第五百九十八話 クレーンプット家、五月の革命
神聖歴1207年の五月――。
この日、クレーンプット家において、ひとつの革命が起きている。
いや、まあ、準備自体はずっと前から出来ていたんですけどね?
色々あって、今日まで伸び伸びになっていただけなんだけどもさ。
取り出しましたるは、エイベルに抽出して貰ったバニラエッセンス。
これをとうとう、実戦の場に投入するのだ。
それによって、お菓子のクオリティとバリエーションにも、大きな変革がもたらされるであろう。
まさに、クレーンプット家にとっては革命なのである。
「やったああああああああああああああああああああああ! アイスクリームだあああああああああああああああああああああああっ!」
ぴょんぴょこと飛び跳ねながら全身で喜びをアピールしているのは、我が家の妹様。
もちろんその母君も、すぐ横で似たようなリアクションを取っている。
「きゃーう! にー! にぃぃっ!」
あ、はい。
マリモちゃんも、アイス楽しみなのね。
ちなみにこの反応。
別にバニラエッセンスを使用することは伝えてはいない。
ただ単に、アイスを作りますよと、いつも通りに告げただけだ。
つまり、日常風景なのね、これ。
「ふへへ~……っ! ふぃー、にーたの作るアイスクリーム好きっ!」
「私も私も~っ!」
「あきゃっ!」
全員が、俺に抱きついてくる。
繰り返しますけど、日常風景です。
(それにしても、やっとバニラアイスが作れるねー……)
今までは、卵と牛乳のアイスだったからね。
あれはあれで美味しいのだけれども、これからは堂々とバニラアイスになりますわい。
「……アルの行動、師として見定めさせて貰う」
うちの先生様も、すました顔で魅惑のお耳をピクピクさせながら、そんなことを仰っている。
エイベルも何気に、甘いもの大好きだからね。
イチゴやプリンじゃない限り、そうそう暴走はしないけれども。
と、いうわけで、アイスクリームの作成に取りかかる。
まずは、在庫の確認だが――。
(ありゃ、卵が意外と減ってるな……)
よく使うからなァ、我が家は。
まあ、アイス作って晩ご飯にいくつか使っても、問題のない範囲か。
(よし、ならアイス以外に、アレも試してみようかな?)
子どもが大好きな、アレ。
間違いなく、うちの家族が食い付くであろう、アレだ。
「にーた! ふぃー、すぐ傍でにーたの応援する! 棍棒を振り回すっ!」
うん。
母さんに叱られるから、それはやめようね?
※※※
「と、云うわけで、バニラアイスの完成でございまーす!」
「おぉぉ~~……っ!」
うなり声を上げながら、全員でぱちぱちと手を叩いている。
ノリが良いな、うちの家族。
次いで、マイマザーが俺をつんつんしながら、問うてくる。
娘ふたりも、即座にそれを真似し始めた。
とっても、くすぐったいので、勘弁してつかぁさい。
「アルちゃんアルちゃん、これ、いつものアイスに、ちょっと手を加えただけなのよね?」
「まあ、そうだけど。でも、それで結構変わるから、試してみて欲しいな」
「まずは、ふぃーがひとりで試す! 皆のために、ふぃーがひとりで!」
本当かー?
本当に、皆のためなのかー?
ともあれ、全員がいただきますの後に、バニラアイスを口へと運んだ。
果たして――。
「きゅふうううううううううううううううううううううううううううん! にーた、にぃたぁぁっ! これ、とっても美味しいっ! ふぃー、気に入った!」
「うんっ! 美味しいわぁ~! 良い風味が加わって、味にますます奥行きが出たみたい!」
「あきゅっ! にー、にー!」
皆、喜んでくれているみたいだ。
マリモちゃんは――気に入ったけど、それはそれとして俺の魔力を食べたいと?
ちょっと待ってね。それは後でだ。
「……ん。美味しい」
そしてエイベルも、品良く銀色の匙をちいさなお口へと運んでいる。
バニラアイスは、取り敢えずは成功であると云えるだろう。
瞬く間に、在庫は空になった。
「にーたにーた! にーた、他にも何か作ってた? そっちこそ、ふぃーがひとりで試してみる!」
「もうっ、フィーちゃん、ズルいわよぅっ。お母さんだって、もっと甘いもの食べたいわ!」
「にー、ま、まーく……っ!」
けれども、未だ満足せざる女性陣たち。
キミらの食欲、ホント尽きることないですね。
「バニラアイスはもうないけど、代わりに、これね。試してみて?」
と云って差し出したのは、コップに入った飲み物だ。
それを見て、妹様がお顔を輝かせた。
「にーた、これ、アイスと違う!?」
「まあ、似たようなものだよ。というか、さっきバニラアイスあんなに食べたから、飽きちゃうかもね」
自分ならそうなるが、うちの女性陣だと飽きないかも……。
彼女らは、さっそくそれを口に含んだ。
「みゅうううううううううううううううっ! にーた、これも美味しいっ! ふぃー、気に入った! もっと飲むっ!」
「とろっとしてて、でも飲みやすくて。ねぇアルちゃん、これって、『飲むアイス』なのかしら?」
ああ、云い得て妙だね。
母さんの感想は、ほぼ正解だ。
「バニラシェイク。取り敢えずは、そう名付けたよ」
そう。
俺が作ったのは、シェイク。
アイスがあれば簡単に作れる、お手軽ドリンクだ。
「シェイク!? これ、シェイクいう!? ふぃー、シェイク好きっ! にーたが好き!」
「にー、まーく!」
ああ、はいはい。
マリモちゃんは、魔力ね。
皆、目の輝きがおかしいが、その中でひとりだけ冷静に甘いものを嗜んでいるのは、我らが美人女教師様である。
「エイベル、どうかな?」
「……ん。まずまず。これは、私も良いと思う」
その動きは、どこまでも優雅である。
まるで、食欲に取り憑かれたリュシカたちとは違うとでも云いたげに。
なので俺は、ちょっとマイティーチャーを言葉でつついてみた。
「エイベル」
「…………?」
「バニラエッセンスを入れたプリンとか、絶対に美味しいと思わない?」
「――――っ!?」
うちの先生に、落雷が降り注いだ。
※※※
そして夕方。
そろそろ晩ご飯の準備をしようかという時。
お昼寝から目覚めた妹様が、笑顔でこちらへと駆けてきた。
「にーた! 親子丼! ふぃー、晩ご飯は親子丼が良いと思う! だっこ!」
「ん? 親子丼? そうだなァ……」
昼にアイスを作ったとき、鶏卵の在庫がやや寂しいと思ったが――。
「は……ッ!?」
唐突に背後に気配を感じ、俺は振り返った。
そこには、うちのプリティーチャーが。
俺以上に、この家の鶏卵の在庫を把握している先生は、しずしずとマイエンジェルの前へと移動すると、身をかがめて視線を合わせた。
「……フィー」
「んゅ? なぁに、エイベル? ふぃー、にーたが好きっ!」
「……晩ご飯のことで、進言がある」
「みゅ? 晩ご飯? それなら、親子丼が良いと、ふぃー、にーたに云った!」
「……フィー」
「んゅ?」
「……フィーの一番好きな食べ物は、何?」
「一番好き? なら、ふぃー、ソフトステーキが好きっ! ソフトステーキ、にーたがふぃーのために考えてくれたもの! ふぃーの特別!」
デレデレ顔になって、頬ずりを繰り出してくる妹様よ。
エイベルはそんなマイシスターに云う。
「……ならば、今日はソフトステーキという選択肢もあるはず」
「ん、んゅゅ……? でもふぃー、今日は親子丼――」
「……フィーは、プリンは好き?」
「大好きっ! プリン、ぷるぷるしてて、とっても面白い! ふぃーのお気に入り!」
「……しかしここで、フィーには悲しいお知らせがある……」
「みゅっ!? 悲しいお知らせっ!? ふぃーのにーたに、何かがっ!?」
いや俺、目の前で健在ですやん。
「……現在、我が家の卵の在庫は乏しくなっている。ここで親子丼をチョイスすると、フィーはプリンを食べられなくなる……」
「プリンが!? それは、一大事なの! どうしよう、にーた!? ふぃー、一体、どうすればいい!?」
「……解決策はある」
「んゅ……っ、んゅゅ……っ!? それは……っ!?」
「……ソフトステーキに、切り替えること。そうすればフィーは一番好きな食べ物を食べられるうえ、デザートにプリンまで付いてくる。これがベスト。これしかない……」
「みゅぅ……っ! それなの! エイベル、凄い! それ、めーあん! ――にーた、ふぃー、今日はソフトステーキが良いと思うっ!」
丸め込まれたか……。
まあ俺としては、別にどちらでも良いんだけどね。
お師匠様はすっくりと背を伸ばし、澄んだ瞳で俺を見た。
「……アル。これで、新たなプリンを試すことが出来る」
私欲ですよね、それ?
でもさ、エイベル。
ホッとしているところ悪いけど、ハンバーグのつなぎに、普通に卵つかうからね?




