第六十二話 大氷原へ
神聖歴1204年の十月。
俺たち三人は大氷原へ向けて出発する。
母さんが俺とフィーを暫く抱きしめて離してくれなかったのが印象的だった。
「エイベル。うちの子たちを、よろしくね?」
「……ん。必ず」
向かった先は王都の外ではなく、なんと商業地区の外れである。
商業地区の端っこは、倉庫エリアとして活用されている。
大店であるショルシーナ商会は、店舗の傍以外にも複数の倉庫を所持しており、俺たちが訪れたのも、表向きは倉庫とされている建物だった。
「……ここは商会が出来る前から、私の知り合いのエルフの持ち物として管理されていた」
「じゃあ、ここに『門』が?」
エイベルはちいさく頷いた。
搬入口ではなく、スタッフ専用のちいさな裏口から中に入る。
あまり開け放していないのだろう。内部は籠もった感じがする。
倉庫、と云い張っている為か、大きな木箱や樽がいくつも置いてあるが、それらはダミーなのだと説明された。
俺たちはその中を進み、やがて巧妙に隠された下り階段の先の、地下室前の扉へと辿り着いた。
(パッと見、普通のドアなのに、ロックが厳重に掛けられている……)
ただの錠前だけでなく、魔術的な防御もされているのだろうと分かった。術式が刻んであるのが見えたからだ。
エイベルはそれらを慣れた手つきで解除していく。解放するには、複数の工程を踏まねばならぬようだ。
そして、扉の先に『門』が現れる。
思っていたよりも大きく、高さだけでもエイベルの身長の倍以上はある。
「にーた、おおきい! ふぃー、にーたすき!」
雄大なものが大好きな妹様が、さっそく反応された。
「立派なもんだねェ……」
「……そうでもない。これは、人が通ることを想定しているだけの転位門。物資を運ぶ為の門は、もっと大きい」
ああ、成程。
確かに運搬を考えれば、これでもちいさいか。
この辺の感覚は、転位門が常識だった世界に生きてきた者と、それ以外の者との差なのだろう。
エイベルはちいさなポシェットから、銀色のパーツを取り出して、門に開けられた穴に差し込んだ。多分、あれが『鍵』なのだろうな。
次いで、平たい板のような場所に手を添える。
すると、門からは青白い光があふれ出した。
「起動したのか?」
「……ん。転位門は鍵と登録者の魔力で起動させる。それ以外の方法で動かそうとすると、セキュリティが掛かる」
今現在、門の起動を実験している人々は、きっとどちらも持っていないんだろうな。
それで、なおのこと実用が遠ざかると。
エイベルは鍵を回収すると、俺の手を取った。
急なことだったので、少しビックリしてしまう。
「もしかして、転位者と手を繋いでいないと通れないとか?」
「…………」
あれ?
そっぽを向かれたぞ?
聞こえてないのかなと思ったが、視界に入る魅惑の耳は、かすかに赤い。
「……私が、アルと手を繋ぎたかっただけ……」
「ああ、うん……」
光栄なことではあるんだろうね。
「むむーっ! にーた、ふぃー! ふぃーともてをつなぐ! えいべる、めー!」
妹様が激怒されてしまった。
「ほら、フィー。ぎゅーっ」
「ぎゅーっ」
こんなことを云っているが、マイエンジェルはさっきまで俺の腕に抱きついており、離れてはいなかったのである。
つまりは、単なる焼き餅だ。
「で、エイベル。この門はどこに繋がっているの? いきなり雪精の住処ってわけじゃあ、ないんでしょう?」
「……門は門にしか飛べない。これから飛ぶのは、大氷原全体を見渡せるフェフィアット山にある山小屋の中」
「フェフィアット山! ヤバい魔物がうじゃうじゃいるって噂の山じゃないか! 山小屋があったなんて、初耳だよ」
「……魔導歴時代のものだから、知らなくても仕方がない。既に破壊されたけれども、当時は山頂に砦も存在した」
流石は当家の生き字引。何でも知っているな。
そうして、転位門をくぐる。
クモの巣に引っかかったような違和感はあったが、それだけだ。
大きな効果音が鳴るだとか、転位の瞬間に光るだとかは何もない。
「……ここが山小屋」
「寒ッ!」
石造りの部屋はキンキンに冷えていた。
寒すぎて、五分もいられないんじゃなかろうか?
「にににににに、にーたああああああああああああああ」
妹様が凄い小刻みに震えている。俺は思わずフィーを抱きしめた。
「……すぐに暖かくなる」
エイベルが涼しい顔でそう云うと、本当に暖かくなってきた。
気のせいか、明るくもなって来ている気がする。
「暖房のスイッチでも入れたの? それとも、魔術を使った?」
「……室内に入ると、自動で暖房と明かりが灯る」
感知型の魔道具か。センサー照明のようなものだな。
スイッチが不要と云うあたり、いかに魔導歴の技術が優れていたかが分かる。
「……持ってきた防寒具は、ここで身につけて。外はずっと寒い」
「わかったよ。……よし、フィー。お兄ちゃんと一緒に、着替えよう」
「ふぃー、にーたといっしょ! にーたにてぶくろつけてあげる!」
商会からレンタルした、保温の術式が刻まれた服を着込む。
外見的には、ごく普通の防寒具だ。
マイエンジェルには、もこもこの耳当てを装備させる。うん。可愛いな。
「フィー、冬バージョンのお前も、素敵だぞ!」
「え、えへへへへへへへぇ……! にーたに、にーたにほめられたあああああああああああああああ! ふぃーうれしい! ふぃーしあわせ! にーたすきッ! だいすきッ!」
両手を広げてくるくる回転を始めるマイシスター。
帰りもここに寄るので、普段着他、無駄な荷物は置いておいて良いらしい。
「エイベルは着替えないの?」
「……私は手袋くらい。このローブは、耐寒能力もある」
魅惑の耳は覆わないのだろうか?
エルフの場合、耳当てではなく、防寒用の『耳袋』があるんだそうだ。
一度見てみたいね、それは。
荷物をまとめ直し、お茶も飲んで、トイレにも行って、準備は整った。
山小屋と云ってもそれなりの広さはあるらしく、俺たちが連れてこられたのは、ガレージだった。
「おおおっ! スノーモービル!」
そこに置かれていたのは、スノーモービルによく似た乗り物だった。
前世で二輪の免許持ちだったので、運転してみたくて仕方がない。
「……アル。エアバイクを知っているの?」
「ああ、いや、知らないよ」
どうやらこの乗り物、エアバイクと云うらしい。
名前から察するに、雪上走行オンリーではないようだ。
当然、魔導歴時代の乗り物なのだろう。
(母さんを乗せられないと云ったのは、これのことか。確かにパッと見、一人乗りだな、これは)
よく分からない部分もあるが、一方で地球世界の二輪に似た部分もある。
何となくだが、少し練習させて貰えれば運転できそうな気配がある。
今度、頼んでみようかしら?
「これ、エイベルが操縦するんだよね?」
「……ん。魔導歴時代に、免許を取っている」
無表情でVサインをするアーチエルフ様。
そうですか。教習所に通ったことが、あるのですね。
俺が通っていた頃は、ひとり酷い教官がいたのを思い出した。
いや、ムカツク指導員のことなんか、どうでも良いか。
俺たちはエアバイクに乗り込む。
エイベル。俺。フィーの順番で、コアラみたいにくっついた。
「……周囲に魔物の気配無し。シャッターを開ける」
いつの間にやら、開閉のスイッチでも押したらしい。
地球世界でおなじみの「ピッ」と云う音がして、シャッターが開いていく。
エアバイクは起動させると、ふわりと浮いた。
名前の通り、かすかに浮遊して走る代物らしい。
同時に、前面に風と冷気を遮断する魔壁が展開される。
「……かなりのスピードが出る。絶対に私から離れないように」
俺とフィーは念動力でしっかりとくっついているが、問題は俺とエイベルの方だ。
エイベルの背中に、俺はぴったりと張り付いていた。
この感覚には憶えがある。エルフの先生を起こしに行った日に味わったアレだ。
強制的にマイティーチャーに引き寄せられる謎の現象。それが、今、俺の身に起こっている。
(やっぱりあれは、エイベルの魔術だったのか……?)
離れないように、とか云っているが、逆に離れるのが不可能だろう。これは。
「……発進する」
ドン! だかゴッ! だか知らないが、そんな爆音が響き、エアバイクは猛烈な勢いでガレージから飛び出した。
次回更新は月曜日(12日)の予定です。




