第六百八話 天覧・共催御前試合(その六)
「にぃたぁぁぁぁぁぁぁっ! 出来たぁぁっ!」
御前試合当日の朝。
朝食前に笑顔で画用紙を掲げるのは、云わずと知れた我が家の妹様だ。
今日はいつもよりも早起きして出かけなければいけないので皆早起きだが、マイエンジェルは、ギリギリまで寝るよりも、朝から大好きなお絵かきをすることを選択したらしい。
床に寝転び、足をパタパタさせながら鼻歌まじりに絵を描いていたマイシスターは、お日様のような表情で、俺を見る。
「おー……! うちの家族か。がんばったな? フィー?」
「ふへへ……っ! ふぃー、一生懸命描いた! にーた、だっこ!」
妹様をだっこしながら見下ろした絵は、お世辞にも上手いとは云えない出来だ。
けれども、そこには『笑顔』がある。
この子の描く絵は、いつだって笑顔だ。
画用紙の中央で、仲良く手をつないでいるのは、俺とフィーなのだろう。
他には、『空いたスペースに描きました』って感じで、うちの家族たちも映っている。
(ミアもいるんだな、フィーの中だと)
徐々に浸食されてない? 大丈夫?
「あら? 良く描けてるわねぇ? でも、お母さんの顔、半分くらいしか入ってないわよ?」
「場所がなかった!」
笑顔で即答。
まあ、描かれているだけマシというべきだろう。
だってここには、シャーク爺さんがいないもん。
あのオッサン、ここに自分がいないのを見つけたら、発狂するんじゃなかろうか?
母さんもそれを察したのか、こんなことを云う。
「後で、お父さんも含めて写真を撮りましょうか! うふふ~、きっと大喜びするわよ? あ、でもでも、そうすると、お母さんが拗ねちゃうかも!」
ドロテアさんも、『クレーンプット家の女』の元祖だけあって、たまにだだっ子なときがあるからな……。
母さんは、フィーをだっこする俺を、後ろから抱きしめる。
「あきゃっ!」
そんなマイマザーに、マリモちゃんが取り残されまいと抱きついた。
「はぁ……。ユーちゃんのうちが羨ましいわぁ……。生まれたときから、いっぱいお写真を残しているんだもの……」
母さんは、俺やフィーの赤ん坊時代の写真がないことを、心底残念がっている。
まあ、俺は兎も角、赤ちゃんの時のフィーは、もの凄く可愛かったしね。
「母さんとエイベルも、よく写真撮るよねぇ……」
「だって、『今を残せる』って、とっても素敵なことじゃない? アルちゃんは、素晴らしい発明をしたのよ?」
いや、まあ、俺の動機も、そこが出発点だったけどもさぁ。
「アルト様、失礼致します」
そこに、ヤンティーネが入ってくる。
彼女は『クレーンプット家おしくらまんじゅう』を見ても、特に反応を示さない。
年中行事の日常茶飯事だと、知っているからだ。
「頼まれていたものを持って参りました。こちらへ置いておきますね?」
「あ、うん。ありがとう、ティーネ。急な話で、ごめんね?」
「お気になさらず。それから、本日もご家族の皆様の身辺は、この私が警護させて頂きますので、どうぞご安心を」
外に出るときは、用心が必要だからね。
今回も商会の好意に甘えている。
「……ん? これは――」
ヤンティーネは、足元に置いてある、フィーリア画伯渾身の名画に気付いたようだ。
(お? ティーネ、自分が入っていることに気付いたな?)
長く綺麗な耳が、ちょっとだけピククッと動いた。
彼女とも長い付き合いなので、機嫌の良し悪しは把握できるようになっている。
槍の先生は無言で、名画を机の上へと移動させた。
汚れたり踏んじゃったりしないようにだね。
つまり、この絵を大事なものだと認識してくれているのだろう。
「皆様の出発前に、フェネルも来るはずですので、ノワール様は、そちらで」
「うきゅ……」
泣きそうな顔をするマリモちゃん。
流石に人が大勢集まるところへ精霊を連れて行けないので、末妹様は、従魔士のおねぃさんが預かってくれることになっている。
「お任せ下さいっ! それはもう、たっぷりと可愛がらせていただきますっ! なんなら、一日中、だっこさせて頂こうかと!」
って感じで、鼻息が荒かったからな、あの人。
「ノワールちゃん、ごめんなさいね」
「まー……っ! まぁぁーーっ!」
母さんにだっこされたマリモちゃんは、とうとう泣き出してしまった。
うちの子たちって、日々これでもかと愛情を注がれているから、例外なく甘えん坊に育つんだよね。
でも、それで優しい子になってくれるのだから、トータルで見ればプラスだろう。
そんな様子を、エイベルとティーネのふたりが、そっと見守っていた。
彼女たちの中でも、マリモちゃんは家族のように思ってくれているのだろうと思えた。
※※※
「おーう! アル、来たかーっ!」
朝食後、マリモちゃんを預けると、セロ組と合流する。
朝も早よから、ブンブンと十手を振っているのは、同い年のハトコ様。
こいつもいつも元気だよねぇ。
「おはよう、ブレフ。今日はがんばれよ?」
「ああ、云われなくてもなーっ! 見てろよぉー。必ず五人抜きしてやるからさーっ」
「心意気は良いんだけどね。……ところで、御前試合は十手で戦うのか?」
「ふふーん」
わんぱく坊主は、ニヤリと笑う。
「そこは、見てのお楽しみってやつだぜーっ」
「ほう……?」
なにやら、秘めたる考えがある様子。
「ぬおぉぉぉおおぉぉ~~っ! リュシカああああああああああああああああ!」
「おとーさぁーーんっ!」
そしてこちらでは、昨日の今日なのに熱い抱擁を交わす親子が一組……。
ブレフは、フィーをだっこする俺の袖を引っ張った。
「なぁなぁ、アルも試合に出るって、本当か!?」
爺さんから聞いたのか……。
俺は引きつった顔で、渋々と頷いた。
「まあ、ブルクハユセン侯から要請があった場合に、『主催者側』で、出ることになるよ……」
「挑戦者じゃないんだなー? 何でだー?」
それを俺に訊かれてもね。
ただ、要請がなければ出なくて済むので、そうなってくれることを祈るのみよ。
ブレフは、俺が背負っているリュックを覗き込む。
「それは何だー? 武器かー?」
「いや、単なる戦闘服……」
ティーネに用意して貰ったやつね。
注文は、俺が付けた。
尤も、そう大したものではないのだけれども。
「戦闘服かよーっ!? やる気満々だなーっ!」
逆だ、ブレフよ。
やる気がないから、この服なんだよ……。
そんなことを話しながら、会場へと向かった。
そこは、王都に複数ある闘技場のうちのひとつである。
大貴族であるブルクハユセン侯爵家は、個人でコロシアムを所有する。
御前試合は、そこで行われるわけだ。
(広いな……。そして、ここにも区切りがあるのか)
それは、観覧席の区別であり、差別。
闘技を見やすい位置に、貴族たちの席。
そしてリングから最も遠い一角を、平民用に開放しているようだ。
これは立場による差もさることながら、警護を考えた配置でもあるらしい。
何せ今日は国王陛下も観戦するのだ。
こうした区切りを付けるのは、重要なことであったろう。
見づらい場所であるにも関わらず、平民用の観客席は満員だ。
一方で、貴族用の席には、ポツポツと空きがある。
わざとスペースを作っているのか、それとも血なまぐさい戦いに興味のない人々が参加していないだけなのか。
「お? アルよ。あれが侯爵家の令嬢だぜ?」
爺さんは、めざとく遠くの人影を指し示した。
あんなに遠いのに、よくすぐに気づけるな。
この辺は、流石歴戦の冒険者か。
(見えにくいな。……視力強化っと……)
そこにあったもの。
闘技者用通路の片隅からリングを見ているのは、奇妙な存在であった。
体つきからは、間違いなく幼女。
けれどもその顔は、仮面でスッポリと覆い隠されていたのである。
「あれが、『幼剣姫』だ。話を聞く限りでは、うちのブレフよりも強いだろうな」
爺さんは真剣な顔で呟いた。
 




