第六百二十九話 天覧・共催御前試合(終)
ブルクハユセン侯腹心の部下であるテオドールは、晴れたある日、侯爵邸の庭に立っていた。
その視線の先には、庭師ではなく、仲の良い親子が自分たちで世話をしていた花壇がある。
今、彼はそちらを見ながら、二ヶ月前の出来事を思い返している。
天覧試合のあった、その日のことを。
テオドールはブルクハユセン家中でも指折りの実力者であったし、しかもその手には名器物たる魔性武器まで備えていた。
けれども不意の侵入者の前に、彼は敗れた。
得体の知れない、フードの人物によって。
――あの騒ぎは、何だったのだろうか?
箝口令が敷かれた家中で、当事者であった者たちが今も密やかに語り合う内容である。
テオドールは年下の親友より、ある程度の事情は聞かされていた。
(あれが、第四王女殿下に匹敵するとも云われる、年少の段位魔術師か)
恐るべき強さであった。
こちらの攻撃は一切通じず、しかも世に謳われる二大器物――ドワーフ製の武器と、魔性武器――の一方を持つ自分を、あろうことか素手で倒してのけたのだ。
主君ランバーの話によれば、あれは超絶の魔術師でありながら、武器も使いこなすのだという。まさに、神童である。
(それとも、それはあのセロの執行職の血筋のなせる業か)
セロの街最強の冒険者、シャーク・クレーンプット。
この侯爵邸に押し入った賊のひとりが、彼であった。
無論、大半の者はそれを現在も知らないのだが。
『畏きところ』より出された停戦命令を伝えに行った先で、恐ろしいものを見た。
勇猛で知られるブルクハユセン侯爵家の騎士たちが、異形の姿に変えられていたのである。
玄関前一面が、その有様であった。
それを、たったひとりの巨躯の男が成したのだという。
山のような圧力を持つ男は、息を切らせながらテオドールに云った。
「新手か? かまわねぇ。掛かってきな」
それは、命を捨てても護りたいもののある者の目だと、すぐに分かった。
テオドール自身が、その想いを抱いていたのだから。
停戦を告げると、巨躯の男は覆面の下で笑ったようであった。
そして、そのまま座り込んだ。
男は、肩で大きく息をしている。
立っていることすら、困難な有様であった。
しかしそれでも、かの執行職はついに、無傷のままに勝ちきったのである。
「ああ、畜生っ。くったびれたぜぇ……! 殺さないように……そして、楽に治療できるように手加減するってのは、本当に神経を使う……! 押し入りに荷担した俺が云って良いセリフじゃねェのかもしれねぇが、俺の孫たちには、説教とゲンコツを喰らわしてやらなきゃよォ……!」
その言葉の通りに。
ブルクハユセン侯爵家側に、ついに死者はひとりもいなかった。
駆けつけた御前試合の医療スタッフたちが治療に当たると、騎士たちは呆れる程簡単に回復したのである。
それは、かの執行職の精一杯の配慮であったのだ。
(何なのだ、彼らは? どうして命を賭けて、我らの侯爵邸に進入してきたのだ?)
テオドールには、理解が及ばぬことばかりであった。
それは、自分を足止めしようとした弱いふたりと、ちいさな子どもにも云える。
神童に魔術を喰らい、武器を失い、脚を負傷し、ボロボロになった状態でもなお勝てるような弱い三人組は、懸命に自分に食い下がってきたのである。
フードの魔術師のために時間稼ぎをするというその任務を、そして成功させてのけた。
その中の大人ふたりは、聞いたこともない冒険者であった。
大した実力もないから、名声もないのであろう。
そんな者たちが、どうしてこんな騒ぎに荷担したのか?
もちろん世の中には、『悪いことでもいいから目立ちたい』という救いようのない愚か者もいるが、彼らは粗忽ではあっても、『悪』には見えなかった。
テオドールの問いかけに対し、スラックス兄弟はこう答えた。
「難しいことはよく分からないが、誰かを救おうと命を賭ける者がいるなら、それを手伝うのは当然だろう?」
兄のほうはそう答え、
「助け方なんか知らないけどさ、『もう諦めたヤツ』よりも、『最後まで諦めないで行動しようとするヤツ』に乗るのは、当然じゃんか」
弟のほうは、そう笑った。
テオドールは後日、彼ら兄弟が冒険者を目指した経緯を知った。
彼らは、セロに近いちいさな村の出身であった。
兄弟がまだ幼い頃、彼らの村の近くに数多くの魔獣が出たのだという。
村は冒険者ギルドに討伐の依頼を出す。
けれども、もともとが裕福ではないうえに魔獣の被害で資金が払底していた村人らは、ろくな依頼料を積むことが出来なかったのだ。
当然、それに応える冒険者はいない。
最早どうしようもない。
そんな絶望が襲ったとき、ひとりの冒険者がやって来る。
その人物は、安値でも討伐を引き受けてくれたのだという。
たったひとりで。
そこまで強いわけでもなく。
けれども罠を工夫し、モンスターの習性を見極め、見ず知らずの村のために、命がけで戦った。
彼の奮闘の甲斐あって、数日を掛け、どうにか魔獣を追い払うことが出来た。
村人たちは歓喜に湧き、彼に最大限の感謝をする。
最終確認の見回りに出かけた冒険者を労うために、ある村人は肉を御馳走しようと考えた。
そして草むらで動く獲物に、弓を射る。
そこにいたのは、罠の解除のためにうずくまっていた、その冒険者であったのだ。
胸を貫かれた彼は、息も絶え絶えになっていた。
驚き慌て、泣きながら謝罪する村人に、彼は云ったのだという。
「――ああ、このくらい、気にするなよ」
それが、最後の言葉であった。
弓を射た男の名は、スラックス。
幼い兄弟を持つ、父親であったのだ。
死んだ冒険者は幼い兄弟にとって、間違いなくヒーローであった。
少ない賃金で何故村を助けてくれるのかという兄弟の質問に対し、彼はこう答えたのだという。
「『誰かのために戦える』。『誰かの笑顔を、護ってやれる』。しかも、報酬を貰えるオマケ付き! だから俺は、冒険者になったんだ」
彼は亡くなったが、その想いは、確かに『次代』に受け継がれていたのだろう。
テオドールは、三人組の最年少。
覆面をした、ちいさな子どもにも参戦の動機を聞いた。
彼は見たこともない鉤の付いた鉄棒をプラプラさせながら、こう答えた。
「アルのヤツは、友だちだからなー」
あっけらかんと。
実にあっけらかんと、その少年は笑っていた。
※※※
そして、テオドールの目の前には、ふたりの女性がいる。
ひとりは、未だ痩せた身体をした女性。
もうひとりは、ろくに言葉を話すことも出来ない少女。
彼女らは、ちいさく寄り添い合って、懸命に花壇の土を掘り起こしている。
女性――ルティリアが動けるようになっての最初の願いが、『娘と一緒にお花を植えたいのです』であったのだ。
侯爵夫人の回復は、目を覚ましてからの治療を施したジャクスロー医師の大手柄だと目されている。
医師本人はそれを必死に否定したが、もともとが名医であったが故に、謙遜なのだと世間には認識されてしまった。
ただ、弱った身体を安全かつ確実に回復させたのは、間違いなく彼の手腕であっただろう。
ブルクハユセンの母娘は、トゥーリがいずこからか持ってきた不思議な種を植えている。
これは後に、この世のものとは思えぬ程に美しいちいさな黄色の花を咲かせ、国王を驚愕、床を転げ回る程に羨ましがらせることになるのだが、それはまた、別の話だ。
「ふふふ……。トゥーリ、畝の作り方が、上手になったわね?」
「あ~……♪」
――ああ、なんと嬉しそうに笑うのだろうか。
母の笑みも娘の笑みも、心の底からの笑顔なのだった。
やがて母娘は、遠くにいる『誰か』に気付く。
ふたりは懸命に、その人を呼ぶ。
獅子のような気配をした、その男を。
彼は、おずおずとふたりに近づき、何事かを語らい、百面相をし、そしてやがて――一緒に花壇の手入れを始めた。
その男にとって、土いじりなど、初めての経験であった。
困惑と気恥ずかしさに染まっていたその顔は、やがて笑顔に変わっていく。
それは三人が、ついに『家族』になれた瞬間なのであった。
娘は、両親に甘えている。
そんな世間では『当たり前の光景』がどれ程尊く、貴重なものであるかを、テオドールは知っていた。
そこには、花が咲いている。
笑顔と云う名の、最上の花が。
仲良く寄り添う、三人の家族。
その姿を見てテオドールは、静かに涙を流したのだった。
 




