第六十一話 説得はブレブレでした
さて、どうしよう……。
俺は一生懸命にしがみついてくる妹様に目を落とす。
フィーはすでに泣きそうだ。
俺の表情から、自分が置いていかれることが薄々分かっているのだろう。
(心情としては連れて行ってあげたいんだけどな……)
行く先が大氷原とあっては、矢張り躊躇する。
「にーた……。ふぃーもつれてって……?」
「……ううむ」
どうやって泣かせずに受け入れて貰おうか考えたが、突っぱねる以上、どうあっても泣かれると思い至ったので、それは諦めることにする。
「フィー……」
俺が目線を合わせると、愛する妹の表情が涙で歪む。
否定されることを表情で察したらしい。
「やぁ……ッ!」
ぽろぽろと大粒の涙が落ちる。
「ふぃー、にーたといっしょにいる……! はなれる、やー!」
思った通り、泣きだしてしまった。
「すぐに帰ってくるよ、だから、ちょっとだけ我慢して欲しい」
「にーたのこと、ふぃーがまもるの! にーた、あぶないとこいくの、めーなの!」
成程。
妹様はただ単に俺と離れるのが嫌なんじゃなくて、俺のことを心配してくれているらしい。
母さんがあれだけ安全かどうかの念押しをしていたのだから、これは当然なのかもしれない。
「俺のことは大丈夫だよ。エイベルに守って貰えるから」
我ながら情けない云い回しだ。
せめて「自分の身は自分で守れるから」くらいは云えるようになりたい。
「にーたのこと、まもるの、ふぃーのやくめ! ふぃーいがいがにーたまもる、めーなの! にーたは、ふぃーのなの! ふぃーだけのものなの!」
「フィー……」
「ふぃー、いーこにするから……! にーたのいうこと、ちゃんときくから……! だから、ふぃーのことも、つれてって……」
涙声のまま、フィーは俺に縋るように身体を擦り付けた。
安全のためとはいえ、この娘が涙を流すのは本当にツラい。
なので、情けない話ではあるが、俺はエイベルにフィーが同行できるか訊いてみることにした。
この娘のためを思うなら、どれだけ泣かれようと置いていく以外の選択肢は無いはずなのに、だ。
或いは、云い訳が欲しかったのかもしれない。
断る口実。それを決断するだけの材料が。
「エイベル。フィーを連れて行った場合の安全度は、どんなものなの?」
「……アルを連れて行く場合と、そう変わりはないはず」
答えは案外、さらりとしたものだった。
だが、考えてみれば、五歳児を連れて行くのも、二歳児を連れて行くのも、似たようなものか。
(『俺なら大丈夫』と無意識に考えていたが、それ自体が、つまりは思い上がりだったみたいだ……)
ならばフィーも連れて行ってあげられるのだろうか?
エイベルにそう質すと、こう返答される。
「……ふたりが同行しても、私の能力で守りきることは出来ると思う。けれど、リスク自体は常に存在する。僅かなりとも安全であることを望むなら、連れて行かない方が良い」
この言葉に最初に反応したのは、俺やフィーではなく、母さんだった。
「はいはーい! なら、エイベル、私は? 私は同行できる?」
俺たち兄妹を心配しているのか、それとも自身の興味故か。
右手を挙げて、ブンブンと振っている。
うん。興味が勝っているな、これ。
「……無理」
しかし、親友の返しは、にべもない。
「な、何でよー!?」
「……リュシカまで乗せるのは、物理的に不可能」
乗せる……?
何か乗り物か、それに類する物が存在するということだろうか?
王都から転位門までに行く間にか、それとも転位先から雪精たちの住処へ行く間にか。
或いは、転位門それ自体に人数制限や積載量上限があるとかか?
情報が断片的すぎて分からない。
「ねえ、エイベル。俺は大丈夫なの?」
「……魔術でしっかりと固定する必要は生じる」
固定?
何のことだろう? 乗り物が揺れるのか? それとも転位門は、しっかりとくっついていなければダメとか、そういう話なんだろうか?
となると、母さんが不可なのは矢張りサイズの問題か。
(何にせよ俺は念動力が使えるから、固定とやらは大丈夫だろう……)
考え込む俺の袖を、妹様がくいくいと引っ張った。
「にーた……。ふぃーのこと、つれてってくれるの……?」
不安の期待が入り交じった表情だった。
さて、どう答えてあげるべきか。
マイシスターのおねだりに答えかねていると、意外なことに母さんが後押しをした。
「エイベル。もしもフィーちゃんも守ってあげられるなら、一緒に連れて行って欲しいの」
「……リュシカはそれで良いの?」
「だって、貴方には守りきる自信があるんでしょう。なら、出来るだけ、この子たちの望みは叶えてあげたいから」
そう云って笑う母さんの顔は、ちょっと困った風でもあった。
矢張り不安は完全に払拭できてはいないのだろう。
親に心配を掛けるというのは、正直心苦しい。
「……アルは、どうしたい?」
エイベルの視線は母さんから俺に向き、フィーは一層強く、俺を抱きしめた。
ああ、うん。
まあ、この状況で他の選択肢は無いよな。
「エイベルには迷惑掛けちゃうけど、可能ならば連れて行ってあげたい」
「ひぐっ、にーた、にーたあああああああああああああ!」
今日のマイエンジェルは大洪水だ。
俺の服は、涙と鼻水でぐしょぐしょになっている。
「おっと、よしよし」
「ふぃーとにーた、ずっといっしょ! はなれる、めーなの!」
これは嬉し泣きだろうか。それとも安堵の涙だろうか。
どちらにせよ、余程に俺と離れるのがツラかったらしい。
うちの先生が無責任なことを云うはずがないから、この娘を連れて行っても、多分、大丈夫なのだろうが、そのことで負担を掛けてしまうことは申し訳なく思う。
「……良い。もともとは、私がアルに無理を云った」
俺の胸中を察したエルフ様は、そう云って頭を撫でてくれた。
「でもさ、エイベル。フィーを連れて行くとなると、内緒事とか、大丈夫なの?」
「……云いふらされるのは困る。だから、ここにいる者たちだけの話にして欲しい」
エイベルは再び小箱を取り出す。
生きている雪精が入っているほうの小箱だ。
「……けれど、この子に気に入られないなら、フィーを連れて行くことは難しい」
そう云えば、そういう試験があるんだったな。
作業台の上に置かれた小箱を、母さんはマジマジと覗き込む。
そして、驚いた様子を見せる。
「わー……。これ、もしかして、雪精?」
突如現れた人影に雪精は怯えている。
対照的に母さんは珍しいものが見られたのか、嬉しそうだ。可愛いもんな、あの雪の塊。
「にーたぁ、にーたぁぁぁ……」
しかし、雪精と仲良くなれるかを試されているはずのフィーは、涙目のまま俺にしがみついて離れない。
チラチラと小箱の方に視線を向けるから、興味はあるのだろう。もともと好奇心旺盛な子だし。
だが、今は俺に抱きつくことが最優先の模様。
免許試験の時もそうだが、この娘はあまりにも寂しい思いをすると、心が癒えるまで、俺から離れなくなってしまう。
仕方がないのでフィーをだっこして小箱に近づく。
(ありゃ?)
小箱の中に目をやると、俺が作ったはずの氷が、綺麗サッパリ無くなっている。
まさか、もう食べ終えたのだろうか?
ビー玉サイズの雪精に対し、ゴルフボールくらいの大きさはあったはずだが。
「にーた、へんなのいる……」
妹様は雪精に興味を示したが、いつもよりもテンションが低い。
まだ関心よりも寂しさが勝るのだろう。
「フィー、アレは雪精だよ」
「ゆきせー?」
マイエンジェルを地面に降ろす。
フィーはしっかりと俺にしがみつきながらも、ぷるぷると怯えている雪精を見つめている。
「ミー……」
どうやら雪精は人間の違いをちゃんと識別できているらしい。
俺が指を近づけても、逃げ出さない。
「よしよし」
「ミミー……」
そのまま撫でてやると、気持ちよさそうな声を出す。
当家の妹様同様、撫でられている間は恐怖が安らぐようだ。
「俺たちは、この子の家族に会いに行くんだよ。だから、仲良く出来ないといけない。フィーは、氷は出せるだろう? それが、この子のご飯だよ。食べさせてあげよう」
「う、うん。ふぃー、こおりつくる」
躊躇無く指を差し入れるのは、流石、物怖じしない性格の持ち主と云ったところか。
フィーは一瞬でキラキラと輝く氷を作り出す。
俺がさっき出したものよりも、ずっと綺麗だな。
「ミー」
雪精はすぐに氷に近づいて行く。
食べ物に対しては警戒心が薄いのだろうか?
それとも、さっき俺が氷を与えたから、慣れたのか。
「ミー! ミーッ!」
そして、一心不乱に食べ始める。
どうやら、妹様の氷は、お気に召したようだ。
まあ、考えてみれば俺とフィーの魔力の質はそっくりなので、俺の氷を気に入れば、この娘の魔力も気に入る道理ではある。
「フィー、撫でてあげな?」
「うん。ふぃー、なでる」
何も云わなくても、指先に冷気を纏わせているのは流石と云うべきだろう。
こういう気遣いと云うか、勘の良さも雪精と仲良くなるのなら、必要なことだと俺は思う。
「エイベル、これなら大丈夫かな?」
「……ん。フィーも連れて行く。貴方達は、どちらも私が守る」
お師匠様がしっかりと保証してくれた。俺はホッと息を吐く。
ともあれ、こうして俺たちは、三人で大氷原へと向かうことになったのである。
次回は土曜日(10日)の更新となります。




