第六百四話 天覧・共催御前試合(その二)
「にぃさまっ! おたんじょーび、おめでとーございま~すっ!」
神聖歴1207年の六月初旬。
俺は八歳になった。
正直、前世の途中から自分の誕生日などに感慨を持たなくなっていたのだが、ここではこうして、家族の皆が心からの笑顔を見せてくれることが、たまらなく嬉しい。
フィーは笑顔で俺に抱きつき、もちもちほっぺを押しつけている。
「ふへへ……っ! にーた! これ、ふぃーからのプレゼント! 貰って下さいっ!」
「おおっ、ありがとう、嬉しいよ」
妹様がくれたもの。
それは、押し花のしおりだった。
しかもこの花は、フィーが庭の花壇でせっせとお世話をし、一粒の種から咲かせた花だったのだ。
「ふへへ~……っ! にーた、よくご本読んでる! だから、はさむの必要! それでふぃー、しおり作った!」
なお、しおりのアイデアそのものと、作り方に関しては、うちの先生が出所であるのだと、こっそり母さんが教えてくれた。
「アルちゃん。お誕生日、おめでとう」
「にー! あきゃっ!」
「アルトきゅん、おめでとうございます! お姉ちゃんも、嬉しいですねー。喜ばしいことですねー。でも、ある程度で成長を止めて貰えると、もっと嬉しいですねー」
黙れ不審者。
皆が笑顔で祝福してくれるその中に、静かな微笑を浮かべてくれている人がいる。
「……アル。お誕生日、おめでとう」
「……うん。ありがとう、エイベル」
彼女が贈る、短い言葉。
誕生日においては、ありふれた言葉。
けれども、とても心のこもった、嬉しい言葉。
ああ、うん。
誕生日で良かったなァと、心の底から思えるね。
「めーっ! にーた、めーっ!」
しかし、妹様大激怒。
俺とエイベルの間に割って入って、ズズイッと視界を顔で塞いだ。
「にーたとエイベル、くーき違うときがある! ふぃー、それイヤっ!」
ぷくーっと頬を膨らましながら、頬ずりを再開するマイエンジェル。
空気をぱんぱんに詰めすぎたのか、すぐに、ぶふーっと間の抜けた音を立てて息が漏れた。
母さんは一瞬、それを『毒霧』と勘違いしたらしく、ビクッとしている。
空気を入れ換えるように、ミアがパンパンと手を叩いた。
「さぁさ、アルトきゅんのために、私たちが腕によりを掛けて御馳走を作ったんですねー。存分に、味わって欲しいんですねー」
今日の主役は俺なので、お誕生日の料理は、それ以外の皆が担当してくれた。
というか、手伝わせて貰えなかったのよね。
キッチンに入ることすら、禁じられてさ。
だからその間、俺はこの部屋で、一人寂しく膝を抱えていたのだ。
向こうからは、キャッキャッキャッキャッと、楽しそうな笑い声が聞こえていたのに。
まあ、10分おきくらいに、フィーが駆け込んできては俺を抱きしめて、それからまた小走りで戻っていくことを繰り返していたんだけれどもさ。
「ふへへ……! ふぃー、皮むきいっぱい手伝った! ピーラー、楽しかった!」
「あきゃきゃっ!」
「ふふふー。そうねー。ノワールちゃんも、お野菜たくさん洗ってくれたものねー?」
「にゅふ~……!」
俺も混ざりたかったなァッ!
「にーたにーた! 御馳走食べ終わったら、ふぃーと一緒に、お外行く! ふぃー、花壇のお花、見に行きたい!」
「ははは、じゃあ、そうしようか?」
お腹いっぱいになって、眠りこけていなかったらね?
※※※
「すぴすぴ……」
まあ、知ってたけどね?
ブオーンに抱きついて、ゆるんだ顔でよだれを垂らす天使様を家族に任せ、俺は外に出た。
場所は、フィーの行きたがっていた花壇である。
ここはもともと、俺が薬草を生育している場所だ。
そのすぐ隣に、『ふぃー』と書かれた木札のささった、ちいさな花園がある。
云わずとしれた、妹様の管理地だ。
(なんというか、こういう場所にも個性が出るな……)
俺の薬草畑は、ぶっちゃけ面白味のある配置ではない。
散文的な、『効率重視』なのである。
植物の命を預かるという理由があるのだから、それで良いといえば良いのだが、まあ、見る人が楽しさを感じる類のものではないんだよねぇ。
一方、フィーのほう。
こちらは、あの子の感性に任せっぱなしなのである。
花だけでなく、お気に入りの『変な形の石』とか、『ほどよく曲がった木の棒』なんかが飾り付けてあって、一種の『庭園』になっているわけだ。
ここはあの子にとっての遊び場でもある、ということだね。
毎日笑顔で水をやり、雑草はわざわざ別の場所に植え直したりしている。
(そういえばフィーが、今度はキノコの栽培に挑戦したいとエイベルに云ってたな……)
こんな限られた環境なのに、色々なことに興味を持って、日々全力で楽しんでいるあの子を、俺は眩しく思う。
そうして自分の畑よりも、『天使の庭園』を眺めていると、背後から足音が聞こえた。
振り返ると、久々に見たあの男。
この敷地の主。
ベイレフェルト侯・カスペルがやって来ていた。
「さーて。部屋に戻って、勉強の続きをしなきゃ」
スルーする自由を行使します。
別に約束とか、してませんしィ?
俺がなめくさった態度を取っても、別段カスペル老人は気分を害する様子がなかった。
フン、と、冷笑するかのように息を吐いただけで。
「――間もなく、『共催御前試合』が始まる。それを知っているか?」
「徘徊老人の独り言ですかね? それとも、植物に話しかけると育成が捗るという言説を証明しに来たのか。まあどちらにせよ、俺が呼ばれたわけではなさそうだ」
主語がなかったからね。しょうがないね。
スタスタと歩き出すと、老人の言葉が背中に追いかけてきた。
「お前は、ブルクハユセン侯爵家を敵に回すつもりがあるのか?」
は?
ブルクハユセン侯爵家?
五侯のひとつの?
俺、その家とは何の接点もありませんが。
しかし、この爺さんが無意味なことを云うとも思えない。
渋々、足を止める。
肩越しに振り返るが、老人は前を向いたまま――つまり、俺に背中を向けたままだ。
だが止まったことは分かったのだろう。
言葉を続けて来る。
「――侯は、噂の神童を見てみたいとの仰せだ。別に断っても構わぬぞ? その後に発生する、責任も背負うのであればな?」
それ、断れないってことじゃん。
ドラゴンなRPGの、『はい』を選ぶしかないループ選択肢じゃあるまいに。
「……まさか俺に、剣の試合に出ろというのではありませんよね?」
「望めば、出られるであろうな。――が、侯が望むのは、あくまでお前を見てみたいというだけの話だ。身に余る光栄であろう」
「光栄を感じる前に、『何で自分に会いたいのか?』って疑問で胸がいっぱいなんですがね」
「目上の言葉は、ただ畏まって押し頂けばそれで良い。疑問を抱くことすら、不敬である」
「含蓄のある言葉です。じゃ、王様なり公爵様なりが方針を誤ったときは、そのまま崖に向かって突っ走る馬車に乗ったままでいるわけですか。大した忠義です。頭が下がりますね」
俺の言葉に、背中を向けている男が怒る様子は矢張り無かった。
蛙のツラに水というか、馬耳東風というか。
単なる罵倒や侮辱などは、意にも介さない人柄なのだろうな。
背筋の伸びた爺様は、平坦な声色のままで云う。
「――お前を見たい、というのは、あくまでもついでだ。御前試合の、添え物に過ぎぬ」
それで一方的に呼び出される俺のほうこそ、いい面の皮だな。
まあでも、ちょっとだけ事情は読めた。
たぶん、この老人とその侯爵がどこぞで会って話をしているときに、俺のことがちょいと出たと。
それで、見てみようかという気になっただけなのだろう。
伝えるべき事を伝えたと思ったのか、カスペル老人は、スタスタと歩き出した。
前も思ったが、ホント、歩くの早いんだよな、あの爺様。
(競歩の選手と横に並べたら、面白そうだ――ってのは、競歩の選手に失礼か)
後でフィーに、競歩の歩き方を見せてやろうかしら?
絶対に食い付くとは思うけど、母さんが怒るかもしれない。
『毒霧』の一件以来、マイマザーは俺の監督不行届にも目を光らせるようになったからなァ……。
――翌日。
一通の手紙が、我が家に届いた。
それは、セロに住む祖父、シャーク爺さんからのものだった。
ペンで書いているはずなのに、筆か何かで勢いよく書いたかのような豪快な文字が、いかにも豪放磊落な祖父らしい。
そういえば、その娘と更にその娘の書く文字も、元気いっぱい豪速球だしね。
それによると――。
「あら! お父さん、王都に来るのねぇ!」
嬉しそうに顔を輝かせたのは、親子仲が良好な、リュシカ・クレーンプットさん(23)である。
祖父は一体、何をしに来るのか?
それは近々開催予定の御前試合が、ブルクハユセン侯爵家と冒険者ギルドの『共催』だからだ。
シャーク爺さんは、セロのギルド支部長の代理でやってくるらしい。
(手紙には何も書いてないけど、ブレフの奴はどうするんだろう? あいつの性格だと絶対に出たがるだろうし、出れば良い線行くと思うんだけど……)
俺の知る範囲で、他に年少者で猛者と云えば、イケメンちゃんことノエルだが、彼(彼女?)は出場しないと云い切っていたしな。
強制で会場に行かされる俺だけども、せめて楽しいイベントであって欲しいと、心の底から願うばかりだ。




