第六百十一話 天覧・共催御前試合(その九)
御前試合緒戦――。
綺麗な勝利をおさめたブレフは、悠々と去って行く。
声を掛けたいが、俺もあいつも、勝手に動くわけにはいかないからね。
その背中を見送るしかなかった。
一方、敗れたスラックス兄弟の弟のほう。
彼はトボトボとした様子で、こちらへと戻って来た。
「兄ちゃぁん、負けちまったよぅ……」
「ガイ、お前は良くやった。胸を張れ」
仲の良い兄弟だよねぇ。
まあ、俺もうちの妹様たちとは――って、フィーの奴、泣いてるな……。
母さんに怒られたか……。
でも泣きながらもこちらに手を振っているのは、いかにもマイエンジェルっぽいが。
弟くんを慰め終わったスラックス兄は、すっくりと立ち上がると、武舞台のほうを見つめる。
「我ら兄弟の名声は、この俺が鳴り響かせてやろう……!」
「兄ちゃん、がんばれー!」
今度は、ブレフの時とは逆。
俺たちのいる位置から一番近いリングが、ベリウスの戦いの場であるらしい。
それはつまり、あのライオンマンの娘――幼剣姫が現れる場所でもあるということだ。
「見ていろ、ガイよ……。この兄が、お前に誇りと自信を取り戻させてやる……っ」
そうして、彼は歩き出す。
武舞台の上へと。
(それにしても、結構『主催者側』の戦力にも差があるんだな……)
まだちいさな子どもを相手にする場所だからか、加減に苦労している感じだ。
このスラックス弟のようにガチ負けする者もいれば、ある程度の力量を示した段階で、わざと負けてあげている人もいる。
そして勢い余って、勝ってしまっている人も。
俺が出る場合は、どうなるんだろう?
負けてあげて良いのかな?
いや、負けるつもりもなく、敗れ去る可能性もあるけどね。
フィーや村娘ちゃんみたいに、明らかに俺より強い子だって存在するんだから。
――そして、『彼女』が現れる。
コロシアムの奥。
挑戦者用の通路の向こうから、仮面を被った騎士風の出で立ちをした幼女が。
(背はあまり高くないな……)
だが、剣は長い。
下手をしたら、彼女の身長よりも。
あんなものを、使いこなせるものなのだろうか?
俺も長柄物を用いるから、その辺の苦労は多少分かるつもりだが……。
爺さんに聞いた話だと、あの子は俺やブレフの同年代だという。
ということは、クララちゃんやイケメンちゃんとも、同い年と云うことになるな。
注目を浴びている存在だからか、周囲も、そして一部は試合中の者たちも、歩いてくる『幼剣姫』を見守っている。
(何か、妙だな……?)
ブルクハユセン侯爵令嬢の動きは、どこかぎこちない。
奇妙に震えているような、小刻みに揺れているような。
(緊張している……? いや、そうではなさそうだが――)
兎も角、彼女は僅かなぎこちなさを残して、武舞台に上がった。
先程も『注目度』が気になったが、矢張りそれは間違いではなかったらしい。
かなりの視線が集まっていることが分かる。
その中には当然、彼女の父であるライオンマンの姿もある。
ランバーは簡易的に作られた祭壇みたいな場所にわざわざイスを設えて、そこでふんぞり返っている。
だが、その視線は、どこか冷たいような……?
(何と云うか、値踏みするような感じだ)
少なくとも、温かさを覚えるようなものではない。
一方、御簾のほう。
奥にある影が、僅かに身を乗り出したような気がした。
王様、この試合が気になるのかな?
人影は、手に筒のようなものを持っているが、望遠鏡の類だろうか?
幼剣姫が武舞台に上がると、すぐにリングサイドに、審判役と医療スタッフがやって来る。
後は、試合の開始を待つばかりだ。
先に中央に立っていたスラックス兄は、ビシッと木剣を向ける。
「年端もいかぬ幼女でありながら、既に剣名鳴り響く侯爵家の娘だな? だが、俺は手を抜いてやることは出来ん。戦場や冒険に出れば、身分に関係なく力なき者は命を落とすのだからな! 覚悟は良いか!?」
勇ましいことを云っているが、この人の性格だと、本当に力量が勝っていれば、手加減しそうな気がするけどね。
だからこれは、一種のアドバイスなのかな?
しかし、意気を向けられた当の本人は、それに答えることもしない。
まるで声が聞こえていないかのように、無反応を貫いている。
(あの仮面の下は、どんな顔をしているのだろうか?)
彼女は長い木剣を、だらりと下げている。
未だ構えに入ってすらいない。
ぐにゃりと、幼剣姫は首を曲げた。
『小首を傾げる』という動作を大きくしたような感じだが、それがベリウスに向けられたものかどうかすら、よく分からない。
「どうした、何故答えんっ!?」
空回りしたスラックス兄はそう問うが、矢張り答えはなかった。
リングサイドの審判役は、遠方にある侯爵を見る。
ライオンマンは、煩わしそうに手を払い、『早く始めろ』と無言で命じた。
「そ、それでは、は、始めッ!」
号令が入る。
幼剣姫は、手に持った剣を下げたままだ。
開始前と変わらない。
「うぬぬ……っ! 王都とセロで、とても注目されているこのスラックス兄弟をなめるつもりかっ!」
ベリウスは突進した。
弟と同じく、剣と盾を扱うのが、彼のバトルスタイルであるらしい。
対して仮面の幼女は、盾を持っていない。
剣一本を握りしめたまま、ぽつんと立ち尽くしている。
スラックス兄は激昂しているようでも、なお相手が子どもだと理解しているらしい。
剣を振り上げるのではなく、盾を構えたままに突き進む。
ぶちかまし――。
大人の質量を持ってして、リングアウトをさせるつもりなのだろうか。
その優しさが――幸運にも、彼の命を救った。
シールドがぶつかる瞬間。
幼剣姫は、剣を振り上げたのである。
それは、理合いを使わない、ただの一撃であった。
腰も捻らず、勢いも付けず。
だらりと下げたままの剣を、斜めに斬り上げた。
ただ、それだけ。
けれどもその一撃は、ベリウスの腕から盾を弾き飛ばした。
空を舞うシールドは、そこで割れ砕けた。
恐るべき一撃であった。
「…………っ!?」
一瞬。
それは、息を吸って吐くよりもなお短い一瞬の出来事。
だからスラックス兄は、何が起きたのかを理解しなかったのではないか。
幼剣姫が振り上げた剣は、今度は鋭く振り下ろされていた。
まるで斬り上げる動作と、袈裟懸けの動作が、ひとつの流れであるかのように。
(まるで、逆ツバメ返しだな……)
彼女は、その動作を腕だけでやっている。身体は、棒立ちのままだ。
狙いを付けるつもりがあるのかすらも、分からぬままに。
(間合いにあるものを、瞬時に斬るつもりなのか?)
振り下ろしの一撃は、ちょうどベリウスの掲げた木剣のある位置を通った。
これもまた、彼の幸運であったろう。
べきり、と丈夫なはずの剣が折れた。
仮面の剣士の振り下ろす一撃はそれでも止まらず、ベリウスの頭に到達した。
スラックス兄は、声を上げることも出来ぬまま、血を流して倒れる。
「そ、そこまで……ッ! 勝者、トゥーリ!」
審判の宣告の途中で医療スタッフが駆け寄り、ベリウスを看る。
顔面蒼白だった医療従事者は、そこでホッとしたように息を吐いた。
あの様子では、失神だけで済んでいるのであろう。
弟のガイが兄に取りすがって、スタッフに止められている。
(頑丈な盾を容易く破壊し、勢いを失わぬままに剣も叩き折り、そして頭を割ったか……)
恐るべき強さではある。
だが、恐るべき『使い手』と呼んで良いものか?
あれは、技なのだろうか?
身体能力だけでカタを付けたようにも思えるし、『逆ツバメ返し』は技量の内と云えなくもないが……。
幼剣姫は、言葉を発しない。
どんな顔をしているのかも、分からない。
彼女は既に背を向けて、通路のほうへと歩き出している。
長い剣を、引きずったままで。
自分が倒した相手を、気にした様子もなく。
(人格が分からないと、不気味だな)
或いはあの仮面は、そういう戦術の許につけられているのだろうか?
幼女の姿は、通路の奥へと消えていく。
リングの外に、轍のように引き摺られた木剣の跡だけが残っていた。




