第六十話 五歳児だから、心配は当然
「にいいいいいいいいいいたああああああああああああ!」
小箱を仕舞って扉を開くと、すぐに、毎日喰らっているタックルが飛んできた。
眠りから覚めた妹様は元気いっぱいだ。
笑顔で頬を擦り付けてくる。
「えへへへ……! えへへっ! にーたすきっ! ふぃー、にーただいすきッ!」
(あれ? 泣いてない……?)
寝起きに俺がいないと大泣きするのが、いつものパターンなのだが。
マイエンジェルの同行者である母上様は、ふふん、と得意げな顔をしている。
「母さん、一体、どんな魔術を使ったの?」
「ぬふふふふふ……。こう云ったのよ。おはよう、フィーちゃん。じゃあ、お兄ちゃんの所に行きましょうね、って」
成程。
俺の存在を探す前に、先手を打って不安を取り除いたのか。
これなら、流石のフィーも不機嫌にならないだろう……。
そう思っていたのに。
「にーた、また、えいべるといる……!」
ぷくーっと、おもちみたいにマイシスターの頬がふくれていく。
ついでに、俺を抱きしめる力も強まっていく。
「ふぃーとゆーものがありながら、ほかのこにうつつをぬかすの、めーなの!」
「……母さん。フィーの言葉遣いについて、何か釈明はあるか?」
「…………」
さっきまでドヤ顔だった母さんは真顔になって、そっぽを向いた。
「にーた! ふぃー! ふぃーだけをみるの! ほかみる、めーなの!」
頬を膨らましながら喋るとか、器用だな……。
怒っている時の妹様は全力で構ってあげないと、中々機嫌が直ってくれない。
(あー……。いや)
どうせなら、今のうちに話しておくか。
マイエンジェルを笑顔に戻した後に、また泣かれるのもアレだしな……。
俺はエイベルを見る。
こちらの云いたいことが伝わってくれたのか、エルフの恩師は無言で頷いた。
「むむー! にーた! ふぃーだけをみてって、いっているのに!」
妹様が激怒される。
抱きつき攻撃と、ほっぺ擦り付けの圧が凄いことになっている。
ぐいぐいむにむにと音が聞こえそうな程だ。
仕方がなかったこととはいえ、これは俺が悪いな。
自分を見てと云っているマイシスターの言葉に逆らうように、エイベルに視線を向けたのだから。
「ごめんよ、フィー。でも、大事な話があるんだ、聞いて欲しい」
しっかりと抱きしめ、さらさらの銀髪を撫でながら、俺はエイベルと外出することを告げる。
心配を掛けないためと、秘密を広めるわけにはいかないという理由で、「日帰りでエイベルの知り合いに俺の魔剣を届けてくる」程度の説明に留めた。
流石に大氷原に行くとは云えない。
「にーたどこいくの? ふぃーもいっしょにいく!」
予想通りと云えば予想通りだが、妹様が激しく反応を示した。
一方で母さんは俺をじっと見ている。
「……その外出、危険があったりするのね?」
どこに行くの? ではなく、どんな人に会うの? でもない。
危険の有無を最初に質してくる。
こう云う時の母さんは、妙に勘が良い。
エイベルは母さんの前に出た。
俺に告げたように、親友の説得は自らが受け持つつもりのようだ。
「……外に出る以上、大なり小なり危険はつきまとう。けれど、アルのことは、私が必ず守る」
真剣な瞳だった。
普段おっとりしているはずの母さんも、同種の瞳で親友を見つめている。
「アルちゃんの打った剣を届けるなら、エイベルひとりでも、事足りるはずよね? 私の子供を連れて行く、その理由は何?」
「……アルは魔力の根源にアクセスできる能力がある。これは、私がこれまでに見たことのない、希有な才能。それが、きっと必要になる」
(俺の根源魔力……?)
魔力の行使の可能性に関しては、何も聞かされていなかったが、何か役に立てることがあるのだろうか?
しかし、確かに剣を届けるだけなら、俺が同行する必要はないはずで、そこにも何かしらの理由があるのだろう。
「…………」
母さんは少し考え込むような動作をする。
この人が「ダメ」と云えば、多分、俺はエイベルに付いていくことが出来なくなるだろう。
正直な話、エイベルが守ってくれると云っても、危ない場所には行きたくない。
けれど、それ以上に、俺はこの可愛い先生に恩返しがしたいのだ。
「母さん。どうか、出かけさせて欲しい。俺、少しでもエイベルのことを、助けてあげたいんだ」
「――!」
俺がそんな云い方をすると、エイベルはすぐにこちらに瞳を向けた。
無表情であっても、驚いているようだった。
どうやら、俺が同行する理由が自分自身にあるとは思っていなかったようだ。
「そう……。アルちゃんは、エイベルのために出かけたいのね?」
「ああ。今までずっと助けて貰った恩に報いたい」
「……アル」
アーチエルフのちいさな掌が、俺の背中にそっと添えられた。
「エイベル、もう一度訊くわ。危険はあるの?」
「……無いと云えば嘘になる。けれど、私の能力で対応可能な範囲だと判断している」
「…………」
昔なじみを真剣に見つめていた母さんは、やがて「ふう」と、ちいさく息を吐いた。
そして、もう一度しっかりとした眼差しで、親友に云う。
「……わかったわ。でも、この子のことは、ちゃんと守ってあげてね?」
「……ん。命に代えても」
「それはダメ」
ちょっと怒った風な顔をする母さん。
珍しい表情だ。里帰りの時に心配を掛けて以来だろうか?
「ふたりとも、絶対に無事に戻ってくること! じゃなきゃ、許可しません! 自分はどうなっても良い、と云う考え方は、一切しないで」
「……わかった。アルも私も、無事に戻ってくる」
「なら、良し」
母さんはそう云って、俺の頭を撫でた。
会話の内容もそうだったが、この行動でも分かる。
俺の行く先が危険な場所なのだと、完全にバレているようだ。
普通なら日帰りで出かける程度の話は、
「あら、じゃあ、気を付けてね」
の一言で終わるはずだから。
「アルちゃん。エイベルのこと、守ってあげてね」
「うん。必ず」
守られるのは俺の方だとは思うが、こう云うのは心の問題だ。
互いに支え合うだとか、ふたりで補い合うだとか、そう云う意味もあるのだろう。
そして、これは、俺にエイベルを預けてくれる、と云うことでもあるはずだ。
このエルフ様は、母さんにとっての、かけがえのない親友なのだから。
ならばその信頼は、絶対に守らねばならない。
さて、こうして何とか外出許可を貰えたわけだが。
「ふぃーもついてく! ふぃーとにーた、ずっといっしょ!」
この娘の説得が残っているわけだ。
リアルの都合のため、今週の更新は、火曜、木曜、土曜となります。
楽しみにして頂いている方々には申し訳ありませんが、なにとぞご了承下さいますよう、お願い申し上げます。




