第五百九十七話 お城の庭園
庭に出たのは、四人。
俺と村娘ちゃん、フィロメナさんに、おっかない顔をしているお付きの人。
この人も美人なんだから、笑えばいいのにねぇ。
「それにしても、綺麗な庭だね」
思わず、そんな感想が出る。
広い庭は、通路の配置、木々の位置、咲き誇る花まで、とても見事に調和していた。
この庭を設計したガーデナーは、余程にセンスが良かったのだろう。
ただ『綺麗』というだけでなく、風景全体を考えて庭を造っているように思えた。
(しかも、『縛り』までもうけて……)
俺はここの地下に、秘密の通路があることを知っている。
地上部分に、おそらく何カ所かの出入り口があることも。
庭師にそこまで教えていたかどうかは甚だ疑問だが、まさか秘密の入り口を岩や木で塞ぐわけにも行かないだろうから、必ずや『あの辺には配置をするな』とかの注文を受けたと思うのだが。
地下通路のことを伏せて庭を褒めちぎると、村娘ちゃんは我が事のように微笑んだ。
「アルト様に、気に入って頂けて良かったです。わたくしも、このお庭が大好きですので。――実は、この庭の基本設計をされたのは、エルフ族の方なのですよ。もう何百年も昔の話になるのですが」
「へぇ、エルフ!」
俺にとっては馴染み深い種族である。
彼らの長命ぶりを考えると、これほどの庭師と知り合いの人も、現在進行形で近場にいるかもしれないなと思った。
フィロメナさんがひょこっと真横にやってきて、俺の手を握る。
この人、『後ろで控える』という行動を放棄することに決めたらしい。
「伝承によると、そのエルフの名は『ヒセラ』と云うそうです。尤も記録が散逸しているので正確かどうかは定かではありませんし、これほどの庭師ならば他に名を知られていてもおかしくないのに、他所の文献にも一切名前がないので、誤りであるという説のほうが支配的なのですが」
「…………」
何か……どこかで聞いた名前だね?
その人、普段は別の場所で働いているから、ただ単純に人里にやってこないだけなのでは。
微妙な表情になってしまったのを悟らせないため、顔を背けると、向こう側に誰かが歩いているのが見えた。
もの凄く遠いので、視力強化を使わないと豆粒にしか見えない。
このぶんでは、向こうも気付いているかどうか。
その誰かは村娘ちゃんのように、何名かを引き連れて歩いているようだ。
となると、相応の身分なんだろうか?
「あっちにも、誰かがいますね?」
と俺が云うと、村娘ちゃんがすぐに答えた。
最初から気付いていたのか、この距離でも見えているのか。
「あれは……キュアノエイデスお兄様ですね」
お兄様!
つまり、この国の王子か。
驚く俺に、フィロメナさんが補足をしてくれる。
「キュアノエイデス殿下は、この国の第三王子です」
あぁっと……。
お母さんが確か、隣国のブルームウォルク王国の姫君とかなんとかいう……。
視力強化を使って覗いてみると、長髪の美男子の姿が見えた。
(なんか、『インテリ系イヤミキャラ』みたいな顔をしてるな?)
実物は裸眼だけど、メガネを掛けてクイッとしながら、「そんなことも分からないのか」とか、ナチュラルに云い出しそうな顔――と云ったら失礼か。
酷い感想を誤魔化すために、俺は話題の軌道修正をした。
「ブルームウォルクの血筋の方ですよね? 良いよなァ、ブルームウォルク。実は俺、一度行ってみたいんですよね」
ちなみに、これは本音でもある。
ブルームウォルク王国の異名は、『学術国家』。
学問と文化の溢れる、知識と文明で知られる国なのである。
尤も、ブルームウォルクは最初から『学問の都』を志したのではない。結果として、そうなっただけではあるのだが。
この辺の事情は、三国志とか好きな人には簡単に説明ができる。
つまり、荊州みたいなものですよと。
アレも中原・河北で争いが頻発し、難を逃れた人々が南へ来たから学問が発達したが、ブルームウォルクも事情が同じで、南方に、この大国ムーンレイン。隣接する西と北には、ケンプトン王国という強国があって、しかもこの三者は同盟関係にある。
正確に云えばブルームウォルクとケンプトンは同盟国ではないが、この両国とムーンレインが深く結びついているため、同盟同然の良好な間柄だとかなんとか。
ブルームウォルクは文化の高さを売り物にする一方、戦争経験には乏しく、『弱兵国家』と看做されることもあるのだとか。
後に聞いた話では、ブルームウォルクの人間を煽るのには、『弱さ』を指摘するのが一番簡単とのことで、第三王子と仲の悪い第二王子の陣営が、そうして日々、第三王子の派閥と、しょうもない云い争いをしているのだとか。
しかしそれは兎も角、ブルームウォルクには戦火を避けて流れ着いた稀覯本の類も何冊もあって、特に俺が素晴らしいと思うのは、『王立図書館』と『王立美術館』があることだ。
こういう時代だと、普通貴重品は、『秘蔵』されるものだからね。
それを限定的とはいえ、開放しているのは本当に凄いことだと思う。
読書自体は俺も大好きなので、出来れば訪ねてみたいんだよね、ブルームウォルク王国。
俺のそんな呟きに、村娘ちゃんが頷いた。
「わたくしも、かの国の図書館は一度訪れたいと思っております。あちらには、魔導歴時代の書物も多く現存するとのことですから」
ああこの子は、大好きなお母さんのための勉強を、今も続けているんだねぇ。
偉い子だよね、村娘ちゃんは。
俺が生温かい目を向けると、ロイヤル村の女の子は、頬を赤くして顔を伏せてしまった。
彼女は、誤魔化すように云う。
「キュアノエイデスお兄様は、大変学問を好まれます。とっても博識なのですよ」
「へぇぇ……。村娘ちゃんがそう云うってことは、余程に聡明なのかな?」
俺の相づちに、お付きのふたりが皮肉げに頬を歪めた。
村娘ちゃんだけは、品のある笑顔のままだったけれども。
「――確かに、第三王子殿下は勉強がよくお出来になりますね。勉強だけは、本当に」
「ええ。シーラ殿下に知識をひけらかしに来て、その後不満を募らせて帰って行く御方ではありますが」
辛辣だなァ……。
でも、勉学の類にこだわりを持っている人間だというのは分かったぞ。
ちなみにこの国の『王の子』で聡明な者と云えば、まず村娘ちゃんと第一王子殿下の名が挙がるのだとか。
第三王子の名前が出るのは、大体においてその次であるらしい。
まあ『学問の都』出身の血筋としては、知の方面で一歩譲った評価をされるのを、もしかしたら面白くないと考えているかもしれないねぇ……。
お付きのふたりの言葉を受けて、人の良い村娘ちゃんが、慌ててフォローを入れる。
「き、キュアノエイデスお兄様は、王国きっての開明派と呼ばれているのですよ? 貴族階級からだけでなく、広く平民からも人材を登用することから、庶民の皆様方の人気も高いのです」
するとフィロメナさんはニヤリと笑う。
「はい。開明的と、云われておりますね」
お付きの剣士さんも、鼻で笑う。
「第三王子殿下の母君のご実家は、外つ国であって、ムーンレイン国内においては基盤に難がありますから、人材を得るのも一苦労、と云ったところなのでしょう」
髪の長い女魔術師様は、開明派と云った村娘ちゃんに対し、わざわざ『と、云われている』と修正を入れた。
それってつまり、評判倒れってことなんじゃないの?
これも後で仕入れた情報からの組み立てになるが、第三王子という人は、現代日本風に云うのならば、『学歴偏重主義者』であるらしい。
学問の国の血筋だけあって、彼は自分が知を修めるだけでなく、周囲にもそれを期待する。
知性こそが、人の人たるゆえんと云うわけだ。
と云うわけで、彼が身の回りに置くのは、知識階級か、それに近い者たち。
貴族であっても学問を厭う者は用いるにあたわず。
他方、平民でも相応の学舎を出ているのであれば、積極的に勧誘する。
世間一般にはそれによって、学問に理解があり、また広く人材を求める人という評判を得ているらしい。
けれども、ここにいる二名からの評価は、ごらんの有様だ。
まあ何にせよ、俺がキュアノエイデスという王子と接点が出来ることはないだろうし、あまり深く考える意味はないのだろう。
(そもそも俺、将来的にも学校に行ったりしないだろうからな)
この世界ではたぶん、永劫の未就学児となるはずだ。
勉強はエイベルが見てくれるし、そもそも庶民だと、都市部の人でも簡単な読み書き計算を教える私塾に行くだけ、というケースも多いし、地方の子どもなんかは無学文盲の人が殆どだ。
(まあ、フィーやマリモちゃんには、人との交流という意味で、学校に行って貰いたいなとは思うけれどね……)
ちいさく、肩を竦めた。
村娘ちゃんは、そんな俺に云う。
「さあさ、アルト様。見て頂きたいお花というのは、あちらですよ! 本当に、とっても綺麗なんですから!」
うん。
庭園のことも第三王子のことも置いておいて、今はこの子――母親思いの、ちいさなお姫様と過ごすことを考えよう。
目の前には、お月様な笑顔。
俺が城に来た意味は、ここにあるのだから。
 




