第六百三十話 六月も半ばだが
神聖歴1207年の六月。
その日、クレーンプット家では二名のお子様と一名のハイエルフ様が、今か今かとそれの完成を待ち続けていた。
殊更じらすつもりもないが、こっちも手を抜くわけにはいかないのでね。
(しっかりとヤスリを掛けて、エイベル謹製のニスを塗って、と……)
万が一、うちの子たちのおててにトゲが刺さったら可哀想だからね。
他、徹底的に細かい部分をチェックをする。
百里を行く者は九十を半ばとす。
昔の人は、良いこと云った。
「と、云うわけで、出来ましたーっ!」
「おぉ~~……っ!」
皆が歓声を上げ、ぱちぱちと手を叩く。
この場にいるのは、妹様ふたりと、マイマザー。
そして、子ども大好きフェネルさんである。
なんと彼女は、『これ』の完成日が今日であると知って、わざわざ半休を取ってきたのだという。
彼女は、大のお気に入りのマリモちゃんを膝に乗せて、ご満悦だ。
俺が作業中なので、フィーは母さんにだっこされている。
マイエンジェルも、何気に母さん大好きだからね。
これはこれで、収まりが良いのだろう。
で、たった今完成したもの。
それは、お子様用の室内遊具なのである。
ちいさなジャングルジムと、滑り台。
高さの調節できる低めの鉄棒――実際は木製だが――と、それに取り付けることの出来るブランコまで付いている、子どもたち垂涎の逸品……のはず……なのである。
それを、エイベルに素材を提供して貰い、ガド監修の許に、俺が作り上げた。
切っ掛けは、こないだ御前試合の直前に出会ったヒツジちゃんである。
あの子の家は母子家庭であり、お母さんのフローチェ女史は現役の学者さんであり、なかなかに忙しい。
なので彼女のお世話は、雇われのお手伝いさんがやっているが、ヒツジちゃんは結構パワフルなので、雨の日なんかだと、お外を見ながら寂しそうにしているのだとか。
さいわいというか、うちにも遊びたい盛りの妹たちがいるのだし、どうせなら日本にあった幼児用室内遊具を作ってみようと思い立ったのであった。
まさか試作品をいきなり他所様に渡すわけにも行かないので、こうしてまずは、我が家用のそれを作り上げたという次第。
予想通り――というか、予想以上に、フィーとマリモちゃんの食い付きが凄い。
大人二名にだっこされているクレーンプット姉妹は、彼女らの腕の中でバタバタと暴れている。
「にーた! ふぃー、すぐにこれで遊びたい!」
「にー! にぃーっ! あーきゃっ!」
「分かった分かった。でも、ちゃんと母さんやフェネルさんのいうことを聞いて遊ぶんだぞ?」
「はーいっ!」
「きゃーっ!」
ふたりは矢のような速度で遊具に突進していく。
二名の保護者が、顔を見合わせて笑った。
「あらあら、よっぽど待ち遠しかったのね」
「ああ……。お子様がたの笑顔……。癒される……!」
フィーとマリモちゃんは、満面の笑みで遊具に挑んでいる。
滑り台を滑っては笑い。
ジャングルジムに上っては微笑む。
ブランコは――ちょっと取り合いになっちゃってるな、反省。
何でブランコが一個だけなのかというと、実はこの室内遊具。普段は邪魔にならないように、分解や折りたたみが出来るようになっているのです。
わざわざそういう機能を付けたのは、大元の室内遊具の大半が、そういう仕様だからである。
マリモちゃんの乗るブランコを押してあげながら、フェネルさんが云う。
「アルト様。ユーラカーシャ様に贈ったベビーカーもそうでしたが、こちらもコンパクトにまとめておける作りになっているのは、何かこだわりがあるのでしょうか?」
日本の狭い住宅事情からすれば、それは当然なのですよ……。
ユーちゃんの話題を出したからか、彼女はハッとしたように顔を上げる。
「こちらの品! これも、ユーラカーシャ様がお喜びになるのではッ!?」
あの子、二月生まれで今はまだ、六月ですよ?
まあ、子どもの成長は早いし、この手の遊具は一歳くらいから遊べる仕様だから、早めに贈っても問題はないんだろうけどさ。
「その際は、是非ッ! このフェネルめに、ハルモニア家への運搬役をお命じ下さいッ!」
それ、フェネルさんが理由を付けてユーちゃんに会いに行きたいだけですよね?
「ふへへ……っ! おかーさん! 滑り台、楽しい!」
「ふふふ~……。良かったわね、フィーちゃん。他所でこんな凄いものを持ってる子は、ちょっといないわよ? ん~……。私のちいさいころにこんなのがあれば、お父さんに欲しいって、だだをこねてたと思うわ~?」
皆、良い笑顔だァ。
せっかくだし、この光景を写真に納めておくかな……。
「あっ!? アルト様っ! 写真を撮られるのですね!? あとで、私にもわけて下さい!」
「にーた! にーたも、ふぃーと一緒に遊ぶ! これ、とっても楽しいっ!」
「あきゃっ! にー! にぃぃっ!」
「ふたりとも、高いところで暴れちゃダメよぅっ」
しっちゃかめっちゃかになっていると、うちの先生が帰ってきた。
「あ、エイベル、お帰り」
「……ん。ただいま。――やっと完成した?」
素材の提供をしてくれただけあって、マイティーチャーは、俺がこれを作るために苦心していたことを知っているのだ。
なので、『やっと完成した』という言葉には、弟子に対するねぎらいの意味もあるのだと思う。
と思ったら、「……がんばった」と云って貰えた。
ちょっと嬉しい。
「きゅーっ♪」
エイベルが入ってくると、マリモちゃんが元気いっぱいに手を振った。
どうやら、この美人女教師に構って欲しいらしい。
俺がいないときとかはエイベルが魔力をあげているから、何気にノワールはうちの先生にも懐いてるのよね。
マイティーチャーは末妹様の要請に従い、ブランコの後ろに回ると、マリモちゃんの乗っているそれを押してあげている。
が、すぐにフェネルさんにその役を強奪されて、俺の隣に戻ってくる。
すぐ傍に来たのは、局長様に弾き出されたからだけではないらしい。
「……アルに、手紙を預かっている」
「手紙? 俺に?」
普通の知り合いなら、ミア経由で手紙が届くはず。
なので、エイベル経由で来るとなると、通常とはちょっと毛色の違う相手と云うことになるが――。
「うわっ、可愛い丸文字だな!? 誰だ、これ!?」
氷雪の園のエニネーヴェなら綺麗な字だし、キシュクードの水色ちゃんなら、がんばって書きましたって字だし、こんな文字に憶えがないんだが……?
「ええと……。差出人は、タルゴヴィツァ……? ――って、タルゴヴィツァ!? あの、魔女のおばあさんの!? あの人、こんな字書くのかよッ!?」
意外すぎるだろ……。
というか、似合わなさすぎる……。
「内容は、どれどれ……?」
それは、俺に対する苦情の手紙であった。
かの聖域『万秋の森』。
そこの案内人であるあのフェアリー――風妖精のチェチェが、寂しがっているとのことだった。
――毎日毎日、何故かあたしの家に来て愚痴るんだよ! アルトは、まだ来てくれないのかとね! そのことでボタンにも絡むし、調合の邪魔にはなるし、気が散って仕方がない! これというのも、アンタがあの子をずっと放置しているからだろう。迷惑だから、さっさと構いに来てやりな!
という言葉が、可愛らしい丸文字で書かれている。
「……手紙は貰っていないけれど、人づてに氷雪の園とキシュクード島からも、再訪の要請が出ている」
エイベルはエイベルで、淡々とそう云う。
ええと……。
万秋の森に行ったのが、去年の十月。
二度目のキシュクード行で、『メジェド様騒動』……あのコロボックルたちの反乱があったのが、十二月。
そして氷雪の園に出向き、エニネーヴェと再会し、オオウミガラスたちの卵を持ち帰ったのが九月だったから、確かにそれなりの時間が空いているのかもしれない。
礼儀の上からも、あと、うちの家族のためにも、会いに行ければと思うんだが……。
ただ実際問題、年が明けてからも近習試験だ、御前試合だと忙しかったからなァ……。
しかもこの後は、第三王女殿下こと、クララちゃんのお誕生日会が控えているし、ゾン・ヒゥロイトの王都来訪があり、『黒猫魔術団』の活動もせねばならないし、夏の里帰りも待っている。
不定期ではあるが、『御伽役』として村娘ちゃんに会いに行くのも、予定と云えば予定だろう。
まだ今年も半分だが、残りの半年も大車輪で過ぎていく気がするな……。
(流石にこっちの世界でも過労死するとは思えないが、忙しいのは間違いないねぇ……)
時間だけでなく、移動の問題もあるか。
『門』はエイベルが忙しいときは使用できないし、更に氷雪の園なんかだと、母さんも同行するなら恐れ多くも、もうひとりのアーチエルフ様を運転手としてチャーターしなければならないし。
「……アルがしたいようにすれば良い。調整は、私が付ける」
などと云ってくれる先生様よ。
まあどうあれ、喫緊の問題から片付けるより他にないのだが。
「高祖様って、本当にアルト様に甘いですよね」
と、ストレートなことを云い出すのは、ブランコから降りたマリモちゃんをだっこしたフェネルさんである。
マイティーチャーは聞こえないフリをしているが、かすかに魅惑のお耳が赤くなっている。
「にーたにーた! 今度は、ふぃーたちがブランコで遊ぶ! ふぃー、にーたと一緒に、ブランコに乗りたい! ふぃー、にーた好き! 大好きっ!」
マイエンジェルが駆けてきて、俺の袖を引っ張った。
その顔は、興奮しきりだ。
室内遊具を、余程に気に入ってくれたらしい。
まあ、明日からも色々あるだろうけど、今はこの子たちのお世話に注力しますかね。
俺とフィーは手をつないで、ブランコへと向かって行った。
 




