第六百二十七話 天覧・共催御前試合(その二十五)
泥縄。
泥縄、泥縄、泥縄、泥縄。
まさに、泥縄な突入であった。
俺はアドリブの利く人間ではないので、急なアクシデントには、どうしても後手に回ってしまう。
今回の場合なんてまさにそれで、『どう収拾を付けるべきか?』なんて思いついてもいない。
ただ、あの子のお母さんを救うこと。
そして、その為に力を貸してくれた皆を、無事に帰すこと。
この二点だけは、なんとしても叶えたいと思う。
ちょっとだけ、後ろを振り返る。
俺に代わって、あのイケメンの相手を引き受けてくれた三人は、雷絶を喰らい、魔性武器を失い、しかも脚に大ケガをしているボロボロのイケメンさんに向かって行き――。
「ぬわーーーっ!」
それでも揃って吹っ飛ばされているな。
いや、うん。
ここまで来たんだ。彼らを信じよう。
という訳で、ダッシュ。
――ひとつだけ気になるのは、『部屋の中』のこと。
あのイケメンは、最後の瞬間の邪魔をさせない、みたいなことを口にした。
ということはつまり、木陰の間には、ライオンマンとお面ちゃんがいる、ということになるのではないか?
また戦いになるのはイヤだが、その辺も結局は、泥縄で行くしかないのだ。
(最低限、不意の襲撃だけは警戒して――)
俺は、扉を開ける。
すると、いたよ。
怒りに燃える表情で剣を握っている侯爵閣下が。
どうやら、戦闘には気付いていたようだ。
大きな音をさせたのだから、これは当然かな。
(向こうに見えるちいさな子が、あのお面の女の子か……)
初めて、素顔を見た。
中身は、とっても可愛らしいのね。
そして彼女は、剣を持っていない。
ベッドの上に横たわる女性に寄り添い、不安そうにしている。
(メチャクチャな突入になってしまったが、ひとつだけ確信を得たぞ)
それは、無茶をして良かったということだ。
お面の女の子によく似た女性は痩せ細り、顔色も真っ青だった。
おそらく、今この瞬間がラストチャンス。
一時間後は、たぶんない。
「貴様は、アルト・クレーンプット……! 何をしに、そして誰の許しを得て、ここに入ってきたのだ……!?」
そりゃ、彼からしたら、俺は意味不明な闖入者だもんね。
しかも愛する妻との最後の時間を邪魔するというオマケ付き。
怒らないほうがおかしいだろう。
この状況で、「奥さんを治しに来ました!」と云って、信じる者はいないだろう。
そもそもエイベルの薬のことを、知らせる気もないが。
となればライオンマンには眠って貰って、その間に夫人を助ける。
明らかに俺が疑われるだろうが、知ったことではない。
その後は何としても、とぼけ切ってやる。
「答えぬかッ!」
侯爵は、もの凄い勢いで斬りかかってくる。
こんなものを喰らったら、答えぬかとか云われても、答えられないじゃないか。
(踏み込みも斬りつけも、凄く速いぞ!? さっきのイケメンさんと同等か、もしかしたら上手の使い手かも)
だが、ある意味で俺は彼の動きは予習済みだ。
なんとか、対応は出来るだろう。
両の手に、魔力は込めている。
先程の焼き直しになるが、きっと通じる。
まずは彼の剣を叩き落として――。
「うーっ!」
しかしそこに、あの少女が割り込んできた。
闘技場の時のような苛烈さはなく、武器を振るうでもない。
両手を広げ、俺たちの間に立ったのだ。
「トゥーリ……っ!」
ライオンマンは、慌てて武器を引っ込める。
カウンターを狙っていた俺も、手を止めた。
「この……っ、バカ者が……ッ! 突如前へ出るなど、なんのつもりだッ!?」
ランバーは激昂するが、俺は彼女の顔と身体の向きを見て、分かった。
「お父さんを、庇ったんだね……?」
「何……ッ!?」
ブルクハユセン侯は驚いたような顔をした後、すぐに激昂した。
「俺が、敗れるとでも思ったのかッ!? この親不孝者めがッ!」
「逆ですよ」
俺は云った。
この子――トゥーリのことは、よく知らない。
けれども、分かることもある。
それは、俺がフィーやノワールといった、幼い子たちと触れ合ってきたからだろう。
ライオンマンは、俺の言葉に不快げに眉を顰める。
「逆とは、どういう意味だ!?」
「親不孝という意味がです。この子は、何でアンタを庇ったと思う?」
「何……!? 一体、貴様に、何が分かると――」
男の言葉を待たずして、俺は云う。
ごくシンプルな、この子の『想い』を。
「この子は、アンタを好きなんだ。だから、庇った」
「――――」
男の顔から、表情が消えた。
完全に、虚を突かれたという感じだった。
「バカ、な……。そ、そんなことが、あるわけがない……っ! 俺は今まで、トゥーリに……」
「ぁ~……。ぅ……」
子どもが親を慕うのに、理由は要らない。
ライオンマンの態度を見れば、良好な関係でなかったことは察せられる。
それでもこの子は、自分の親が好きだったのだ。父も、母も。
トゥーリというのは、そういう少女だったのだろう。
俺は、ランバーに触れた。
頭が真っ白になっているであろうランバーに。
「雷絶」
「~~~~っ!」
男は、気絶をする。
廊下を守備していたイケメンさんと違って耐えられなかったのは、『戦意』の差だろうな。
「あーっ!? うーっ!」
驚く少女に向かって、俺は云う。
「大丈夫。約束したよね? お母さんは、必ず助けてあげるって」
フードを取って、笑顔を見せた。
それは作り笑いであったかもしれないけれども、嘘偽りのない言葉。
これで攻撃されたら、それはもう仕方がない。甘んじて受け入れよう。
「……ぅ」
彼女は、攻撃をしてこなかった。
俺を信じてくれたのだろうか?
それとも、『助ける』という言葉に、一縷の望みを賭けたのか。
自分のローブをいじるとき、カサリという音がした。
そこにあるものを、俺は思い出す。
同時に、爺さんがジャクスロー医師から聞いた、ブルクハユセン母娘の趣味のことも。
(俺は運命論者ではないけれども、『これ』がここにあるのは、きっと偶然じゃない)
それを取り出し、少女に手渡す。
「ぅ~……! ぅー……っ!」
手渡されたものを理解した彼女は、勢いよくベッドを振り返った。
それは、妹様が持って来ていた、花の種。
この子がお母さんと一緒に過ごすことを夢見た、庭園の残滓。
俺がフィーと花を植える約束をしたように。
この子もきっと、同じ約束を。
だからそれは、叶わなければウソだ。
絶対に、叶わなければならない。
親子一緒に花を植えるという、ありきたりでありふれた未来は、実現されなければならないと思うのだ。
(『想い』というなら、それはここにも)
取り出したのは、うちの先生の薬。
弟子のために彼女が作ってくれた、栄養剤。
「これ、わざわざエイベルが俺に作ってくれたの?」
「……ん。がんばった」
エイベルが『がんばって』くれた薬なんだから、必ず助かる。
俺は、枯れ木のように痩せ細った夫人に近付く。
大丈夫。
薬の飲ませ方も、習っている。
瓶を近づけると同時に、魔力を根源へと至らせる。
彼女の覚醒を阻害する、悪夢の蓋を消し去るのだ。
(ああ、良かった――)
除去だけは、簡単に出来るものだ。
「ん……」
ちいさな。
ほんとうに、ちいさな声が響いた。
それは、眠る女性のもの。
今すぐにも消え入りそうなのに、しっかりとした声がしたのだ。
「あー……っ! あー……っ!」
トゥーリは、泣いていた。
泣きながら、母に取りすがっていた。
それはきっと、久しぶりに聞く声だったのだろう。本当に、久しぶりに。
同時に、痩せ細った顔に、僅かに瑞々しさが戻ったように見えた。
(流石エイベル……!)
俺の魔術などどうでも良いが、死の淵にある者すら呼び戻せるうちのいちごっこの腕には、感謝と感服しかない。
「…………」
眠る女性の顔は、とても安らかで。
タイムリミットいっぱいで間に合ったことを、俺は知った。
トゥーリは、泣き続けている。
けれどもそこには、花のような笑顔があった。
うん。
やっぱり子どもは、笑っているのが一番だよね。
(さて……。あとは、俺たちの身の振り方だけど――)
半ば『襲撃』のような状況になってしまって、切り抜けることが出来るのだろうか?
いや、無理じゃないか、これ。と云うか、ヤバくない?
ここから何とかするなんて、それこそ夢物語では。
「――助けてやろうか?」
そこに、声が響いた。
それは、嘗て一度も聞いたことのない声。
慌てて振り返ると、木陰の間の扉が開いていた。
いつの間に!?
思わず、身構える。
そこには、ひとりの男が立っている。
三十代後半か、四十になったばかりくらいに見える男。
そいつはニヤリと笑いながら、こちらを見ていた。
トゥーリではなく、この俺を。
「何やってんだよ。俺も仲間に入れてくれよ」
そんなことを云われたら、こう返すより他にない。
「何だ、このオッサン!?」




