第六百三十七話 ヒゥロイトの『少年』
クリス――というのが、彼……いや、もう彼女で良いか。の名前であるらしい。
ゾン・ヒゥロイトにいるだけあって、彼女も男性だ。
ただ、明らかに異質なのは、彼女が『少年の格好をしている』からだろう。
いや、もとの性別を考えれば、これが正しいはずなんだけどね?
我が畏友・フレイは、そのへんの事情を説明してくれる。
「クリスの父母は、共にヒゥロイトの所属だったんだよ」
「へえ。じゃあ、あの子は演劇のサラブレッドなんだねぇ」
その言葉に、美女(男)が妖艶に頷いた。
「そう。私たちは、歌劇団員。だから、ただ美しいだけでは、加入は出来ないし、認めない」
「美貌。能力。そして、やる気。このどれが欠けても、ヒゥロイトには、なれないわ」
こっちは、美少女(男)の言。
そういえば、セロ歌劇団には、加入試験があるんだっけ。
確か幼き日のリュシカ・クレーンプット氏が自信満々に挑み、そしてものの見事に落選したという話を、俺はセロで聞いている。
うちの母さん、歌がへたっぴだからなァ……。その、娘さんもね。
美幼女(男)が、ジト目になって云う。
「クリスっちってさー。せっかく生まれ持った才能があるのに、ここでやっていくか悩んでるんだってー。バカみたいだよねー? ってか、本当にもったいないよー。ヒゥロイトなんて、普通は望んだってそうそうなれる立場じゃないのにねぇ? ま、あたし的には、それでも良いんだけどねー? ライバルが減るからー」
「ライバル?」
俺が問うと、天使の歌姫のメインをやっていた美少女(男)が艶やかに笑う。
「主役の座というのは、限られているの。中央のイスに座れる者は、多くはない。他所の劇団なら余裕でトップを取れるような子でも、ここでは通用するとは限らない。王国最高の歌劇団の名は、飾りではないということよ」
こういう云い方をするってことは、このクリス少年、歌と演技の才能があるのだろうな。
将来のセンターになれるくらいに。
フレイが俺の手を握りしめながら云う。
うん。握りしめる必要、ありませんよね?
「我々がクリスをここへ連れてきたのも、新しい仕事が、彼女の迷いを払う切っ掛けになってくれるかもしれないと考えたからなのだ。彼女には、才能がある。それを埋もれさせるには、惜しいからね」
軍服ちゃんは、ライバルを蹴落とすタイプじゃないってことね。
まあ、この子は誇り高い人柄だから、それも当然か。
(でも、大事なことがあるよな……)
彼女――クリスが悩んでいる理由。
それを知らねば、いくらお膳立てをしようが、外野が騒ごうが、無意味になってしまうはずだから。
俺は、彼女の前に進み出た。
ちょっとビクッとしながら、男装の美少女は俺を見る。
「こんにちは」
「……こ、こんにちは……」
か細く、可愛らしい声だった。本当に男に見えんね。
ブカブカの男性服も、華奢な少女が着ているかのように錯覚させてくる。
演技ではなく、天性、人を惹き付ける力が彼女にはあるのかもしれない。
俺は尋ねた。
「ぶしつけで失礼だけど、今の話、聞いてたよね? もしもイヤじゃなかったら、キミがヒゥロイトで悩んでいる理由を訊いても良いかな?」
前世で培った営業スマイルを繰り出した。
彼女は、一瞬だけ俺を見て、それから何故か恥ずかしそうに俯いた。
となりにいるフレイが、「むぅ……っ」っと、拗ねたような声を出したが、今は気にしないで良いだろう。
「ぼ、ぼく……」
「うん」
「ぼく、両親に云われて、ヒゥロイトに入ったんです……。ここにいるのは、じ、自分の意志じゃないんです……」
両親が歌劇団のメンバーだったから、望まずに入ったと。
おや、リープと云う名の美幼女(男)が、ムカついたような顔をしている。
美少女(男)がクスクスと笑いながら、俺に耳打ちをした。
「リープとクリスは、同期なの。で、試験の時に、リープはクリスの二番手だったのよ」
あー……成程。
イヤイヤやってた子が、努力してた自分よりも上の成績だった、とかのパターンか。
しかも、やる気のなさは現在進行形と。
そりゃ、目の敵にされるわなァ……。
俺は、続けてクリスに尋ねた。
「望まずに入ったから、悩んでいるってことなの?」
「い、いえ……。望まずに入ったのは事実なんですが、やってみると、歌もお芝居も楽しかった、です……」
うん?
楽しかった?
じゃあ、何故?
やって楽しく、しかも才能があるのなら、天職じゃないの?
俺が首を傾げると、彼女は云った。
「ぼ、ぼく……。男の子なんですよ? だ、だから……お、女の子の格好をするのが……は、恥ずかしいんです……っ」
「…………」
うん。
至極、真っ当な理由だった。
そりゃ悩むわ。
しかし、俺以外のヒゥロイトメンバーは、「何云ってんの、こいつ」みたいな顔をしている。
可愛い格好を出来るほうが得なのに、とか真顔で耳打ちしあっている。
貴女たち、価値観が違いすぎませんかね?
※※※
「ミアが戻ってきたァ?」
一旦、仕切り直し――ついでに妹様のご機嫌取りに戻ってきていると、ヤンティーネからミアが写真館に来たことを告げられた。
俺に緊急の話があるらしい。
「ちょっと行ってくるよ」
フィーを抱えたまま、ティーネを従えて入り口へと向かう。
そこには、息を切らせた駄メイド様の姿が。
どうやら、走ってきたらしい。
それ程の事態が起こったのだろうか?
「ミア、どうしたの? というか、よくここが分かったね? 写真館は、もういっこあるのに」
「くふふっ。私は、アルトきゅんのお姉ちゃんですからねー。どれだけ離れていても、ロックオンした美幼年の匂いは分かるんですねー」
何そのストーキング能力。
しかしミアは、すぐにドヤ顔を引っ込めて俺に掴みかかる。
妹様が激怒されるが、必死の彼女に届かない。
「アルトきゅん、アルトきゅん! そんなことより、大変っ! 大変なんですよーっ!」
大変じゃなくて、変態なら、ここにいるけどな。
「実は、お屋敷に戻る前にですねー。同好の士にバッタリ出会ったんですねー」
何? ミアの『お仲間』が普通に、お外を徘徊しているの?
この国、大丈夫?
「そこで、あのバブスが、ヒゥロイトの追っかけで、王都に潜入していると聞いたんですねー」
いや、誰よ、バブスって。
『あの』とか云われても、俺は全く知らんのだが。
「バブスは、禁忌を犯した者なんですねー。我々美幼年愛好家には、『イエス少年、ノータッチ』の不文律があるんですが――」
俺、一再ならずミアに襲われてる記憶があるんですが、それは。
「バブスはこともあろうに、美幼年襲撃の常習者なんですねー。何度もおててが後ろに回っている、危険人物なんですねー」
つまり、この駄メイド様よりヤバいヤツがいると?
ホント?
本当に、そんなのがいるの?
この国、大丈夫?
「私は一刻も早く、アルトきゅんとヒゥロイトの皆さんに、このことを知らせに来たんですねー。すぐに手を打たないと、私のアルトきゅんや、セロの秘宝たちが穢されてしまいますねー!」
誰が、『私のアルトきゅん』ですかね?
まあ、知らせに来てくれたのは助かるが、ここ、とっても警備が厳重よ?
商会の警備員と、セロからの護衛と、王都からの護衛。
この三者が、ガッチリと固めているから。
俺がそう云うと、ミアは真剣な顔で首を振った。
「バブスは、変装の名人なんですねー。だからこそ、これまでも警備員に化けて美幼年たちに近付き、無体を働いてきたんですねー。美幼年にかける情熱を、なめてはいけませんねー!」
うぅん……。とっても会いたくない人物像であるようだ。
でも、フレイたちが襲われたら大変だから、すぐに教えに行かないと。
「ヤンティーネ」
「はっ。ただちに情報を共有致します」
馬のしっぽが写真館の中へ駆け込んでいく。
俺も後に続こうとしたが、ミアに手を握られ、止められた。
うん。フィー、大丈夫だから、怒らないでね?
「実は、バブスについて、もうひとつ重要な情報があるんですねー。それは、彼女がどうして、いたいけな美幼年たちを、襲うことが出来たか、なんですねー」
「うん? それはミア自身がさっき、変装の名人だと――」
「それは、『潜入の手段』なんですねー。問題なのは、その先なんですねー。場合によっては、アルトきゅんでも餌食にされかねないんですねー」
それは、俺では勝てないということなのだろうか?
俺よりも強い人なんかいくらでもいるだろうが、最初から『勝てない』と分かっているかいないかは、重要な情報だ。
「ミア、その変質者、どう強いの?」
「そうではないんですねー。バブスの厄介さは、『強さ』ではないんですねー。ですが、バブスは――」
駄メイドが云いかけたところで、建物の中から悲鳴があがった。
それはゴキブリを見かけたときの叫び声にも似て。
俺とミアは顔を見合わせ、写真館の中へと飛び込んだ。




