第五十九話 向かう先
大氷原。
割と、とんでもないことを頼まれた気がする。
この大陸の北方は、雪と氷に閉ざされた別世界だ。
人の生きられぬ過酷な環境。
凶悪な魔獣。
そして、王都からの距離。
どれを取っても、一筋縄ではいかない。
しかしエイベルに助けを求めた氷精は、その大氷原の一部に住んでいると云う。
どうやって助けるのかは知らないが、救うためには氷の世界へ行かねばならないようだ。
「エイベルとの初デートが大氷原か。俺は商業地区の喫茶店を考えていたんだけどね」
「……ごめんなさい」
謝るということは、やっぱり危険な場所であるらしい。
別に俺は歴戦の戦士でもなんでもない。
しかも、五歳児だ。
危険に対応出来る術などないし、何より大陸最北部への移動はどのくらいの時間が掛かるのか。
(それに――)
フィー。
最愛の妹。
あの子を危険な場所へ連れて行くことは出来ないし、その気もない。
何より俺自身が、あの日だまりと離れたいとは思わない。
母さんに心配を掛けることにも強い抵抗がある。
俺はエイベルが好きだし、彼女には大きな恩があるけれども、両者を天秤に掛けた場合、どうしても家族に傾いてしまう。
俺は恩知らずの冷血漢なんだろうか?
本来ならばすぐに断るべきなんだろうけれども、しかしそれでも、エイベルのことを考えると即答できない俺がいる。
考え込んでいると、可愛いエルフの先生が、俺の右手を両手で握った。
「……アルのことは、私が守る。それに、予定は日帰り」
「え?」
日帰りなんて出来る距離じゃ――。
いや、エイベルが、しょうもない嘘を吐くわけがない。なら、可能性はひとつだ。
「エイベル、転位できる手段があるのか」
「……? さっき、私は鍵の管理者と説明をしたはず」
あ。
そういうこと。
鍵ってのは、転位門を開く手段を指す言葉なのか。
魔導歴時代の遺物である、転位門。
しかし今現在、その殆どが沈黙を貫いている。
門を鑑定すると魔力の波動があるので、壊れているわけではないようだが、起動する手段がない。
多くの魔導機関で、その復古が研究されていると云われている。
もしも転位門が近場にあり、自在に使用できるなら、確かに移動時間は大幅に短縮される。
しかし、それでも行く先が行く先だ。
大氷原が危険な場所であるという事実は変わらない。安全面に不安は残る。
「……危険を完全に排することは難しい。けれど、氷精や雪精のいる場所は、比較的安全とは云える」
エイベルの説明するところは、こうである。
大氷原にいる魔物たちの大半は、肉を喰らって生きている。
食料となる存在がいなければ暮らしていくことが出来ないのは、人と同じだ。
他方、雪精たちの住処は雪と氷ばかりであり、魔物達が食べられるものがない。
だから滅多に近づかない。
食料の差が、そのまま生存圏を分かち、それが雪精たちの安寧へと繋がっているのだと。
(それならまあ、だいぶ安全か……?)
エイベルが「守る」と云ってくれているのだし、この世の地獄のような場所でもないのなら、あとの問題は防寒具と、外出許可か。
外に出るのはエイベルの人払いの魔術で問題がないだろう。
ベイレフェルト家への許可申請も、日帰りならば誤魔化せるだろうから、する必要が無い。
(と云うか、申請するわけにはいかないよな。くれるわけがないし、行く先含めて内緒じゃないとまずいだろうし)
なので、最大の障害はふたり。
フィーと母さん。
両者が許してくれるかだ。
(って、あれれ。俺、いつの間にか、エイベルに同行する前提で考えているな……)
自分の心情なのによく分からないから理由を考えてみる。
俺には、もともとエイベルの望みは叶えてあげたいと云う気持ちがある。
それに、外に出てみたいという気持ちも。
逆にそれらを遮る材料として、生命への執着や家族との別離を厭う心があった訳で、その辺が解決されるなら、好奇心や報恩の情が優先されると云うことなのだろうか。
俺は無表情ながら真剣に手を握り続けるエルフ様に、頷いてみせた。
「雪精の住処がエイベルとの、記念すべき初デート先だね」
「……ありがとう」
お礼を云われてしまった。
保身ばかりを考えていたこちらとしては忸怩たるものがあるが、喜んでくれているようなので、良しとすることにしようか。
「で、エイベル。外に出るなら、『あのふたり』を説得しなければならないが」
「……リュシカ『は』私が引き受ける」
はいはい。
フィーは俺が説き伏せろってことね。
出来るのかなァ……。無理じゃないのかなァ……。
絶対に泣くだろう。俺と一日離れるなんて、あの子に我慢出来るはずがない。
俺はそのことを棚に上げて、もうひとつの問題について質す。これも現実逃避なんだろうな……。
「防寒具はどうするの?」
「……私は所持している。アルの分は、剣を打って貰う間に、商会経由で確保しておく」
如才のないことで。まあ、無策よりはずっといいが。
「じゃあ、さっきのテストと雪の魔剣の使い途は?」
「……雪精の所へ行くのだから、怯えさせてしまう人は連れて行けない。雪の魔剣は雪精のために使う予定」
立て板に水だ。
ならばと俺は最初の質問に戻ることにした。
「で、フィーをどうやって説得するの?」
「……リュシカ『は』私が引き受ける」
くっ……!
なんてことだ。どこかの国民的RPGのループ選択肢じゃあるまいに……。
しかし、これで方針は固まった。
あのふたりの説得と魔剣と防寒具が揃ったら、俺は大氷原に向かうことになるのだろう。
「アルちゃ~ん、エイベル~いる~? 開けてー?」
その時、工房の扉が叩かれた。
説得対象が、向こうから来たようだ。




