第五百八十六話 深緑に、命尽きるまで(終)
「片付いたようだね?」
こちらを見ながらそう呟くのは、性別不詳の美貌の友人、ノエル・コーレインである。
彼(彼女?)の周囲には、無数の男たちが手足を縛られたままに転がっている。
俺が変態女と戦い、ヴィリーくんがバンクスを倒していた間に、彼女(彼?)は残りの商会兵の全てをやっつけ、縛り上げていたようだ。
ご丁寧にもその中には、彼らの頭目・オットーの姿もある。
流石はノエルだ。
戦いにかまけて、敵のボスを逃がすようなヘマはしないらしい。
「フン。雑魚ども、塵芥の掃討、大儀である」
荒い息をしながら、それでも上から目線の言葉を投げかけてくるのは、死人を除けばこの中で一番の重傷者であるヴィリーくんである。
イケメンちゃんは口をへの字にして肩を竦めた。
最早、怒る気にもならないようだ。
「こ、こんなことをして、ただで済むと思っているのですか……っ!?」
そんなことを叫ぶのは、商会の小男・オットーである。
しかしこの中に、彼の声に感銘を受けるものはいなかった。
ヴィリーくんは冷たい目をして云う。
「『ただで済むと思っているのか』は、私のセリフだぞ平民? 貴様は貴族たる私を襲い、平民会の関係者にも手を出した。そこな太平楽な兄妹は――まあ、どうでもよかろう。私やコーレインの子と違って、手を出したとて、しかるべき所より報復があるとは、とても思えぬしな」
太平楽兄妹とは、またご挨拶だな。
まあ、反論は出来ないけれども。
お貴族様は、構わず続ける。
「小男よ。貴様はメルローズに庇い立てして貰える程、貴重な存在か? 違うであろう? 寧ろ何かが起これば切り捨てられる存在だからこそ、こうして我らを襲い、全てを無かったことにしたかったのであろう? で、あるならば、私が貴様を官兵を突き出し訴え出たところで、トカゲのしっぽ切りに遭うだけよ。違うか? ン?」
「…………っ」
忌々しそうに唇を噛むオットー。
ヴィリーくんは、その頭を踏みつけようとしてノエルに阻止され、舌打ちしてから小男を見おろした。
「貴様には、たっぷりと賠償請求をしてくれよう。子々孫々に至るまでジワジワと永久に搾り取るか、いっぺんに取り上げて奴隷に落とすかは、まあ、道々考えるとしようか」
「ちょっと、そこまですることは――」
「黙れ平民」
イケメンちゃんの声を、ヴィリーくんは遮った。
「良いか、世間知らずの未熟者よ。こういう男はな、再起の目があっても、それを自己を昇華させる為には使わぬのだ。私や貴様らに対する復讐と報復を考え実行する類の存在なのだ。小人閑居して不善をなすとは、よく云ったものよなぁ? であるならば、ここで『元を断つ』か、今後の不逞な企みを挫いておくことが肝要なのだぞ? 経済的縛りを掛けるというのは、だから必要なことなのだ」
相変わらず、口の回る人だよねぇ。
ただまあ、俺としてもオットーが『野放し』はちょっと怖い。
たとえば逆恨みであの薬草畑の親子が狙われたら、俺たちと違って身を守る術がないだろうし。
オットーが二度と関わってこないことが確定しているのであれば、それが一番良いんだけど、そう上手くいかないだろうし。
だってこの人、俺たちを凄い形相で睨み付けているんだもん。
「…………」
イケメンちゃんはチラリと俺たち兄妹を見た後に黙り込んだ。
これは彼女(彼?)なりにクレーンプット兄妹を心配してくれた結果と云うことなのだろうか?
(ともあれ、今のうちにフィーを回収しておかなければ……)
あちらのほうで、俺の云い付けを守ってジッとしてくれている妹様に、両手を広げる。
「フィー、おいで?」
「にいいいいいいいいいいたあああああああああああああああああああああああ!」
既に半泣きになっているマイエンジェルを、ギュッと抱きしめた。
戦闘時間はごく短かったとは思うが、この子にとってはそうでもなかったらしい。
「フィー、よく我慢できたな?」
「ぐす……っ! ふぃー、がんばった……!」
そう。
以前のこの子だったら、こらえきれずに自主的に飛び込んでくるか、にーたにーたと悲しそうに叫んでいたことだろう。
しかし今日はこうして、声も上げず駆け寄っても来ず、ちゃんと待っていられたのである。
良き成長と云うべきだ。
しっかりと褒めてあげねば。
ヴィリーくんの呆れたような目とノエルの苦笑もものともせず、俺はフィーをよしよしと撫で続けた。
「にーた……。にーぃたぁぁ……! 悪い奴やっつけるなら、ふぃーがやるの……! ふぃーの大事なにーたは、ふぃーが守るの……っ!」
ずいぶんと心配させてしまったようだ。
でも、妹を守るのは、兄の仕事だ。
たとえ俺の方が、遙かに弱いとしても。
「にーた! 危ないことする、めーなの! ふぃーのこと手放す、もっとめーなのーっ!」
泣きながら懸命に、もちもちほっぺを擦り付けてくる妹様を尻目に、イケメンちゃんが呟いた。
「ともあれ、これで買収騒動はカタが付いただろうね。この男が官兵に引き渡されれば、メルローズも渦中の農家を買収するわけにはいかなくなるだろうからね」
トカゲのしっぽ切りが本当に起こるのであれば、メルローズは当然、オットーの買収工作を、知らぬ存ぜぬで通すだ。
知らんと云っておいての即座の買い取り攻勢は、そりゃ出来ないだろうからな。
俺はほっぺを蹂躙されたままで、ヴィリーくんに問う。
「お貴族様は、ここまで分かっていてやったんですか」
「私は云ったであろう? 願いは叶うと。メルローズそのものに手を引かせるのであれば、そこな小男を払い退けるだけではダメなのだ。それでは買収の担当者が代わるだけよ。つまりは、工夫が必要だったのだ」
昨日の今日で、ここまで思いついて、実行してのけたのか。
この人、歪んでなければ本当に優秀なんだな。
いや、歪んでいても『兄の負債』を乗り越えているのだから、傑物か。
俺は『へし切り』を見る。
売れば一財産になるこの剣を、困難にあっても彼は手放さなかったのだな。
こちらの視線に気付いたヴィリーくんは、誇らしげに長剣をかざした。
「この剣は当家の先祖が、『国を守る藩屏であれ』という期待によって、有り難くも国王陛下より賜ったものなのだ。そしてその時に推薦と口添えをして下さったのが、当時のヴェンテルスホーヴェン家よ。先祖伝来の重宝であり、更には陛下の期待と侯爵閣下への恩義の込められた我が家の家宝だ。これは、ヘイフテ家の誇りそのものなのだ」
そう云ったときの彼の顔には、いつもの『邪気』が全くなかった。
ヴィリーくんは、亡きお兄さんに、こんな表情を向けていたのであろうか?
イケメンちゃんが、ポツリと云った。
「――今日のことは、その剣に相応しい功績だったと思うよ、ボクは」
「…………」
ヘイフテ家のドラ息子は、その言葉に何も云い返さなかった。
何を思い、何を感じたのか。
彼の珍しい無表情からは、察することが出来なかったのだ。
※※※
緑の丘の上に、三人の人物がいる。
それはヘイフテ家の嫡男であるヴィリーと、あの薬草畑の親子であった。
彼らはそこから、王都郊外に見える薬草畑を一望していた。
「お母さん、うちの畑、見えないねー?」
「ここからじゃ、流石にね? でも、王都の畑は、どれも立派ねぇ……」
苦笑するように呟く女性に、貴族の男は面白くもなさそうに云う。
「貴様の畑の良さは、品質であろう。なればこそ客も付くのだし、メルローズなども取り上げようとしたのだ。規模だけを気にする意味はない」
そんな言葉に笑顔を浮かべたのは、娘の方であった。
目の前の青年が、きちんと自分たちの畑の良さを分かってくれていることが、嬉しかったのだ。
「えへへ……! お兄ちゃん、ありがとうございましたーっ!」
「…………」
少女は勢いよく頭を下げる。
そんな女の子に、貴族の青年は口をへの字にして腕を組んだ。
「全く、今回の話は完全にこちらの骨折りだったのだからな。家の続く限り、この私に感謝の祈りを捧げることだ」
「そのことなのですが……」
婦人が一歩、進み出る。
「何だ? 苦情の類ならば、受け付けぬぞ?」
「そ、そんな恐れ多いことは致しません。――今回のことは、自分がいかに世間知らずであったかと、良い勉強になりました。我が家のようなちいさな畑は、寄る辺なければ、やってはいけないのだと」
誠実であれば。
正直であれば。
良い品を作り続ければ。
そういった心がけは貴重なものではあっても、『奪う側』には関係ない。
寧ろ付け入る隙と理由になるであろう。
もちろん、それでも個人でやって行っている者たちも、世の中には多いのだが。
婦人は云う。
「今回の騒動で、良くも悪くも私たちの畑は名が知られてしまいました。これでは今後も、同じような目に遭うかもしれません」
「だったら何だ? 仮にそうなっても、それは貴様らが処理すべき問題であろう? それとも何か? 今後もこの私に、ずっと守って欲しいとでも云うつもりか?」
ヴィリーが睨むと、婦人は穏やかな微笑を浮かべて、深々と腰を折った。
「我が家の畑を、どうか貴族様の所有地として下さい」
「――――」
それは、買い取りの申し出であった。
皮肉にもヴィリーは婦人の土地を諦めたことで、却ってその地を得る機会を得たのである。
――良いかい、ヴィリー。善良であれば、それはきっと報われるものだ。だから我々貴族は、貪ってはいけないよ? 人に誇れる者でなければいけないんだ。天はきっと、見てくれているはずだからね。
彼の敬愛する兄は嘗て、そんなことを云って、弟の頭を撫でたのであった。
その本人は、報われることなく逝ったというのに。
「……フン」
ヴィリーは、息を吐き出してそっぽを向いた。
「何故急に、心変わりした?」
「それは、この子です」
母親は、娘を前に出す。
肝の据わっている幼女は、偉そうにふんぞり返っていた。
「この子が、お貴族様は、大丈夫だと。任せる方が安心だと云ったのです。……私はこの子を信じておりますので、その言葉に乗ると決めました」
「ほほう? 経験の浅い幼子の言葉に家の行く末をかけるとは、何とも面妖な話よな? それで転げれば、目も当てられんぞ? 無様という言葉では、片付けられん程になぁ?」
貴族の皮肉に、婦人は気分を害した様子もなく、ただ頭を下げるのみである。
一方、女の子は、それでもニパーッと、花のような笑顔で見上げている。
それは単純に彼の辛辣な言葉を理解していなかっただけなのかもしれないが、ヴィリーはフイッと空を見上げた。
「……そこまで愚かだというのであれば、仕方がない。貴様ら家族が路頭に迷うのを防ぐためにも、薬草畑は我がヘイフテ家が買い取ってやろう。……私の土地となるのだ。より良い品を作ることを命じる」
それは、これまで通りの生活が出来ると云うことを意味した言葉だった。
今後もこの家族が、畑を守っていけるという、親子にとっても望んだ結果に。
女の子は、無遠慮に青年の服を引っ張った。
「えへへ……! お兄ちゃん、ありがとうっ! お兄ちゃんって、なんだか立派な騎士様みたい!」
「…………」
その言葉に、虚を突かれた。
青年は、絞り出すように云う。
「この私が、立派だと……? 騎士のようだと……?」
「うんっ! とっても素敵っ!」
それは、遙か昔になくしたと思っていたもの。
もう二度と、得ることが出来ないであろうと諦めていた類の賞賛であった。
ヴィリーは再び、空を見上げた。
「……もう行け。貴様らにも、色々と準備があるのだろうが」
突然の言葉に少女は首を傾げ、母親は柔らかい笑顔で頭を下げながら、その場を去った。
一人残された魔術剣士は、天空に問いかける。
(私の欲しかったもの。私のなりたかったものとは、一体、何だったのかな……?)
優しかった兄を思う。
慕ってくれる弟を思い浮かべる。
自分は、兄弟たちに胸を張れる人間であったろうか?
あの剣を持ち、振るい続ける資格のある者だろうか?
――何かを始めるのに、遅いなんてことはない。ゆっくりと、立派になれば良いんだよ。
亡き兄は、幼い頃の自分にそう云った。
(私は、今からでもなれるのだろうか……? 兄のような優しい人間に。弟の手本となれるような、誇れる存在に)
答える者は、誰もいない。
それを決めるのは、自分自身。
「フン……。ならば、やってやろうではないか。私は天下の賢才だ。今更立派な者になるのは無理だとしても、それを演じて生きていくくらいは、出来るだろうよ」
呟いた彼の表情をアルトやノエルが見れば、きっと驚いたことだろう。
そこには、今まであった険がない。
実に晴れやかな顔をしていたのであった。
(そうだな。せめて我が弟――ヴォプファリスの自慢の兄であれるように。そして大恩あるヴェンテルスホーヴェン侯爵家の……第三王女殿下を支えられるような、そんな騎士を目指してみようではないか)
それは、ひとつの決断であった。
今までの生き方を改め、新たなる一歩を踏み出すという前向きな。
(まずは我が弟に、兄の言葉を伝えてやろう。長兄のような、本物の男になれるように)
ヴィリーは、歩み出そうとした。
そして、そこで――足が止まった。
「――ぬ?」
気がつくと、目の前には銀色の板。
赤く染まった、銀色の板が胸の内より突き出ていたのだ。
「これ、は――!?」
それが刃。
自身を貫いている長剣だと認識するのに、僅かな時間を要した。
同時に、強烈な痛みと熱を感じた。
ごぼりと、口の端から血がこぼれた。
彼は、振り返る。
自分の背後に、誰かがいることに気付いたのである。
「お、おまえ、は……!」
「ええ、一別以来でございますねぇ、お貴族様」
それは彼が、とうに忘れていた存在。
祭りで出会った大道芸人。
あの斬られ屋に相違なかった。
「が、がは……ッ!」
ヴィリーは、血を吐いた。
斬られ屋はそんな様子を、淡々と見つめている。
「私の家は、貧乏でしてね……。まあ、それでも母子仲良く、どうにか頑張って暮らしてきたわけでありますが――」
「う、ぐ……」
「そんな我が家にも、形見がありましてね? それがまあ、貴方が私から取り上げると云った宝石なんでございますよ。……母は、さる国の貴族の妾でして、まあ、飽きられ捨てられた訳なんですが、そのときに手切れ金として、その宝石を賜ったというわけで。母はそれを、後生大事に取っていたのですよ。どれだけ生活が貧しくなろうと、ずっと大事にね? 愚かしいとは思いますが、そういう気持ちも分からなくはないんで、まあ、あの宝石は、私にとっても代え難いものでして、ええ」
「ぐ、あ……」
「貴方はそれを、取り上げると云いなさった。逃げ出すことも、禁じると云いなさった。それはあんまりじゃございませんか? 我々平民は、お貴族様には逆らえないんですからね」
刃が捻られる。
それは確実に、体内を破壊するために。
「ご存じの通り、私は斬られ屋家業で生活をしております。ですから、自らが誇りとするこの芸事に、自分の宝を賭けることは厭いません。それは自分の意志のうち。勝つも負けるも、己の責任でございますからねぇ。――ですが、権力と暴力で一方的に奪われるのは我慢がなりません。私が立ち退いて済む問題でもなくなったとあれば、こうするより他に、解決策は無いわけでして。幸いにして、貴方様はそう強い剣士ではありませんからね。背後を取るのも、これこの通り、自由自在というわけでして」
「が、あ……」
乱暴に剣が引き抜かれ、ヴィリーは地面に倒れ伏した。
斬られ屋はそんな彼を、虫けらのように見つめている。
「心の臓を破壊させて頂きやした。これでお貴族様は、もう助かりません。一方的に手を掛けるのはちょいと恥ずかしい振る舞いだとは思いますが、これは貴方様の自業自得。自らの行いが返ってきたのだと、諦めておくんなさい」
そう云い捨てて、斬られ屋は去って行く。
ヴィリーはその様子を、遠くに眺めた。
怒りよりも先に、弟の姿が浮かんでいた。
(バカな、私が死ぬだと……!? それでは弟は……! ヴォプはどうなるというのだ……! たったひとりで、誰も傍になく……!)
伝えたい言葉があった。
教えてやりたいことがあった。
目指したい未来があった。
変えようとした生き方があった。
その全てを、彼は諦めるつもりがなかった。
――2メートル。
それが、ヴィリーの進むことの出来た距離。
心臓を潰されてなお、生来の我慢強さで死ぬことすら拒み、這いずり続けた。
緑の床を朱に染めながら、ヴィリーは前へと進み続けたのであった。
己の生命が終わる、最後の最後の瞬間まで。
深緑に、命尽きるまで。




