第六百三十四話 クララちゃんの誕生日
神聖歴1207年の六月下旬――。
その日は、第三王女クラウディアの誕生日であり、そしてその誕生パーティーが開かれていた。
節目の誕生年ではないので比較的小規模な開催であったが、それでも複数の貴族の姿がある。
広い会場は豪華に飾り付けられており、出された料理も、また一流であった。
けれども、クラウディアの表情は暗い。
それは会場にいる貴族たち――大半がヴェンテルスホーヴェン侯爵家の傘下だ――が、彼女を心から祝おうとする者が、いなかったからであろう。
参列した貴族たちはこの場を完全に情報交換の場と看做しており、型どおりの挨拶をして以降は、誰も『主役』の少女を見ようとはしない。
彼らにとってクラウディアとは、既に『終わった』存在なのである。
魔術も使えず、王位継承権もない。
心ない陰口によって摩耗した精神は、覇気のなさだと思われてしまい、人格も評価されない。
更にそこには、『逆恨み』も加わる。
彼女が『宝剣の儀』に失敗したことは、多くの第三王女支持者たちの体面を傷つけた。
彼らは方々で、『泥船を持ち上げた者』として、物笑いの種になったのである。
やり場のない怒りは、大元である第三王女へと向けられる。
貴方のせいで、恥をかくことになったのですぞと。
故に、その視線は冷たい。
彼らの関心の大半は、侯爵の孫、そして王の娘である彼女が、どこに嫁ぐか――くらいのものであった。
同じ媚びを売るのであれば、国王や侯爵や、その跡取りにすべきであって、政治上の道具としてどこぞに嫁ぎ、以降出番など無いであろう無力な少女に割くリソースなど、必要無いと看做されたのである。
味方の貴族からは冷たい目で見られ、他勢力の貴族からは蔑みの目で見られる。
クラウディアにとっても、パーティーなどは苦痛以外の何ものでもなかったのであった。
「…………」
彼女は、バルコニーへと出た。
或いは、逃げ出したと云うべきなのかもしれない。
母と祖父が貸してくれた腕利きの護衛――ダンとピストリークスは第三王女の心情を慮って、バルコニーへの入り口を固めるにとどめている。
ひとりになったクラウディアは、天を見上げる。
空には、満天の星空。
そして、蒼い色の欠けた月。
こんなにも賑やかなのに、ひとりぼっちだと彼女は思った。
クラウディアはうずくまり、それから泣きそうになり――。
「そんな顔を、するもんじゃないわい」
不意の声に、顔を上げた。
そこには何をどうやったのか、地上から這い上がってきた背の高い老人がいる。
気配を察知した二名の護衛はバルコニーに飛び込もうとし、『それ』が何者かに気付き、すぐに元の場所へと戻っている。
「ふむ。あやつら、流石に優秀じゃな。わしがここまで入り込むのに、大半の者には気付かれんかったのにのぅ」
よっこいしょと大理石の手すりに腰を下ろし、ひょうたんを傾けて酒を飲む。
彼は――エフモント・ガリバルディは、貴族たちと顔を合わせることを嫌い、パーティーには出ないと宣言していたはずなのである。
「え、エフモント様……っ。ど、どうして、ここに……?」
「おう。わしゃ、お主の爺さんじゃからな。孫の顔くらいは、見に来ることじゃろうよ」
老いた予言者は、腰に付けていた別のひょうたんを『クララ』に手渡す。
「やっとこ、良い感じのひょうたんが手に入ったでな。約束通り、お前にやるわい。実用的で、良いプレゼントじゃろう?」
老人は、片目を閉じてみせる。
それだけで、このバルコニーが別世界になったように思えた。
自分が自分で良い場所なのだと、彼女には思えたのである。
「ミィスやデボラのやつから、ついにバクチで勝ち越しての。――いやまあ、あやつらは、わしがお前のためのプレゼント代を工面すると知った途端に弱体化したから、気を遣われたのかもしれんがな」
おどけたように呟く老爺に、クララは思わず噴き出しそうになった。
「そうじゃ。お主はそうして、笑っておればそれでええ。何せ、わしの孫は可愛いんじゃからな! 外見だけではないぞ? 心根が可愛らしいと、わしはそう思っておる」
「…………っ」
面と向かって可愛いと云われ、クララは赤面しながら俯いてしまう。
蔑まれるのも苦手だが、褒められることにも慣れていない第三王女なのだった。
「もうすぐ、あの騒がしい一家と会えるのじゃろう?」
「――――っ」
ぴくんと、彼女は顔を上げた。
そこには、先程までの暗さがない。
一瞬にして、心の中の暗闇を打ち払ったのであろう。
あの家族は、それ程までにこの子の心の支えとなっているのだと、老爺は確信する。
過ごした時間は短くとも、『自分』を見てくれる人々なのだと、彼女自身も分かっているに違いない。
(それで良い。わしのようにいつまで生きられるか分からん老人よりも、もっと若い者たちが、こやつには必要なんじゃからな……)
その役目は本来、彼女の『近習』がやるべきではあるのだが――。
予言者は苦笑し、それから彼女に云った。
「忙しいところをすまんがの。パーティーがお開きになるまでの間、この年寄りの話し相手にでもなっていてくれい」
それは、この時間中を一緒にいてくれるという宣言。
その気遣いに、クラウディアは再び泣きそうになった。
※※※
明くる日。
王宮のごく一部で、ささやかなお誕生日会が開かれた。
そこにあるのは、昨日とはうって変わっての笑顔。
祝うほうも祝われるほうも、心の底から笑うことの出来る場所なのであった。
「クララちゃん。お誕生日、おめでとう~!」
リュシカ・クレーンプットは、そう云って無遠慮に王女殿下を抱きしめる。
不敬――。
本来は、その通りであろう。
けれども、第三王女には、そちらのほうが心地よかった。
優しい母親と同じ気配がした。
「ひょうたんっ! クララちゃん、ひょうたん持ってる! ふぃー、それ欲しいっ!」
「はい。くすっ。フィーちゃんのぶんも、エフモント様から預かっていますよ? 後でお渡し致しますね?」
「ほんとーっ!? やったーーーーっ! ふぃー、ひょうたんに、どくぎりの素を詰めるっ! 持ち歩くっ!」
「え……っ!? ど、毒霧……っ!?」
意味不明で物騒な言葉に、思わず身を竦める。
けれども、そんな言葉にすら警戒感を抱くことすらなく――。
「あらっ! フィーちゃん。あっちに、ボードゲームが置いてあるわよ? 後で一緒に、遊ばせて貰いましょうか?」
「みゅみゅっ! ボードゲーム! それ、ふぃー、得意っ! 絶対に勝つっ! それで、にーたに褒めて貰うっ!」
それはセロの歌劇団が執拗に広め、庶民の娯楽から貴族の嗜みのひとつにもなりつつある、バックギャモンという名のゲーム。
フィーリア・クレーンプットの『得意』発言には確たる根拠はないが、クララはそれを得意としていた。
尤も、あまり対戦する相手には恵まれてはいなかったが――。
(こういったものを下さったのも、あの方だ……)
彼女は、チラリと傍を見る。
そこには、根腐れした枯れかけの植物のような気配を放つ、少年がひとり。
彼は、はしゃぐ妹をあやし、行き過ぎのスキンシップを行う母を窘め、『友人』たるクララに、さりげない気を遣ってくれている。
(…………)
胸のあたりが、キュッとした。
よくわからない感覚に、少女は俯く。
俯いた状態から上目遣いに少年を見れば、彼は柔らかい笑顔を彼女に返した。
それは、昨夜の貴族たちが自分に向ける瞳とは絶対に違う、『自分がここにいて良い証』。
理由もなく、クララは泣きそうになった。
「ふふふ~。クララちゃん! 私たち、クララちゃんにプレゼントを持ってきたのよ!」
「ふへへっ! ふぃー、凄いの持ってきた! クララちゃん、きっと驚く! 庭で拾った、ふぃーの宝物っ!」
笑顔――。
そこには、笑顔だけがある。
その中に、照れくさそうで、自信なさげなものがあることに、彼女は気付いた。
彼は云う。
「これ、俺が作った銀細工なんだけど、受け取ってくれると嬉しいな。――今にして思えば、他のボードゲームのほうが良かったかもね」
そんなことない。
口から出そうになった言葉に、彼女はハッとする。
それは彼女が、母や祖父や、あの予言者に散々云って貰えていた言葉なのだった。
その意味を。
その心を。
彼女はこのとき、はじめて実感することが出来た。
「――――」
大きく綺麗な瞳から、一筋の涙がこぼれる。
リュシカ・クレーンプットは彼女を優しく抱きしめ、フィーリア・クレーンプットは、心配そうに駆け寄ってきた。
そして、少年の表情は――。
こんなに楽しいお誕生日があるのですねと、クララは泣きながら呟いた。
ムーンレイン王国の第三王女は、今までで一番素敵な誕生日を迎えることが出来たのだと、心から思えたのだった。
なお、留守番役のマリモちゃんは泣いています。
 




