第六百十六話 天覧・共催御前試合(その十四)
「よう。なかなか評判の悪い戦い方をしているようだな?」
苦笑いしながら近づいてくるのは、我らがグランドファーザーである。
筋肉ダルマな祖父は、俺の横の壁に、大きな背中をズシッと預けた。
ちょっと離れたところでは、例の兄弟が、「シャークだ……」「あれ、シャークだぜ……」とか、ひそひそ話をしている。
どうやら祖父は、少しだけ持ち場を離れることの出来るタイミングになったようだ。
ブレフのほうに行かなくて良いの?
と云いそうになったが、その辺は俺と同じで、『主催者側』と『挑戦者』が会って話しているのは、何かとマズいから禁止ということなのだろう。
俺はフィーに手を振りながら、グランパに尋ねる。
「ブレフの調子は、どうかな?」
それは何気ない世間話のつもりではあったが、爺さんは渋い顔で首を振った。
「あーあー……。ありゃァ、てんでダメだな。最悪ってヤツだぜ」
「最悪?」
寧ろ、絶好調に見えたけどね?
動きとか、キレッキレだったし。
「ああ、ブレフの奴は、絶好調だ。――だから、ダメなんだ。ヤツは、完全に調子に乗っちまってる。もうあいつの頭の中には、『余裕で勝てる』って考えしか浮かんでねぇ。それは、冒険者が一番嵌っちゃいけねぇ思考だぜ」
成程。
確かに評価の尺度を『御前試合』から『将来の生存』にまで広げれば、不可の評価になる訳か。
「でもブレフのヤツ、まだ『隠し球』があるんでしょ?」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。俺からすれば、あれは曲芸の一種だな。まあ、次の試合で見ることが出来るだろうぜ。――それで終わりだがな」
「うん? 次で終わり?」
「おうよ」
鋭い目をして、爺さんが頷く。
「ブレフのバカは、『五戦目』まで行かせねぇほうが良いと思ってな。四試合目で、負けさせることにした」
「負けさせるって……どうやって?」
まさか、八百長をする訳じゃないだろうし。
すると祖父は、ピシャリと自身の発達した二の腕を叩いた。
「俺が叩きつぶす。本当は、『俺以外』のが良かったんだがなァ……。あいつの力量を知っていて、ケガさせないように手加減した上で圧勝できるのは、日々の訓練を見ている俺くらいしかいないだろうからな。あとは、まあ――」
チラリと、俺を見る爺さん。
「お前は、あいつと戦わねぇからなぁ……」
辞退したの、向こうだけどね?
「いや、まあ、でもよ」
ポンと。
祖父は俺の頭に掌を乗せる。
「お前がいてくれて、良かったぜ。世にアルト・クレーンプットなかりせば、ブレフト・ラインケージは、大変な天狗になっていただろうからなァ」
「んな大げさな……」
「大げさじゃねぇさ。実際、お前はブレフと戦えば、必ず勝つだろう? あいつが本気になって、心から勝ちたいと願っても、お前にはまるで及ばない。潰そうと思えば、いとも容易く潰せるはずだ。同年代に、そういう存在がいるってのは、大事なことさ」
「…………」
俺の場合は、インチキみたいなものだからなァ……。
爺さんは、クイクイとスラックス兄弟のほうを指さす。
「今のままじゃブレフの奴は、あの兄弟ほどの実績も残せねぇだろうさ」
「……あのふたり、実績残してるの?」
「おう。主に、オーリーフィッシュや野ウサギの捕獲やその補助でな? セロの皆さん、大喜びよ」
セロ周辺は、未だに魔物の数が減ったままである。
冒険者ギルドも再度のスタンピードを警戒して徹底的に間引いているから、結果としてモンスターではない野生動物が増えているのだとか。
そのうちのひとつが、ウサギである。
野ウサギの肉は、セロでも需要が高いらしい。
だから、供給量が増えて市民は助かっていると。
それから、オーリーフィッシュというのは、セロの特産物のひとつであるようだ。
セロには『セロ湖』という大きな湖があるが、ここには食用に適した魚は、全然いなかったらしい。
ほぼ唯一とも云える存在が沼ドジョウあるが、これは下魚とされ、うな丼が開発されるまで、殆ど見向きもされていなかった。
しかし今では沼ドジョウはセロの重要な資源とされており、かの都市はこの王都にもほど近いことから、こちらにも毎日、沼ドジョウが出荷されている。
尤もセロ湖の沼ドジョウの漁業権は100パーセント丸々ショルシーナ商会が握っているので、出荷量に関しては、商会とセロの統治者・アッセル伯爵家との間で、火花が散っているようではあるが。
で、オーリーフィッシュだ。
これは別名を、『油魚』と云う。
地球世界だとアブラウオというと、アイナメやシラコダイ……それから悪名高いバラムツなんかが該当するが、こちらでの油魚は、その身にたっぷりと脂身を蓄え、それがオイルとして使用できる魚のことを指す。
特にオーリーフィッシュの脂身の使い勝手は群を抜いており、ランプの燃料や鉄器の油ならしなど、様々なものに使用できるらしい。
当然セロの重要な資金源であり、沼ドジョウと違って、こちらは丸々アッセル伯爵家が、その権利を押さえているようだ。
スラックス兄弟は、こういうものを捕獲する仕事の手伝いもしているらしい。
平和そうで、なによりだ。
「冒険者ってのは、地域住民に愛される『何でも屋』でなければならないからな。嫌われ屋どもの吹きだまりでは、ダメなんだ。そういう意味では、あの兄弟は貴重だぜ」
祖父は、遠い目をして無人のリングを見つめた。
「どんだけ才があってもな、粗忽者では、長生きはしない。これは、冒険者にとって絶対に覆せない事実なんだ。けどそれじゃあ、システィやレベッカが気の毒だぜ。あいつにはよ、超えられない壁だとか、確たる目標だとか、或いはそのそそっかしさを指摘してやれる参謀役が必要なんだ。――だから、お前が冒険者になって、ブレフのバカといてくれれば、俺も少しは安心出来るんだがなぁ?」
「ブレフの身は案じるけれども、俺は冒険者になる気はないですよ」
収入不安定で命の危険があるとか、無理に決まってる。
そもそも、家族の傍から離れるという選択肢が俺にはない。
爺さんは苦笑しながら肩を竦めた。
「お前はお前で、色々と問題があるよなぁ? そもそも、負けることを屁とも思ってねぇ。普通、子どもってのは、もっとガツガツしてるもんだろう?」
「出来る範囲で、出来ることをする。非才の身なんで、それが一番重要だと思っているだけですよ」
「お前は、もうちょっと子どもらしくても良いんだぜ? リュシカのヤツが、アルがあまり甘えてくれないと嘆いていたぞ?」
その分、フィーやマリモちゃんが甘えているから、まあ大丈夫でしょうよ。
爺さんは再び、ポンポンとバカでかい掌を俺の頭に乗せた。
遠くにいるフィーが、自分も撫でて欲しいと泣きそうな顔をしている。
「今年も、里帰りしてくれるんだろう? 今回こそは、湖に泳ぎにいこうぜ? 俺の孫たちは、今年はバウマン子爵家のガキどもには、譲ってやらん!」
その辺の決定権は、俺には無いだろうからなァ……。
肩を竦めていると、ハトコ様が三戦目に現れる。
その装備を見て、俺は少し驚いた。
「……双剣、ですか」
「剣と呼ぶには、ちょいと違うがな」
ブレフは、両手に武器を装備していた。
右手に木剣。
左手に十手。
どうやら、あの両方を駆使して戦うつもりのようだ。
「ええと、つまりブレフは、十手を盾代わりに使うつもりなんですかね?」
「そうだ。『両手攻撃』ではないことを知っているとは、俺の孫は流石に博識だな。防御用短剣――マンゴーシュというものは存在するし、その使い手も確かにいる。器用なヤツは、『防御用武器』というものを上手に使いこなすが、ブレフも、その顰みに倣うつもりらしい」
「さっき、『曲芸』って云いましたよね」
「おうよ。お前の作った十手ってのは、あれ一本で多様な戦い方が出来るんだろう? だが、両手がふさがっていれば、出来ることは限られるじゃねぇか。そもそもあのままじゃ、せっかくの組技も使えねぇ。見かけだけのために得手を潰すのは、バカのやることだぜ」
ごもっともで。
ハトコ様は満面の笑顔で、こちらに向かって両方の武器を振っている。
うーん、脳天気。
「ブレフって、右利きでしたよね? 左手で十手を使えるんですか?」
「練習はしてたみたいだがな。失敗すればバカ丸出しだし、成功すれば調子に乗るだろうし、あまり見ていたい試合ではねぇなァ……」
爺さんは、やれやれと息を吐き出している。
対戦相手は、騎士風の男。
レイピアのような刺突系武器を構えている。
果たしてブレフの双剣は、点の攻撃に対応できるものなのだろうか。
「始めッ!」
そうして、ブレフの三試合目が始まった。
ハトコ様は相手の出方を窺わず、軽快に走り出す。
隣にいる爺さんが渋い顔をしているが、この時点で甘く見ているという判定なのだろうか。
「しッ!」
繰り出される刺突剣。
なかなかに鋭いが、ブレフはそれを、十手を横にして逸らした。
鉄棒の上を、細い剣が滑っていく。
(引き戻しも速いな)
騎士風の男は武器を素早く戻す。
同時にブレフが剣を薙いだが、これも華麗に躱している。
この一瞬の動作だけでも、二戦目の相手よりも上手の使い手だということが分かった。
そうして、再びの刺突。
ブレフはこれを木剣で防いで、十手を振り下ろす。
(おいおい、防御用武器で攻撃しても良いのか?)
俺はそう思ったが、爺さんは舌打ちした。
どういう意味だろうか?
その後、二度三度と似たようなことを両者は繰り返した。
一見すると、それはハトコ様という猛牛をあしらう、闘牛士のようにも見えた。
一方、ブレフのほうは、既に両手の武器で攻撃を始めており、『左の防御』という鉄則が崩れているように見える。
「釣られやがったな……」
祖父は、そう呟いた。
どういうことかと思った矢先、変化が起きた。
騎士の一撃を、ブレフは躱す。
そうして、十手での攻撃をしようとし――。
ニヤリと、男は笑った。
どうやら今の一撃は弓手側を無防備にするためのフェイントであったらしい。
これまでよりも浅い一撃は、これまで以上に速い引き戻しによって、第二撃目を可能とした。
男の剣はハトコ様に向かい――。
「へっ!」
ブレフは、ニタリと笑った。
攻撃に転じていたと思った十手は既に戻っており、鉄の鉤がレイピアをあやまたずに捕らえていたのだ。
「な……っ!?」
驚愕する男。
そしてその瞬間に、木剣がしたたかに頭を打ち付けた。
兜の上からでも、これは効いたことだろう。
男は倒れ伏せる。
「そこまで、勝者ブレフト・ラインケージ!」
「おっしゃーーーーっ!」
ブレフは笑顔で武器を振っている。
その顔には、ありありと余裕の色が見えた。
俺は、爺さんに訊いてみた。
「釣られたって、相手の騎士ですか?」
「ん? ああ、ブレフの奴の放った見え見えの一撃を、あの男が『隙』だと勘違いしたのが分かったからな」
つまり十手での攻撃は、最初からここに繋げるためのフェイントだったのか。
「あのくらい、お前だって当然気付いていただろう? あんなことで図に乗られたら、ますますあいつのためにならねぇ」
全ッ然、気付いてませんでしたけどねー!
(それにしても、そうか。初手が躱された時点で、ブレフの奴は、もう相手を罠に掛けることを考えて行動を開始していたのか)
あれ?
普通に強くないスかね?
だって、猪突してないですよ?
作戦勝ちですよ?
「……ったく。ブレフの相手として、四戦目にねじ込ませて貰って、本当に良かったぜ。はるばる王都までやって来て、慢心して帰りましたじゃ、あいつが増長するだけだろうからな」
爺さんはそう云って、歩き去った。
弟子が連戦して連勝しながら、それでも浮かれたりせず、心配してあげているんだから、良いお師匠様じゃないか。
「お師匠様か」
なんだか無性に、エイベルの顔が見たくなった。
 




