第六百二十三話 天覧・共催御前試合(その二十一)
天覧・共催御前試合閉会式――。
異例ずくめのこの大会は、閉会式もまた異例であった。
一部の人間の姿を、欠いていたのである。
主催者にして発案者である、ブルクハユセン侯ランバー。
そして今大会唯一の『五戦目』に到達した幼剣姫トゥーリ。
他、注目すべき何名かが、そこにはいない。
彼らは、どこへ消えたのか?
それは――。
「あっちに見えるのが、ブルクハユセン侯爵邸……ですね」
「おうよ。こないだ来たばかりだから、流石にお前も見間違えねぇだろう?」
全ての御前試合を(大不評の)圧勝で終えたヴルストこと、アルト・クレーンプットと、その祖父であるシャーク・クレーンプットが、『ライオンマンの家』の近くまでやって来ていた。
(うぅむ……。爺さんも、ついて来ちゃったかァ……)
閉会式から姿を消してまですぐさまこの場へやって来たのは、無論、幼剣姫トゥーリの母を看る為である。
そこに、祖父も付いてきた。
シャークとしては、『情報』をもたらしたのは自分であるし、孫を心配するという理由もあるのだから同行するのは当然ではあるが、アルトとしては、単独行動のほうがやりやすかったのも、また事実ではある。
(気配遮断で忍び込むか、隠密能力に長けるイェットさんあたりに協力を要請するか、あとはエイベルに『人払い』の魔術を使って貰うかするほうが、安全で確実だったんだけどねぇ……)
時間的にも、本当は夜が良かったアルトではあるが、プロの医師――ジャクスローの見立てで、『本当に時間がない』と云われては、すぐに来ないわけにもいかない。
それで、こうしてやって来ているわけである。
「しかし、アルよ。本当にお前は、侯爵夫人を治せるのか?」
「治すのは俺じゃないし、上手くいくかも分かりませんよ」
ローブを目深に被り、未だ『ヴルストモード』のアルトは、自らが腰に提げる小さな鞄を、ポンと叩いた。
そこには彼が敬愛してやまない師匠・エイベルの作ったポーションが入っている。
彼の師であるアーチエルフは、弟子が危地にあって少しでも生き残ることが出来るように、常に薬を持たせている。
それは通常の回復薬たるポーションだけでなく、毒や麻痺に対する解毒薬や、飢餓状態に対抗できる栄養剤などであった。
今回アルトが望みを託すのは、この栄養剤だ。
トゥーリの母は、昏睡からの衰弱状態にある。
目覚めることはないし、仮に目を覚ましたとしても、弱った身体は、既にどうにも出来ないだろう。
しかし、ここに例外が存在する。
云わずと知れた、エイベルの薬である。
彼女が丁寧に作り上げたこの栄養剤は、覿面の効果だけでなく、弱った身体に負担無く滋養を与えることが可能なのだ。
衰弱した身体に急激に強い薬を与えられて、却って逆効果になる、ということは、まずないと断言できる。
アルトはこれを、『秘伝の薬』と祖父に説明した。
流石に『栄養剤』だけでは、侯爵夫人が目を覚ます理由にはならないからだ。
同時に、口止めもお願いする。
「ああ、分かってるぜ。エルフ族の秘薬なんて話が出回れば、とんでもねぇ大騒ぎになっちまう。だから人知れないうちにことを終わらせる。そういうこったろう?」
「――お爺さん、ありがとうございます」
「なァに。大事な孫の頼みでもあるし、人様の命もかかってる。おまけにそいつァ、リュシカの親友が持ってきたものなんだろう? あいつの友人を、売るわけにはいかねえさ」
里帰りの度に――そして今回のような警戒厳重な王都内の観覧の合間にさえ、娘・リュシカたちにはエルフの護衛が付く。
故にシャークは、愛娘の『友人』が、エルフ族の中でも相当な大物なのだという見当は付いている。
しかもその人物は、『秘伝の薬』とやらまで、惜しげもなく子どもに渡すくらいだ。
(おそらくは、ハイエルフ。下手をしたら、長老格にも届く人物だろうな。なら、リュシカの交友関係という話だけでなく、下手に巻き込めば、エルフ族そのものを敵に回しかねねぇ。こいつは、是が非でも伏せなければダメだろうぜ……)
チラリと、シャークは孫の提げる鞄を見つめた。
エルフ族の秘薬。
そんなものを持ち出せる、或いは作り出せるとなると、薬師かそれに縁がある者なのだろう。
(まさか、医聖・ロキュスってぇことはねェだろうが、その直系の弟子クラスの可能性はあるな。うちのリュシカは、そういう大物と意味不明に知り合いになっていても不思議じゃねぇからなァ……)
ハイエルフ族最高の薬師ロキュス。
それは人間たちにとっては、おとぎ話の側の存在なのである。
実在を否定する学者も多いし、実際、その姿を見たものはいない。
そもそも人間側の文献では、魔導歴の時点で存在があやふやで、神聖歴に至っては、一切の痕跡がない。
だからこの歴戦の冒険者も、まさか娘の友人が、『それ以上の存在』などとは、夢にも思わなかった。
「――で、それは良いとして、だ」
シャークは、引きつった顔で後ろを振り返る。
「何で、お前ェらがいるんだよ……?」
そこにいるのは、三人の人物。
いずれも、maleである。
「フッ! 困っている人の助けになるのは、当然のこと!」
「流石、兄ちゃん!」
スラックス兄弟と――。
「そりゃ、アルの助けは必要だろー?」
ハトコ様であった。
祖父と孫は顔を見合わせる。
シャークは思う。
自分たち二名には、充分な戦闘能力も判断能力もあり、更には潜伏能力もあるだろうが、この三名は、どうだろうか……?
(力づくでも追い返すか? いや、場合によっては、ギルドに人を走らせる必要があるかもしれねぇ……。追い払うのはいつでも出来るから、もう少しだけ様子を見るべきか)
それでも一応、孫に目配せをすると、フードの少年は苦笑しながら肩を竦めた。
どうやら、ほぼ同じことを考えていたらしい。
アルト・クレーンプットは祖父に近寄り、別の話を小声で始める。
「お爺さん。侯爵邸には、潜入――という形になりますよね?」
「当然だろうな。正面から入るなら、『秘薬』の話をしなけりゃならねぇ。それが信用される可能性も低いし、口止めも不可能になるだろうよ」
シャークのいうところは、こうである。
既にブルクハユセン侯爵夫人の病気は、多くの者が知る。
それが突如として治ったとなれば、どうあっても『何かがあった』ということを知れ渡ってしまう。
ならば最初から、侯爵家は『何も知らない』ほうが良い。
自分たちの安全という点からも、事は秘されるべきであろう。
アルトも、その意見に賛成であった。
「問題は、ご婦人がどこにいるか、ですよね?」
「ああ、それはジャクスローに口を割らせてきた。館西側三階の、木陰の間だ。ランバーのヤツは連れ合いが安静でいられるようにと、護衛は部屋に置いてねぇみたいだ。つまり、館の中に入れちまえば、目撃される可能性は低くなるだろうな」
「そこまで調べていたんですか。流石はお爺さんです」
「ふ、ふへへ……っ! まァな!」
ちょっとフィーっぽい。
アルトは、そう思った。
シャークは、顔を引き締めてい振り返る。
「今回のことは、隠密性が大事だ、騒ぎ立てて足を引っ張るんじゃねぇぞ?」
「フッ! 任せて貰おう」
「おー!」
「了解だぜ」
ちょっと頼りない気はするが、彼ら三人を知るシャークは、自分が本気で「帰れ」と云えば素直に云うことを聞く連中だと云うことは理解している。
ちなみにこの三人は、『秘薬』のことは、当然知らない。
しかし、あの少女のために行動するのだということだけは分かっている。
逆に云えば、そんなあやふやな理由で手助けをしようとしているのだから、そろいも揃ってお節介焼きのお人好しなのだ。
場合によっては、厄介ごとに巻き込まれると分かっているだろうに。
(と云っても、王都内部で内乱があるわけじゃねぇ……。殊更警戒が厳重ってことはないだろうからな……)
そう考えたシャークは、侯爵邸に近づくにつれて、目を丸くした。
「何だこりゃァ!? ジャクスローのヤツめ、こんなことは、聞いてねぇぞ!?」
それは、物々しいと云っていいレベルの警備であった。
武装した騎士や兵士が、何人も立っていたのである。
アルト・クレーンプットが、祖父に振り返る。
「これ、俺たちが来るのを知っていた――ってわけじゃないですよね?」
「それは違うだろうよ。ここへ乗り込むのを決めたのは、ついさっきの話だぜ? こんな急に、人は集められねぇよ。それに、奴らの動きを見ろ。あれは現時点での襲撃を警戒する者の動きじゃねぇ。表情も、臨戦態勢とは程遠いぜ。つまりランバーのヤツは、たまたま何かの理由で兵を集めていたってことなんだろうな」
百戦錬磨のシャークは、騎士たちの配置と動きから、状況をほぼ正確に云い当てている。
実はこれには、ふたつの理由があった。
ひとつは共催試合の主催者として、閉会後に国王を招くことが決まっていたのである。
けれどもそれは、警備上の理由で余人には知らされていないものであった。
もうひとつの理由は、夫人のためである。
ランバーの妻が危篤だと知れると、「自分なら治療できる」と売り込んでくる胡散臭い連中が増えたのであった。
あの兵士たちは、そういう胡乱な連中をつまみ出すためにもいる。
つまり、もしもアルトたちが正面から奥方の『治療』を申し出ても、猜疑心が強くなっている侯爵方には、俄には信用されなかったはずなのである。
「どうする、我が孫よ。日を改めるか? この警戒の中で忍び込むのは、相当に難しいぜ?」
「本来なら、そうしたいんですけどね。あの子のお母さんの命は、先延ばしにして保つものなんでしょうか?」
「――ジャクスローの話じゃ、今日明日ってことみたいだがな。館が騒ぎになってねぇところを見ると、『今』なら、まだ確実に生きている。俺に云えることは、それだけだ」
「……なら、結論は決まっています」
「無茶するぜ、お前はよ」
云いながらもシャークは、何かがあれば、全ての責任は自分が負うと即座に判断したのであった。
 




