第六十三話 氷雪の園
あっという間に遠ざかって行く山小屋。
エイベルによると、シャッターは自動で閉まるようである。
山小屋はフェフィアット山の八部目くらいにあるらしいが、斜面は急峻ではなく、緩やかだ。
これは、山自体がバカでかいから、そう感じられるだけ、なのだそうだ。
実際、大陸最高峰のひとつに数えられるだけあって、目の前に広がる雪原は、もの凄く広い。
最高峰のひとつ、と微妙に矛盾した云い方をするのは、正確な高さが分からず、『一番高い山候補』が他にいくつかあるからだ。
ただ、共通してこの世界の高い山には、竜が住むと云う話がある。
このフェフィアット山には、氷竜がいるらしい。
「にーた、はやい! まっしろ!」
妹様は怖がるでもなく、はしゃいでいる。
流石大物だ。当家の長女は本当に恐れを知らない。
「アオーン!」
と、獣の遠吠えが聞こえる。
真っ白な狼の群れが俺たちを見つけたらしく、駆けてくる。
しかしエイベルの駆るエアバイクは圧倒的に速く、狼たちをあっという間に置き去りにした。
フェフィアット山にはスノーウルフが棲息すると云われているから、それであろう。
スノーウルフは単体でも特別指定討伐対象にされる程の危険な魔獣のはずだ。
一方でその毛皮も肉も牙も爪も、もの凄い高額で取引されるのだとか。
また、エアバイクが通過した地面に、巨大な穴が突然、空いたのも見た。
雪山名物、クレバスだろう。このバイクは低空飛行だから落ちる危険はないが、ビックリして声が出た。ちなみにフィーは楽しそうに笑っていた。
(成程。云われた通り、エイベルがいる限り安全ではあるが、リスクはそこかしこにあるのだな)
フェフィアット山が恐れられるのは棲息魔獣の凶暴さによるが、一方で魔獣がいなくても登頂は不可能と云われる程、過酷な環境でもある。
転位直後に凍えた部屋だが、あれでも最低限の暖房処置はとられているのだと云う。
なかったら完全に凍てつくそうだ。
他、何気に感心したのが、エイベルのドラテクだ。
岩ありモンスターありクレバスありの雪山をすいすいと進んでいく。
機会があれば俺もツーリングしたいなと思った。
商会に問い合わせれば、単車の類は手に入るだろうか? 俺も一台欲しいぞ。
崖を降り、谷を飛び越え、エアバイクは爆走する。
フェフィアット山を下りる途中も降りた後も、走る度に景色がコロコロと変わったのが印象深い。
ただただ雪景色が続くだけかと思いきや、岩山じみた場所があり、白い森もあった。
切り立った氷の谷には、トカゲらしき生物も見かけたが、こんな寒い地域で生きていけるものなのだろうか?
そして魔獣の姿を見かけなくなり暫く進むと、肌に魔力を感じ始めた。
空気そのものが魔力を帯びているようだ。
一方で周囲にモンスターの気配はない。
だだっ広い雪原には植物の一本も見受けられないから、つまりは食料がないのだろう。
(てことは、そろそろ雪精たちの生息圏か)
俺がそう思うと同時に、エアバイクの速度が落ちてくる。
「……もうちょっと」
ずっと無言だったエイベルがそう告げる。
さっきまでは運転に集中していたのだろう。或いは、夢中だったのか。
「にーた、へんなけしきいっぱい! ふぃー、たのしい! にーたすき!」
この娘は本当にブレないな。
やがて、エイベルが減速した理由が見えてくる。
「にーたにーた、ゆきせーがいる!」
ぷかぷかと野球のボールくらいの大きさの雪精が空中を漂っている。
確かにこれでは、エアバイクの爆走で撥ね飛ばしてしまうだろう。
産まれたばかりの雪精は魔力を糧に成長し、やがて空を舞えるようになるのだと云う。
更に進化すると、様々なタイプの精霊に変わって行くのだとか。
そして、俺の目の前に、『進化の形』が現れる。
「雪だるまだーっ!」
日本のそれではなく、外国の裕福な家庭が念入りに作った感じの豪華な雪だるまが動いているのが見えた。
頭に帽子を乗せているが、どこで調達してきたのだろうか?
鼻もなんとなく、ニンジンっぽい。
(あ、もうひとりいた)
雪だるまに目を奪われて、その横に人影があることに気がつかなかった。
エアバイクは、両者の前で停止する。
雪だるまは頭を下げ、もう一方は、その場に跪く。
「高祖様、お待ちしておりました!」
「高貴なる御方に足を運んで頂き、恐懼の極みに存じます」
やたらめったら渋い声で恐懼の極みうんぬん口にしたのが、雪だるまのほうだ。
そして最初に口を開いたのが……。
(これが氷精か)
氷で出来た女の子と云うべきか。
外見に堅さはまるで感じない。
なめらかなクリスタルで出来ていると云う方が、外見的には実情に即すだろうか?
エイベルは俺たちを地面に降ろすと、両者の紹介をしてくれた。
「……こっちの氷精は園長のレァーダ。雪精のほうが、シェレグ。レァーダ、シェレグ、このふたりは私の友人の子供で、アルとフィー」
シンプルで雑な説明だった。
園長って何だ? 動物園や幼稚園でもあるまいに。
あとあの雪だるまも単なる『雪精』で済ますのね。どう見ても進化形だろうに。
まあ、エイベルらしいと云えばらしいのだが。
我らがアーチエルフ様が「友人」と口にした瞬間、氷精と雪精の気配が変わったような気がする。
何と云うか、モブ扱いから客扱いに切り替わったような感じだ。
「アル様とフィー様ですね。私はこの『氷雪の園』の長を務めております、レァーダと申します。こちらの大雪精は、園の筆頭騎士、シェレグです。どうぞお見知りおきを」
「我が名はシェレグだ。よろしく頼むぞ、ちいさき人間たちよ」
ああっと……、彼らの住処は氷雪の園と云うのか。だから園長なのね。
で、このコミカルな雪だるまは園の騎士であると。種族も大雪精と云うらしい。
「アルト・クレーンプットです。よろしくお願いします」
「ふぃーです! にーたがすきです!」
元気に挨拶をする妹様の瞳が、キラキラと輝いている。
珍しいもの。初めて目にするものが多いから、嬉しくてたまらないのだろう。
「立ち話もなんですし、まずはこちらへ」
レァーダが俺たちを園の中へと誘う。
氷雪の園は、まさしく雪と氷で出来た村と云うべきであった。
いくつか建物が見えるが、数はそう多くない。
氷で出来た砦の様なものが見えるが、俺たちは石造りの屋敷に通された。
園長氏の云う所、迎賓館なのだそうだ。
案内された部屋は、一際奇妙だった。
十二畳くらいの広さの部屋だが、カーペットを敷いてある場所だけが暖かい。
どうやら、魔道具のようだ。『外』からの客人は、ここに座れと云うことなのだろう。
「我々はこちらに失礼しますね」
同じ部屋にいながら、レァーダとシェレグは少し遠くにいるが、これはカーペットに乗らないためにだろうな。
「温かいお茶でも出せればよいのですがな。申し訳ありませぬ」
コミカルな雪だるまがダンディな声で頭を下げる。
「……良い。こちらで用意している」
携行した荷物の中には、三人分のカップと、ココアの粉末がある。
この世界ではココアは結構高くて、西の離れでは一切出てこないが、防寒具を受け取る時にヘンリエッテさんがくれたのである。流石は気配り名人。
お湯はわざわざ『お湯の短剣』を作成した。
あればどこでもお茶が飲めるしね。
火を出す魔術はある。水を出す魔術もある。けれど、お湯を直接出す魔術は実はない。
なので、これがあると便利なのだ。
ココアの粉末は俺が少なめ。フィーとエイベルはたっぷりだ。
ふたりとも、甘いものが大好きだからな。残念ながら、ミルクはない。
「ほぉう。それが人の子が自作したという魔剣ですな」
筆頭騎士が目を光らせている。矢張り魔剣を自作できるというのは珍しいらしい。
まあ、ここへ来た目的のひとつが魔剣の納品な訳だし、興味がない訳がないのだが。
「高祖様。雪の魔剣を見せて頂きたいのですが」
「……ん。アル」
「ああ」
俺はこの日のために作り出した雪の魔剣を差し出した。
なまくらなのはどうしようもないが、魔芯自体はこれまでで最高の出来に仕上がったと思う。加えて、柄頭の部分にはエイベルの持ってきた魔力増強の魔石が嵌っている。
なので、使い手次第だが、ちょっとした吹雪すら起こせるかもしれない。
「失礼致します」
レァーダは少し離れて、魔剣の力を解放する。
花が咲くように、刀身に真っ白い雪が現れた。
「にーた! つめたいぽんぽん! ふぃー、ぽんぽんすき! にーただいすき!」
初めて雪の魔剣を見た時、妹様は大喜びだった。
王都の方に雪が降ったら、たっぷりと一緒に遊ぼうと約束している。
だから、マイエンジェルがコミカルな雪だるまの姿をチラチラと見ていることも、お見通しだ。
本当はすぐにでも飛びついて遊びたいのだろうが、グッと我慢してくれている。
この娘は俺のこと以外は、ちゃんとこらえることが出来るのだ。まだ二歳児なのにも係わらず。
「フィー! 偉いぞ……ッ!」
俺は感極まって、マイシスターを抱きしめてしまった。
「きゃー! にーた、ふぃーをほめてくれた! よくわからないけど、ふぃーうれしい! ふぃー、しあわせ! にーただいすき! なでて!」
さらさらの銀髪を、わしわしと撫でる。
フィーは大喜び。俺も大喜び。
その一方で、園長のレァーダは、神妙な顔でエイベルに頭を下げていた。
「高祖様、どうか……どうか我らをお救い下さい……ッ!」と。




