えて、例の小箱から雪精の幼体を取り出し、俺の肩に乗っけた。
我らがエルフ様、この子のこと、ちゃんと憶えていたのね。
「ミー! ミー!」
幼い雪精は周囲を見渡して、安堵したようなご様子。
故郷に帰って来られたのだと分かったのだろう。
次いで、俺の首にすり寄ってきた。
特に根拠はないが、妹様のように俺に甘えているのではなく、お腹が減っているんじゃないかと直感した。
つまりは、ご飯の催促だ。
「……ほら、これで良いのか?」
「ミミーっ!」
要求通り(?)冷気を浴びせてやると、幼い雪精は大喜びで食事を始めた。
やっぱり、お腹が空いていたようだ。
しかし、大食いな奴だな。
それがこの子だけなのか、種族全体の特徴なのかは分からないけれども。
「にーた! ふぃーも! ふぃーもやりたい!」
マイエンジェルが元気よく手を挙げたので、譲ってあげることにする。
きっと鳩のエサやりとか鯉のエサやりも、嬉々としてやりたがるんだろうな。
でも、鹿にせんべいをあげるのは危険なので機会があっても無しだな。
だってあいつら、凶暴だし……。
「ほら、フィー。力加減は気を付けるんだぞ?」
「はーい! みててにーた! ふぃー、がんばる! うにゃにゃー!」
妹様の全身から、魔力を帯びた冷気がにじみ出る。
肩に乗せてあげた雪精は、上質のエサを貰えて大喜び。
マイシスターも、俺に良い格好を見せられて大喜び……とは、行かなかった。
「あひゃひゃ~! にーた、にーた、たすけて~!」
どこから湧いたのか、大量の雪精と氷精の幼体がフィーに群がっていた。
俺たち兄妹の魔力はそんなに美味しいのだろうか?
それとも、食べられれば何でも良いのか。
瞬く間に我が家の長女が雪と氷で覆われていく。
その様子を見て、何故か興奮気味なレァーダ園長。
「凄いです! 人の身でありながら、こんなにも氷精たちに好かれるなんて!」
ええっ!? これが好かれていることになるの?
俺には妹様が集られて泣いているようにしか見えないが。
すぐ傍に高魔力の氷塊を作り出すと、雪精たちはこぞってそちらに移動して食べ始めた。
俺はその間にマイエンジェルを救出する。
「フィー、大丈夫か?」
「ひぐっ、ふぇぇ~~~ん! にーたああ、にーたあああああああああああ! ふぃー、ふぃー、こわかったよおおおおおおおおおおおおおおお!」
「おおよしよし、可哀想に……」
しっかりと抱きしめ、泣き止むまで撫でてやった。
単体なら可愛く見えるが、群に襲われれば恐怖しかないだろう。
しかし何だな、ここの幼体たちも奈良の鹿のようにおっかない存在なんだな……。
「レァーダさん、あのゴーレムたちって、やっぱ危険なんですか?」
俺は二体の巨人を指さした。
これ以上、フィーを泣かせたり危険な目に遭わせるわけにはいかないので、そこはハッキリと確認しておかねばならない。
しかし、園長先生は首を振った。
「いいえ、あなた方ならば、問題はないようです」
さっきは「近づけない方が」と云っていたはずなのだが、今度は「問題なし」とのお言葉。
この人が支離滅裂な人格でもない限り、事態が好転したと判断すべきだろうが、それはやっぱり、雪精に集られたことなのだろうか?
「えっと……。それは、『今は』大丈夫って云うことなんでしょうかね?」
「はい。その通りです。あのゴーレムは雪精や氷精の反応を見て、敵か味方を識別しています。先程の貴方たちの行為は、友好的なものと捉えられたはずです」
ああ、成程。
エイベルが雪精に好かれるかどうかが大事とか云ってたのは、こう云うことなのか。
「ミー」
あれれ。
いつの間にか、俺の肩に雪精の幼体が乗っている。
どうやら妹様を救出した時に、そのまま登ってきたみたいだ。
(……って、この子、小箱の雪精じゃないか?)
特に確証があるわけでもないのに、何故だかそれが分かった。
幼い雪精は肯定するようにちいさく鳴くと、俺に身体をすり寄せ始めた。
どうやら食欲とか関係無しに、この子に懐かれたようだった。




