第六百十九話 天覧・共催御前試合(その十七)
ビーシェーヴェル家は、代々がブルクハユセン侯爵家に仕える貴族である。
ただの傘下ではなく、執事や副官や秘書など、極めて近しい立場として歴代侯爵に接する、いわば腹心の家系なのであった。
当代ビーシェーヴェル家の主であるテオドールは、主君ランバーよりもみっつだけ年上という若さであり、また武技をよく修め、侯爵の趣味である狩猟にも付き従い、ブルクハユセン邸には、このテオドールの仕留めた猛獣の剥製が飾られる程に、良好な関係を築いていた。
神聖歴1207年、二月の終わりに、この腹心の部下は、年下の主にして親友に、呼び出された。
「テオ。例の噂は聞いたか?」
「それは、かの大予言者、エフモント・ガリバルディの云う、『伏龍鳳雛』のことでしょうか?」
「そう、それよ!」
獅子のような男は、膝を叩いた。
「『手に入れれば天下も握れる』など大言壮語も甚だしい話だが、噂の出所があの予言者であるからな。この話題が貴族間を駆け巡るのも早かったし、信じる者も、また多かった」
「……つまり、この話を利用して、何事かを成すおつもりですか」
テオドールの言葉に、ランバーは肉食獣じみた笑みを浮かべた。
侯爵は云う。
「あの老人は、『伏龍鳳雛』の出現は予言したが、いつ、どこで、どのような形で現れるかまでは、口にしなかった」
「つまり――我々の手で探し出す。或いは、作り出すと?」
「出所が出所故、多くの者が、『伏龍鳳雛』の出現を信じている。いや、信じたがっている。元来、人間はおとぎ話や奇跡の存在を好むものだからな。でなければ、かの星読み――あのアホカイネン家のうつけ者を、誰が奇跡の御子などと呼ぶものかよ」
吐き捨てるように云う主人を見て、テオドールは冷静に頷いた。
この時点で彼は、主君ランバーが何を望んでいるかを、ほぼ正確に理解している。
侯爵は遠い目をして、独り言のように呟いた。
「ベイレフェルト侯は、その孫娘を第四王女殿下の近習にすることに成功されたようだ。ご自身は兄弟・親族との血で血を洗う争いの果てに、殆どの身内を失ったというのにな」
「……カスペル老は、唯一の娘を、国王陛下の妃にすること、叶いませんでしたからな」
「ひとり娘となれば、差し出せぬのは道理よな。そこに出来た空白に、ケーレマンスなどという金の亡者が入り込んだわけだがな! 全く、運の良い俗物よ!」
テオドールは、静かに目を閉じた。
娘ひとり。
それはこのブルクハユセン侯爵家も、同様であった。
尤も、ベイレフェルト侯爵家との大きな違いも、あるにはある。
それはカスペルの家は親類の殆どが滅んでいるのに対し、ブルクハユセンの分家筋は健在で、そちらから養子を取るという選択肢もなくはないからだ。
(この方は、トゥーリ様の嫁入りを心配されているのだ……。いや、それは奥方様の『願い』というべきか……)
彼の脳裏に、呆けた様子で佇む、ひとりの少女の姿が浮かんだ。
ランバーは、このままでは我が子に伴侶が現れないと思っている。
――何か特別な、付加価値でもない限り。
(この方はご息女を、『伏龍鳳雛』として売り出すおつもりなのだ……)
トゥーリは、難のある子であった。
しかし父親譲りの武勇を継いだのか、幼少にして人間離れした身体能力を誇っている。
しかしあの子は剣を振るっているときよりも、大好きな母親と一緒に、庭園で花を愛でている時間を好んでいることも、テオドールは知っている。
突出した身体能力とは裏腹に、争いの嫌いな子であることも。
「テオ。武術大会を開くぞ。伏龍鳳雛を探すという名目でな」
「ブルクハユセン侯爵家の名で、布告を出されるので?」
「そうだ。名がなければ、人は釣れまい?」
「で、あるならば、現国王と親しいベイレフェルト侯に『天覧』の仲介を頼むべきでありましょう。ブルクハユセン侯爵家は王国きっての名門ではありますが、私的な大会というだけでは、些か説得力に欠けますからな」
「成程。陛下の御前で、直々に『伏龍鳳雛』であると認めて貰う訳か。しかし、ならば我らも、相応の手練れを用意せねばなるまいな。こちらは、ベイレフェルト侯爵家には頼みづらいか……」
「五侯のうち、特に『武』に秀でた家臣を抱えるのは、我らブルクハユセン侯爵家と、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家ですが、あちらの家に無駄な借りを作る必要もありますまい」
「では、どこから武力を調達する?」
「――冒険者ギルドがよろしいでしょう。王都のギルドマスター、モゥゼスは野心家。このような催しには、必ずや食い付くことでありましょう。つまり、あちらとの共催とするのです。ついでに、開催費用の折半と告知用宣伝口として、ギルドを存分に利用されればよろしい」
「ふむ。天覧・共催御前試合か。伏龍鳳雛が誕生する場に、相応しかろうな。その線で話を進めるとしよう。……急げよ?」
テオドールは、ランバーが最後に付け加えた言葉。「急げよ」が、今の会話の中で最も意味が重いことを知っていた。
侯爵夫人はこのところ、体調不良を度々訴えるようになっていたのである。
彼女が魔力を原因とした病に倒れ、昏倒するのは、その少し後の話であった。
※※※
「う~……」
ちいさな少女は、侯爵邸の一室で眠り続ける母親に手を伸ばした。
いつも優しく掌を握り替えしてくれる母は、もう動くことがない。
温かい微笑みを向けてくれることも。
侯爵家ただひとりの令嬢でありながら、父に疎まれ、使用人たちに笑われていることを、トゥーリは知っている。
それでも自分を愛し、心から大切にしてくれた母親の優しさも、彼女は知っているのだ。
「あー……。あー、うぅー……」
ちいさく揺さぶった母親は、何も反応を示さない。
トゥーリはそれでも懸命に、母親に縋り続けた。
他に何も方法を思いつかないから、それしか出来なかった。
大好きな母のために、どんなことでもしたかった。
――トゥーリ、貴方の幸せな花嫁姿を、私は見てみたいの。
それは、母の『願い』。
幼い少女は、それを叶えたいと思った。
それがどのようなものかは理解できなかったけれども、母親の『見たい』と云ったことなのだから、何をしても実現してあげたかった。
「お前のような子どもが、結婚など出来るはずもない!」
ランバーは我が子に、常々そう云った。
それが、変わるときが来た。
「トゥーリ。剣を振るえ。敵を倒せ。そうすれば、お前のような子でも、伴侶が見つかるやもしれんぞ?」
「――う?」
御前試合が形となり、そして、母の衰弱が続くときに、若き侯爵はそう告げた。
ランバーは、妻を見下ろしながら云う。
「それが死ぬまで、もう幾日もない。だが、意識はなくとも、我が妻が生きている間に、『報告』は出来る。不出来な自分にも、婚約者が出来ましたとな。故に、俺はお前に命令する。――戦え。勝って勝って勝ち続けて、価値ある者だと証明しろ」
「ぅ、ぁ~……ぅ……」
言葉の意味は、殆ど理解できなかった。
けれども。
そう、けれども。
自分が身を捨てることで、大好きな母親のためになるというのであれば。
そこに『戦い』を躊躇う理由など、トゥーリにはなかったのである。
「いいか、我が娘よ。対戦相手の中に、アルト・クレーンプットという魔術師がいる。お前と同じ、ほんの子どもだ。だがこいつこそが『伏龍鳳雛』とも噂されている。そいつを倒すことが出来れば、陛下もお前こそを『予言の子』と認めるはずだ。そうすればきっと、お前を得ようとする家も現れるはず」
「あ~……。う~……」
母親と花を愛でる以外に、何も出来ない。
そんな自分が、残せるものがある。
彼女は、それだけしか理解が出来なかった。
そして、それだけで充分であった。
母親のために、剣を振るおう。
たとえその結果、自分が死ぬことになろうとも。
こうして幼剣姫には、差し違えてでも倒すべき相手が出来た。
峻烈なる戦いの果てに、何ひとつ残らないとしても。
母親の『願い』だけは、叶えたいと思った。
それは、幼い子どもとしての、純粋な『想い』であったのだ。
 




