第六百十七話 天覧・共催御前試合(その十五)
願いというものは、呪いに似ている――。
それに囚われ、取るものも手に付かず、やがて心を蝕まれていく。
問題なのは、それを口にした本人に、全くの悪意がない場合である。
云われたほうは、その言葉に縛られるのに。
たとえば、フィーリア・クレーンプットという少女がいる。
彼女はよく食べ、よく動き、そしてよく眠る健康優良児であるが、あまり背は伸びていかない。相も変わらず、ちいさいままである。
兄であるアルト・クレーンプットは妹が健やかであれば背丈などは気にしないが、もしも彼の『好み』が長身の女性であった場合は、どうなるか。
「フィーは背が低いからなァ……」
その一言はずっとフィーリアの心に残留し、背が伸びぬ己の肉体を恨めしく思い続けたことであろう。
言葉というものは、大好きな相手からのそれであるほど、より大きな意味を持つようになっていく。
――トゥーリ、という女の子がいた。
彼女は生まれながらにして周囲の子と違ったが、共通する面もあった。
それは愛情を注いでくれた母親が、大好きだと云うことだ。
「あー……! う~……!」
まともに喋ることの出来ぬ彼女を、父であるランバーは遠ざけた。
けれども彼女の母は、変わらずトゥーリを愛してくれていた。
いつも優しく、抱きしめてくれた。
「トゥーリはとっても良い子ですもの。きっと将来、素敵な人がみつかるわ」
「バカな……っ! それを貰ってくれる家など、あろうはずがない……っ!」
吐き捨てるように呟く夫に、幼子を抱いた母は首を振った。
「『家』の話ではありません。これは、『人』の話です。ブルクハユセンという『権勢』ではなく、トゥーリという『個人』を見てくれる素敵な殿方が、きっと現れてくれるはずですわ」
「それこそ、まさかだ! その子どもを見て、誰が愛など向けてくれるものか! ブルクハユセンという家名なくば、誰ひとり、それを伴侶に迎えようなどとは考えぬはずだ!」
「あー……?」
声を荒げるランバーに、その娘は呆けた顔で首を傾げた。
「…………チッ! 何も理解しておらぬわ!」
若き侯爵は、舌打ちをして立ち去った。
母親は、我が子の髪を撫でる。
「お父様のことを、誤解しないであげてね? あの人は、感情の表現が下手なだけなの。あれでも貴方のことを、とっても愛しているのよ?」
「う~……?」
ぽたぽたとよだれを垂らす娘の口元を拭いて、母親は目を細めた。
「大丈夫。貴方を大切に思ってくれる人が、絶対に見つかるわ。――トゥーリ、貴方の幸せな花嫁姿を、私は見てみたいの」
「あー……」
その笑顔を、娘がどのように捉えたのか。
それを知る者はいなかった。
※※※
「そうか……。アレは、もう保たぬか……」
「申し訳……ありません……」
ジャクスローは、心から頭を下げた。
王国一の医術者と呼ばれていても、対処の出来ない病は多い。
特に治療が難しいのが、『魔力』に関する病気である。
魔力は世に、魔術という素晴らしい力をもたらした。
一方で、その魔力を原因とする病気も、また多い。良いことばかりとは、限らない。
ブルクハユセン侯爵婦人が罹ったのは、魔力の作用が頭部へと悪影響を与える特殊な病気であった。
結果、彼女は昏睡状態にある。
この『眠りの病』は何かの拍子に突然回復することもあるが、基本的には発症すると打つ手がない。
身体は徐々に衰弱し、そして死に至る。
現在婦人は、既に『手遅れ』と診断される状況に陥っているのであった。
「今この瞬間にでも目をお覚まし下されば、どうにか出来るのですが……」
「益体もないことを云うな。それを為すは刀圭家の仕事であり、そしてお前にも不可能なことなのであろう。で、あれば、もっと現実的な話をすべきであろうな。――妻は、後どのくらいの命なのだ?」
「……は。それは――」
そんな会話を、ひとりの少女が聞いていた。
※※※
そして、幼剣姫は四度目の武舞台へと上がる。
圧倒的な強さ。
加えて、容赦のない一撃によって。
長剣を引き摺りながら歩みを進める少女の姿を、会場の警護役兼主催者側の出場者であるシャーク・クレーンプットは、眉を顰めながらに見送った。
「……あれは、怨念の類か? 何にせよ、ガキんちょが背負うようなもんじゃねぇな」
歴戦の冒険者である彼は、強き戦闘者には、ふたつのものが必要なことを知っている。
即ち――技量と想いだ。
あのちいさな女の子に、シャークは巨大な質量の『念』を見たのである。
「さあっ! 今大会中でも無類の強さを誇る幼き少女が、四度リングへと姿を現したぞ! 四試合目となると、年長・年少の部問わず、既に数多くの敗北者を出している局面ではありますが、この方はどうだっ!? ブルクハユセン侯爵家の令嬢、トゥーリ姫の登場だッ!」
会場の歓声など、まるで耳に入っていないかのように、仮面の幼女は佇んでいる。
シャークは、ちいさく舌打ちをした。
「俺の孫とは違う意味で、子どもらしくはねェな。こういう部分に関しては、ブレフのバカのような態度で良いはずなんだがなァ……?」
彼女の対戦相手は、シャークも知る冒険者であった。
あれを倒せるようならば、いよいよあの少女の強さは、バケモノの側にあると云ってよい状況となるが……。
冒険者が扱うのは、槍であった。
それは、彼の孫が操るのと、同じ得物。
「さて……。そいつは剣速や威力があるだけでは、到底倒せねぇ相手だぜ?」
そうして、トゥーリの第四試合が開始された。
冒険者は、槍の穂先をピタリと少女に突きつけていた。
遠目から見ても、一瞬で『距離』が出来たかのように感じられた。
「槍っつぅのは、うちのギルドじゃ、若手どもには推奨しない武器なんだがな……」
多くの場所に出向き、多様なところで戦闘をする冒険者にとって、槍は有用な武器とは断言しづらい。
それは屋内戦であったり、木々の生い茂る森の中であったり、不利に働く場面が多いからであった。
しかし障害物のない開けた場所であれば、長得物は大きな効果を発揮する。
――この、武舞台のように。
「片意地張り続けて槍にこだわった阿呆の技は、そうそう破れんぜ? どうする、嬢ちゃん」
冒険者は、跳躍するように、深い一歩を踏み出した。
少女の腕はピクリと動いたが、剣を振ることはない。
(間合いを見切っているな。槍の長さと踏み込みの速さにも幻惑されないとは、大したお姫様だぜ)
冒険者は、再び踏み込んだ。
今度は、明かな『間合いのうち』に。
幼剣姫は剣を振り上げようとして――。
その腕が、止まった。
冒険者は彼女が斬り上げる前に槍を突き込み、地に突き刺していた。
斜めに刺さった長得物は、彼女の長剣が加速する前に、完全に勢いを殺していたのである。
「あの野郎。最初から武器を止めることを考えてやがったな?」
冒険者は瞬時に槍を手放し、懐にある木の短剣を振るっていた。
流れるような動作だ。
槍を失うこと。
或いは封じられることを何度も経験し、また想定してきた男の早業であった。
しかし――。
「躱すか……ッ! それを……ッ!」
シャークは目を瞠った。
ちいさな身体は、軟体生物がのけぞるかのような奇妙な動きで、不意の一撃を避けたのである。
傍目には、剣が止まった瞬間に、もう動いていたようにしか見えなかったのではないか?
しかし、それが違うことをシャークは知っている。
幼剣姫は明らかに、短剣を認識してから回避に入ったのだと見抜いた。
冒険者が二撃目を仕掛けなければ、きっと別の展開になっていたはずである。
「成程な。あのスライムじみた異常な身体の柔らかさが、あの剣速を生み出しているってわけか。しかも、こいつぁ――」
シャークは冒険者よりも早く、トゥーリの回避行動の意味に気付いている。
数瞬を挟み対戦者も理解をしたが、一手遅い。
幼剣姫は回避と同時に、剣を引き抜いていたのである。
ひとつの動作に複数の意味を持たせることの出来る見事さに、セロの執行職は手を叩きそうになった。
「うお……ッ!?」
冒険者が、声を上げた。
のけぞるようにして長剣を引き抜いたトゥーリは、その動作の途中で、既にその剣を振り抜いていたのである。
冒険者は回避には成功したものの、短剣をはね飛ばされ、喪失している。
しかし即座に槍をつかみ直し、戦局を戻したことは、彼が優秀である証拠であったろう。
幼剣姫が体勢を直す前に、冒険者は鋭く踏み込み、一撃を見舞った。
それはでたらめな攻撃ではなく、長得物を知るがゆえの刺突。
トゥーリが、最も回避も反撃もしにくいであろう位置への攻撃であった。
熟練者らしい、精妙な一撃であったと云えるであろう。
――が。
「そいつァ、よくねぇな」
シャークは呟く。
同時に、少女は身体を捻って槍を躱していた。
異常な程の柔軟性であった。
「身体が柔らかいとこを見たのなら、後はずっと、そいつを頭に入れて戦わなきゃなんねぇ。忘れちゃいけねぇこったぜ?」
身体を捻る動きは、そのまま長剣を振るう動作へと変化する。
人体の可動域を極限まで動員しているかのような、通常ではあり得ない動きであった。
冒険者は回避を諦め、頭部を庇う。
こちらの判断力も素早いものであった。
手甲にめり込んだ木剣に、男は顔を歪ませた。
けれども残った腕で槍を引き戻し、彼はトゥーリに突進する。
異常な動きは予想外の攻撃を放つことは出来る。
しかし、デメリットも生じるものだ。
それは、体勢を戻すのに時間が掛かると云うこと。
男は片腕を使えなくなったこの瞬間に、全てを賭けたのであった。
それは歴戦の戦士シャークをして、「巧いな」と云わしめる程のタイミングで。
槍の穂先がトゥーリに迫る。
会場の誰もが、ここで決着だと思ったはずだ。
――しかし、彼女の『柔軟』は、更なる動きを可能にした。
「――ッ!」
あまりに不自然な姿勢。
あまりに不自然な体捌き。
ちいさな幼女は人とは思えぬ動きで槍をかいくぐり、一撃を振るっていたのであった。
それは完全なカウンター。
熟練の戦士であっても、到底避けきることの出来ぬ、不可視の一手。
周囲には、槍を突いた瞬間に、男が血を噴き出して倒れたように見えたことだろう。
幼剣姫は、だらりと腕を下ろしていた。
冒険者は、既に動かない。
「――そ、そこまでェッ! しょ、勝者、トゥーリッ!」
勝利の宣言は、数瞬遅れていた。
試合を見ていた者たちも、反応がついて行かなかったのだ。
信じられないものを見たと、皆は思ったことだろう。
だが、シャークの顔は曇っている。
(最後の一撃――。あれは、技量じゃねぇな。『想い』の一撃だ)
彼はそれを、『執念による攻撃』と看破したのである。
超絶の技でなどではなく、決死の攻撃であったのだと気付いた。
多くの戦いを経験し、人や魔物が全てを投じる、命を賭した最後の一撃。
それらを何度も見てきたシャークだからこそ分かる、命を捨ててでも相手を仕留めようとする一撃なのだと、分かったのだ。
(試合開始前、俺は『怨念を背負っている』と云ったが――)
彼は見た。
表情を変えずに座っているランバーを。
「ありゃァ、間違いだ。云い直さずにはいられねェ……。何があったのかは知らないが、あんな『想い』は、ガキには背負わせちゃいけねぇもんだぜ。なあ、侯爵さんよォ?」
幼剣姫は、四戦目の勝利。
五戦目は、彼の『孫』が出張るはずである。
「アルよ。あの執念に、お前はどう向き合うつもりだ? あの『念』を理解できていねぇと、お前の頭も、割られることになるぜ?」
答える者のいないその言葉は、風を巻いて、空へとのぼった。




