第五百八十三話 深緑に、命尽きるまで(その二十三)
ポーレイ、と云うのが、その女魔術師の名前だった。
彼女は、自分で自分のことをそれなりに優秀であると信じている。
それは比較的年少のうちに『魔術師』に至ったことから、客観性を有すると思っていた。
その考えを裏付けるかのように、ポーレイは十代のうちから大小様々なスカウトを受けている。
けれども、その大半を彼女は袖にした。
理由は、『趣味』である。
ポーレイは、年若い少年を『愛でること』を好んだ。
しかしそれは、たとえば『似たような趣味』を持つこの国の国家魔術師――フィロメナなどと違って、流血と暴力による彩りを加えること至上とした。
彼女の『愛し方』は子ども好きのエルフたちが知れば、激怒して粛正の対象に選ぶくらいには歪んでいたのだ。
彼女は、自分の趣味が周囲に受け入れられないことを知っている。
それは先駆者であるが故の苦悩であり、高尚でありすぎるが故に理解されないことだと思い込んでいる。
故に、常に私生活に注目が集まり、汚点のない生き様を強要される『宮仕え』をするつもりがなかったのだ。
だから、フリーランスであることを望んだ。
自由契約者は実力さえあれば、どう生きようが、どんな時間の使い方をしようが、自分の勝手であるはずだ。
それにフリーランスの魔術師であれば、国から国への移動も不自然ではない。
各地域、各地方の美少年たちと知り合い、愛し合える。
そうして、彼女はムーンレインへとやって来たのだ。
新たなる出会いを求めて。
そこには、予想外の素晴らしい組織があった。
メルローズ財団。
私兵として仕え、結果さえ出していれば、後ろ暗いことも大半は許される夢のような集団だった。
ポーレイは、天職に出会った気分であった。
仕事のついでに好みの美少年を探し、見つけたらいつでもお持ち帰りが出来る。
飽きたり壊れても、メルローズに頼めば僅かな金銭で簡単に処理してくれたり、場合によっては向こうが逆に買い取ってくれたりもする。
なんとも便利で頼もしい組織であった。
そして、今回の仕事でもまた。
ポーレイの瞳の中に、実に彼女好みの男の子が映っている。
「んふふ……っ。私は今まで、出身国であるブルームウォルクこそが至高だと思っていたんだけどねぇ……。こんな素晴らしい組織があるなら、ムーンレインも悪くないかなって思うわよ」
彼女の呟きに、アルト・クレーンプットは眉を顰めた。
「メルローズと、あの『魔術至上主義』集団は、この国の汚点だろうに……」
「価値観の相違ねぇ……? まあ、そういう子を私好みに染めてあげるのも悪くはないけどね?」
舌なめずりをして自分を見つめてくる女魔術師に、アルト・クレーンプットは怖気を感じた。
彼は思う。
(ブルームウォルク王国って確か、この国の第三王子の母親の出身国だったよな。『学術国家』の異名があるから一度行ってみたいと思ったけど、まさかこういうアブナイ連中ばかりではあるまいな?)
そんなことをアルトは考えるが、ムーンレインにもミア・ヴィレメイン・エル・ヴェーニンクという名の怪物がいる。
たった一名を見て全てを決めつけるのは、早計であり、失礼であろう。
ポーレイは、自分の言葉に反応したアルトに微笑みを向けた。
精一杯の、慈愛を込めて。
けれども、くたびれた雰囲気を持った子どもには、不気味な笑顔という認識しかされなかったようである。
「ボク、ブルームウォルクを知っているのね? 良い子にしていれば、お姉さんが連れて行ってあげるけど?」
「お断りします。知らない人について行っちゃいけないって、母に云われているのでね」
「断る……っ! 断るですって!」
魔術師の女は、嬉しそうに叫び声を上げた。
「私の言葉を断れるなんて、最初だけよ? すぐに私の言葉を断ることが出来ないようになるわ! いつでも卑屈な目で私を見つめて、私の機嫌を損ねないように振る舞うようにしか出来なくなるんだから。……まあ、そうなっちゃうと、それはそれで飽きちゃうんだけれどもねぇ」
ポーレイはニヤニヤと笑いながら、目の前の少年の『躾け方』を妄想した。
この男の子ならば、少しばかり荒っぽいことをしても、すぐに壊れたりはしないだろうと決めつける。
(ただの子どもを攫うのは、実に容易い。けれども、問題は――)
女はチラリと、他の仲間たちの様子を見る。
自分以外の失敗で、貴重なペット候補を逃すわけにはいかないのだ。
「……っ」
そこで、舌打ちをしたい気分になった。
多数の集団が、ひとりの子どもに翻弄されていたのである。
その子どもは、まるで時間稼ぎでもするかのように。
或いは商会の手勢に、仲間たちの邪魔をさせないように、彼らを引きつけ、逃れ、引き離しに掛かっていた。
やけに素早く、巧みな動きであった。
まるで、一対多の戦いに慣れているかのように。
(ただの子ども相手に、何をやっているのよ、無能ども! さっさと捕まえておきなさいよっ)
彼女には、彼らが愚図の集団に見える。
あの美形だが、何故かそそられない子どもひとりを捕縛できない商会兵を、歯がゆく思った。
(まあでも、捕まえるのは時間の問題でしょう)
多数の――そして、それなりの戦闘経験を積んだ者たちが後れを取ることは、流石にないだろうから。
(それに、あっちは完全に問題がないでしょうしね)
彼女は、歴戦の戦士の姿に頷いた。
元帝国騎士バンクス。
あれは魔術師ではないが、戦力者として評価できる。
対戦相手の男は無駄に自信たっぷりだが、あれがバンクスに勝つことはないだろう。
(それにしても、貧相な剣ねぇ)
ヴィリーと呼ばれた男が布包みから取り出した武器を見て、ポーレイは冷笑した。
その長剣には、飾り気がない。
他者を目で楽しませることの一切を排除したかのような、無骨な剣であった。
どこまでもひたすらに、ただ武器であればよいと決め込んだかのような面白味の無い得物であったのだ。
華美な装備に身を包んだ、あの端正な若者が持つには、あまりにも不釣り合いな器物である。
対してバンクスの持つ剣は、同じ無骨な武器であっても、一目で迫力が見て取れる。
業物であることを無言のうちに主張する、豪壮で肉厚なツーハンデッドソード。
戦場で戦うことを想定した、大振りの剣である。
(強い者が強い武器を握る――。絵に描いたような勝利の方程式。あちらは安心して良いでしょう)
ポーレイは、そう考えた。
他方、彼女と対峙する少年は、知人の武器を見て、少しだけ驚いたような顔をした。
しかし、そのことに気づいた者はいなかった。
彼女はそんな男の子に向き直る。
「じゃあ、始めましょうか……」
彼女は悠々と言の葉を紡いだ。
目の前の子どもはそれに呼応するように、前面に手をかざす。
そのことに、ポーレイは驚いた。
「あら? まさか貴方も、魔術が使えるの? だとしたら、偉いわねぇ。その幼さじゃ、初級魔術の変換だけでも大変でしょうに」
余裕の笑みを浮かべる女魔術師と対照的に、少年は脂汗を浮かべている。
ポーレイは傲慢と余裕の両者を抱えて、その様子を見守った。
子どもから形作られる魔術は、『水』のようだ。
「うっふふふ……っ! そんな一生懸命に頑張っている姿を見ると、応援してあげたくなっちゃうわ! ほら、頑張って?」
水の魔術の利便性は高い。
下手をしたら、他の属性魔術よりも需要があるかもしれない。
しかしそれを実戦の場で使うならば、余程の魔力量があるか技量がなければ、攻撃力の不足となってしまう。
果たして、目の前の子どもから作られた魔術は、コップ一杯分あるかないかという、儚い存在であった。
こんなものをぶつけられても、ダメージにはならないだろう。
ニヤニヤと笑って見ていると、男の子は苦しそうに顔を歪めた。
この程度の魔術を作り上げることでも、精一杯であるらしい。
「聞いた話によると、このムーンレインには十歳に満たぬ身で、段位魔術師の階梯へと歩を進めた天才がいるそうね?」
「…………」
男の子は答えない。
魔力の維持と構築で、手一杯であるかのようだ。
「ボク、まだ八歳か七歳かってところでしょう……? そんな幼さで魔術が扱えるなんて、本当に凄いことよ? 噂の天才には及ばないでしょうけど、努力すればボクもきっと、立派な魔術師になれるわ? なんなら、私が手ほどきをしてあげても良いけれど」
クスクスと笑うポーレイに、男の子は顔を歪ませ、しかしキッパリと答えた。
「生憎、こちらには世界一の先生がいるんでね……。そういうのは、間に合ってるんだ。――だいいち、変質者は初めからお断りだね」
「……ふぅん……? ――そう」
スッと、ポーレイの目が細まった。
これはお仕置きをしないといけないと、彼女は思ったのだ。
放たれるのは、水の魔術。
しかしそれは、単なる『水のボール』を作ることでいっぱいいっぱいのアルトのそれとは違う、明確な質量を持った一撃。
大の大人でも身体で受ければ内臓が破裂するかもしれない一撃であった。
「まずは痛みを知りなさい。じゃないと、躾が始まらないわ」
多少の故障が発生してもやむなし。
彼女はそう考えた。
場合によっては死ぬかもしれないなどとは、考えもせず。
そんな身勝手の一撃はしかし、すんでのところで躱された。
彼女のペット候補たる少年は、苦しそうに身を捩って、ポーレイの魔術を避けたのだ。
「あぁら、頑張るじゃない? 魔術の構築中に避けるだなんて。しかもそれでいて、魔術がキャンセルされていない。ボク、もしかしたら、私が思っている以上に優秀なのかしらね?」
彼女の言葉に、アルトは答えない。
自分の魔術に集中しているようだった。
ポーレイはそれを、喋る余裕がないのだろうと考えた。
子どものほうに、その気がないとは思いもしない。
「でも、ダメよ? ボクにはもう、お仕置きをすると決めたの。泣き叫ぶまで、絶対に許さない」
少年の魔術構築速度は遅い。
ならば次の術式も、自分の方が早く仕上がるはずである。
ポーレイは、悠々と詠唱を始めた。




