第六百十三話 天覧・共催御前試合(その十一)
噂。
まことしやかに囁かれる、噂がある。
曰く、平民の子に、隔絶した天才がいると。
貴族の子ですらが、漸く文字を学習し始めるくらいの年齢で、段位魔術師に納まった神童がいると。
その話は、成功譚ではあっても、英雄譚ではない。
故に耳目は集めても、興味を惹くには届かなかった。
けれども、その日。
人々は遠い遠い『向こう側』が、すぐそこにいることを知った。
で、あるならば、是非にも見たいと願うのは、当然のことであった。
壇上に現れたのは、奇妙な子ども。
ブカブカのローブでその身を韜晦し、まるで『世に出るつもりはございません』とでもいうかのような、控えめな態度。
数多の英雄豪傑のような、一目見て尋常ならざる者と思える要素はどこにもなく、中央にあるのに、世界の片隅で佇むかのような、ひっそりとした様子であった。
「傍目には、とても傑物には思えないな」
多くの名冒険者の卵を見てきたギルド幹部のモゥゼスですら、初めてその子どもを見たときは、そう考えた。
けれども、そこにいるのは年若くして、既に生ける伝説。
百年にひとりの天才と謳われた第四王女と同じ速度で階梯を駆け上がった、一種の怪物なのである。
『彼』と対峙した冒険者の少女、マリー・ビーケットは、後にこう語る。
「ヴルストくんの、第一印象ですか? それが、よく分からないんです。何しろ、顔をこう、スッポリと隠していましたからね。私としては彼よりも、その後ろで騒いでいた変な兄弟のほうが、やたらと目に付きましたので。というか、凄く気が散りました」
試合開始の直前に、ギルドマスターのモゥゼスがやって来て、マリーにニヤリと笑いかける。
「勝てるかね、あの少年に」
「データ不足なので、断言できません。『思い込みで挑んではいけない』。このギルドの教えは、正しいものだと理解しています」
「うむ。我ら冒険者は、何よりもまず生き残ることが大切だからな。――その上で、あの子どもをどう分析するね?」
モゥゼスの問いに、マリーは目を閉じる。
駆け出しとはいえ冒険者である彼女は、目の前の少年が『怪物』たり得る理由を推測する。
「……彼は、ヒト族ではないのではないでしょうか?」
「ほう……?」
「あの少年は、頑なに顔を隠しています。つまり、その頭部には、長い耳や、力を蓄えるツノや、或いは第三の目が存在しているのかもしれません。そうであるならば、幼くして魔術の才を開花させたというのも、得心行きます」
「ふむ……。キミは、そう考えたか……」
つまりマリーは、ヴルストの業績の根幹を、『種族』に見た訳である。
モゥゼスは、クスリと笑った。
成人前の少女は、それに気付かずに続ける。
「人を超越した魔力によって大を成し得たのであれば、そこには『経験』の不足があるはずです。突くとすれば、その一点。これによって、戦力差を覆します」
「成程、成程……」
モゥゼスは、尤もらしく頷いた。
(矢張り、まだ若いな。『思い込みで挑んではいけない』というギルドの格言を、知ってはいるが、体得できてはいないようだ。まあ、年齢を考えれば仕方がないことだし、『知っている』だけでも、立派なものだが)
自分なら、あの子どもを『経験不足』などと考えることはないと、モゥゼスは心中で呟いた。
ヴルストには、『実績』がある。
魔術試験の全てを満点で合格したという、破格の実績が。
つまり、既に相応の経験を積んでいるか、未熟であっても勝ち続けるだけの戦力があると分析できねばならない。
その上でどう立ち回るかまで頭が回れば、たとえ敗れたとしても、手放しで褒めてあげられたのだが。
(矢張り、強者の集う試合は良い。こうして若い者に、実地で学ぶ機会を与えられるのだからな)
彼がブルクハユセン侯の提案に乗って、共催を快諾した理由はふたつ。
ひとつはこうして、若い冒険者たちに猛者と戦う機会を与えることである。
実戦で格上と戦えば、大半は敗死することになる。
つまり、『次』なんてない。
けれどもこういう場所ならば、殆どの場合、生存が可能だ。
今回の経験を、未来へと活かすことが出来る。
(尤も、あの幼剣姫のような者と戦えば、生きられるかは半々だろうがな……)
モゥゼスは、リングサイドで無邪気に、「あの冒険者、可愛いな、ガイよ」「誘ってみようか、兄ちゃん!」とか騒いでいる二名を見た。
明らかにダメダメな感じだが、『悪運が強い』ことも冒険者には必要であって、しかもそれは、後天的に獲得することは難しいものだ。
そういう方面で恵まれている者も、世の中には存在することを彼は知っている。
理由のふたつ目。
それは将来有望な者たちを、青田買いするつもりなのである。
かの大予言者が『天下も握れる』と断言する程の者ならば、わざわざムーンレインという一国にくれてやる意味がない。
寧ろ複数の国をまたいで活躍出来る冒険者こそが、良き人材を得るべきなのである。
少なくとも、モゥゼスはそう考える。
無論、伏龍鳳雛でなくとも、有為な存在ならば、遠慮無く頂戴する。
(フッフッフ……。ブルクハユセン侯には、感謝してもしきれないな……)
ギルドのエリア統括者は、リングサイドでほくそ笑んだ。
※※※
ともあれ、衆人環視の中で、マリーとヴルストの戦いは始まった。
(先手必勝……ッ!)
胸中でそう叫び、マリーは突進した。
相手は魔術師。
術式の構築をせねば戦うことの出来ぬ、『時』を必要とする者。
短槍を手に疾駆する冒険者に、フードで顔を隠した子どもは笑ったようであった。
(何で笑う!? 侮辱? それとも、既に何かを考えているの……!?)
マリーはそう思ったが、実際は違う。
アルト・クレーンプットは単純に、
(やったー、相手の得物は槍だ。俺も使うから、間合いが計りやすいぞ!)
と、ホッとしていただけなのである。
考えねばならぬこともあるが、考えすぎてもドツボに嵌る。
世の中とは、難しくできている。
少女冒険者の槍技は、年齢にしてはよく訓練されていた。
基本に忠実で、しかもそれを振るい続けるだけの体力もある。
彼女は懸命に槍を突き込んだが、その全てがスルスルと躱されて行く。
リングサイドにあるモゥゼスは一目でヴルストに武術の心得――それも槍使いとの戦闘経験があることを見抜いたが、マリーの胸中は違った。
自分の攻撃が、詠唱の阻害を出来ていると考えたのである。
(よし! 取り敢えず、呪文の邪魔は出来ている。今は当たっていなくとも、相手は子ども。そのうち体力切れを起こして、動けなくなるはず!)
彼女は目の前の敵を倒すことだけに集中しており、たとえばリングサイドでお祭り騒ぎをしているヘンテコ兄弟のように、『相手にケガをさせないように戦おう』という考えは、完全にすっぽ抜けている。
マリーは、ヴルストをリングサイドへと追い込んだ。
――否、そう思えた。
「これで、詰み……ッ!」
満を持して放たれた一撃は、突如として現れた瀑布によって遮られた。
「――え?」
その言葉が、最後。
槍を突き込もうとした彼女は、自分自身が無防備になっていたことに気づきもしない。
顔を隠したちいさな魔術師は、導線を定めていたのである。
リング外へと押し流し、しかも安全にクッションで止まるように。
水量が多いのは、注文通りに派手さを演出したためであった。
マリーは一瞬のうちに水流に運ばれて、ボフッとクッションにぶつかった。
完全に手加減されたことにも、気付かぬままに。
「そこまでッ! 勝者、ヴルストォッ!」
審判役が、高らかに告げる。
観客たちが、沸騰した。
こいつは格が違ったなとモゥゼスは呟いた。
リングサイドにいた兄弟が、タオルを持って少女冒険者に駆け寄っていく。
フードの少年は、観客席に手を振っている。
それがギャラリーに応えるためでなく、ただひとりの女の子に向けられたものだと気付いた者は多くはなかった。
そんな様子を、仮面の幼女が見つめている。
その足元に、血を流して倒れる大人の戦士を沈黙させたままで。




