第六百七話 天覧・共催御前試合(その五)
御前試合を翌日に控えたある日。
俺は、ブルクハユセン侯爵に呼び出しを受けた。
同行者は、保護者代わりのシャーク爺さん。
いつも一緒に行動している妹様は、呼ばれていないので流石に同行できない。
フィーは両目いっぱいに涙を浮かべながらも、『待つ』ことを了承してくれた。
こういう成長が、兄としてはとても嬉しく誇らしい。
「んじゃ、行くか。何かあったら俺が守ってやるから、遠慮無く頼れ」
爺さんは、ばかでかい手を俺の頭に乗せた。
ゴツゴツとした、傷だらけの掌だ。
冒険者時代は、こうして多くの人を守ってきたのだろうな。
「それにしても、天下の侯爵閣下に直々の指名を受けるとはな。やはり俺の孫は、傑物ということだな!」
ぬっはっは、とか、前向きに笑っている。
まあ、うちの爺さんも、元は知られた冒険者。
大なり小なり、お偉いさんとは付き合いがあったはずだ。
だが毎年の帰省でも、特にその辺は語らないから、あまりお貴族様は好きじゃないのかな?
この人の性格だと、馴染まなさそうだしね。
侯爵邸に着き、通された先は、謁見の間でも応接室でもなく、訓練場のような場所だった。
訓練場と云っても、騎士や戦士が集団でトレーニングするためのそれじゃなくて、そこかしこが豪華なので、この館の主――侯爵様か誰かが、個人的に使っているんじゃないかと思えるような場所であったが。
内部中央には、背の高い男が立っている。
ワイルド系イケメンというべきか、ちょっとライオンっぽい感じの壮年。
そして着ている服と腰に提げている剣が、とっても高そうだ。
となると、この人が侯爵様なんだろうか?
「おう、シャーク・クレーンプットか。息災そうで、何よりだ」
「そちらも、お変わりないようで」
ゴツいふたりが、ふてぶてしく笑いあっている。
不仲という感じではないが、さりとて旧友にあったという感じでもない。
それでもどちらも気安そうな態度なのは、単純に性格故だろうか?
ワイルド系のイケメンは、俺に不敵な笑みを向けてきた。
何だか、ちょっと怖い感じだ。
油断すれば食い付かれるような、猛獣じみた気配がする。
「――お前が、噂の神童か」
「……アルト・クレーンプットです」
「ランバーだ。よろしく頼む」
ランバーって、個人名だよね?
普通こういう場合、ブルクハユセンという『家名』を前面に押し出すんじゃないの?
若き侯爵は、マジマジと俺を見つめる。
「フン? 魔術師と聞いていたが、なかなかどうして。まだ幼いのに、鍛え込んだ体つきではないか。――シャーク。これはお前の薫陶か?」
「いいや。うちの孫には、優れた師がいるようでしてな」
「ほう? 何者だ、それは?」
ここで流石にエイベルの名前を出すわけにはいかない。
俺は控えめに、ショルシーナ商会のエルフですと答えた。
「商会のエルフか。成程。確かに奴らは魔力の扱いに長ける三大種族のひとつ。魔術の師としては、適任か」
エルフという存在が破格であるがためか、俺の言葉は簡単に信用された。
まあ、槍に関しては、本当に商会警備部のポニーテールさんに習っているんだけどもね。
「しかし、何故うちの孫を急にお召しに?」
「知れたことよ。噂の神童が本当に強いのかどうか、この目で見極めたいと思ってな」
再び、獰猛な瞳が俺を射る。
何だか選択肢を間違うと、いきなりバトルに突入しそうで怖い。
「――シャークの孫よ。お前は、強いのか?」
「いいえ、全然」
俺は即答した。
侯爵は、鼻白んだようだった。
「……妙だな。自信がなさそうでも卑屈でもないのに、嘘を云っているようにも見えぬ。自然体で、『弱い』と云っているようだ」
だって、他に云いようがないもん。
俺が『弱い』というのは、『空が青い』とか『雲が白い』とかと、同じレベルの事実であるにすぎない。
俺の態度に、侯爵は窓の方を向いたが――。
「フンッ!」
突如として身体を捻り、抜き打ちの一撃を放って来やがった。
しかし、俺は躱さなかった。
木偶の坊のように、突っ立っているだけで。
横薙ぎの剣は、首元で止まっていた。
ライオンマンは片目を閉じる。
「――顔色ひとつ変えぬか。反応できなかったのか、それとも、その必要がないと分かっていたのか。よもや貴様、第六感の持ち主ではあるまいな?」
「持ってませんよ、そんなレア能力」
「ほォう……?」
侯爵は、剣を納める。
そして、祖父を見た。
「俺の攻撃が分かっていたにせよ、いないにせよ、狼狽を一切示さぬとは、なかなかの大器よ。無理して強がっているのでもなく、『来るのは分かっていましたよ』と尊大な態度も取らない。精神面は、それなりに図太いようだな?」
「…………」
祖父は答えない。
ジッと、侯爵を見つめ返している。
これこそが、俺が躱さなかった理由の、ふたつのうちのひとつ。
うちの爺さん、ライオンマンが寸止めする気がなかったら、そのままランバーを攻撃したはずである。
天下の侯爵様を、だ。
ライオンマンもそれに気付いているから、わざわざ俺じゃなくて、そのグランパに問いかけたのだろう。
ちなみに躱さなかったもうひとつの理由は、単純に『粘水』を準備していたからだ。
止める気がなかったり手元が狂って首に届いたとしても、その前にガードは出来たと思う、たぶん。
エイベルに教わった『認識強化』は、それらを可能にするだけの効果がある。
まったく、プリティーチャー様々だ。
ランバーは祖父から俺に、視線を戻す。
「胆力は分かったが、お前の本分は魔術戦であろう? そちらはどうなのだ? 水の魔術の特化型と聞いてはいるが」
「別に、大したこっちゃないです」
「またも謙遜か。しかし、『弱い』と云ったときと同じよな? 不思議だ。底が見えぬわ」
そうして、柄に手を掛ける。
今度は、ゆっくりと。
わざと見せつけるように。
「――試してみたいものだな? 最年少で段位魔術師に至った、その実力を」
「試されたくありませんので、ご容赦下さい」
俺の言葉が届いていないかのように、侯爵は薄笑いを浮かべている。
何だろう、この人結構、アブナイ人なのかな?
しかし、そこで間に入る巨躯がある。
「そこまでにして貰いましょうかね」
グランパであった。
シャーク爺さんは真っ直ぐに、侯爵を見据えている。
「シャーク・クレーンプットか。何故、邪魔をする?」
「うちの孫に一方的に絡むことを、座して見ていろと? これはまともな対戦じゃァなく、暴力沙汰の一種だろう……です」
「俺の態度は、本気に見えたか?」
「いんや。――が、本気になりそうには見えたがね。こちとら、冒険者ギルドの執行職だ。仕事柄、ケンカになりそうな冒険者どもは見慣れているんでな――とと、です」
「ふむ……。段位魔術師と戦ってみる、良い機会だと思ったのだがな」
ライオンマンは柄から手を放し、肩を竦めた。
そうして、不敵に笑う。
「ギルド執行職を敵に回すことは出来んか……。シャーク・クレーンプット個人とは、一度仕合ってみたいとは思うのだが」
悪びれもせず、そんなことを云う。
この男、本当に俺と戦いたかったのだろうか?
「噂の神童の力を見ておきたかった……と云うのは、本当のことだぞ? それには人任せではなく、自らの手で試してみるのが一番だからな」
「何のために?」
思わず、素で尋ねてしまった。
これって、かなりの不敬だよね。
しかしランバーは頓着しない性格なのか気付いていないのか、さして気にするふうでもなく、俺の質問に答えた。
「ひとつはまあ、単純な興味だな。段位魔術師――それもシーラ殿下に次ぐ天才と謳われる程の者の実力は、一介の戦士としても、気にはなる」
あんた、戦士じゃなくて貴族でしょうに。
薄く笑う男はしかし、無遠慮の言葉を投げつけた爺さんに固まった。
「――娘が理由だろう」
「…………」
娘?
つまり、侯爵令嬢?
でも娘さんがいると、どうして俺を試そうとするんだ?
爺さんは、俺の頭に手を置いた。
「アル。どうやら侯爵閣下は、お前を御前試合で使うつもりらしいな」
「――はァっ!?」
思わず、口をぽかんと開けてしまった。
ライオンマンは、爺さんに向かって片眉を上げる。
「執行職というやつは、なかなかどうして。直情径行型で考えずに行動するタイプにも見えるお前が、随分と目端が利くではないか? ん?」
「多少は物事の『裏』がわからんと、職分を全う出来んのでな……です」
口ぶりからすると、何らかの意図があって、事前に俺の力量を把握しておきたかったということなのだろうか?
いや、それよりも、俺を『試合で使う』と云ったのか?
剣の舞台で、魔術師の俺を?
侯爵は、ニヤリと笑う。
「御前試合に『王国の至宝』を探すという目的があるとしても、一種のショーであることにはかわりがない。ならば主催者のひとりとしては、観覧者たちの目を楽しませるのも、仕事のうちだとは思わんか?」
ライオンマンは、まだそんなことを云っている。
今さっき、うちの爺さんに『娘が理由』と看破されたばかりだというのに。
(しかし、これで俺も、気楽な傍観者ではなくなってしまったぞ……?)
俺はオロオロとしながら、祖父を見る。
ジャーク爺さんは、とっても良い笑顔を返してきた。
「な~に。いざともなれば、全てを捨ててセロに越してくればいい。なんなら、何もなくても移住して良いんだぞ? というか、そうしようぜ? お前たち全員、うちで一緒に暮らそうぜ? な? な!?」
グランパの笑顔、途中から目が笑ってねぇ。
獅子のような侯爵は、そんな遣り取りを見ながら云う。
「魔術師の本懐は、魔術であろう。俺がお前に期待するのは、『剣対魔術』の試合なのだ。その点、お前には期待しているぞ? ちいさき天才魔術師よ」
これってたぶん、断れないんだよね?
俺は、盛大なため息を吐き出した。




