第五百八十話 深緑に、命尽きるまで(その二十)
「あ、あの……。私たちをお救い下さるというは、どういう意味なのでしょうか……?」
「言葉通りの意味だが?」
ご婦人の言葉に、ちょっと不機嫌そうに答えるヴィリーくん。
幼女ちゃんの言葉に続いて、彼女にとってはまたしても意味不明な展開であろう。
何で? どうして?
罠か、冗談なのか?
おそらくは、そんな風に考えているのだろう。
薬草畑の女主人の表情が、コロコロと変わっていく。
何の意図があって、こんな言葉を?
もしや、本当に助けて貰えるのか?
信じたい。
信じられない。
どう判断すれば良いのか。
彼女は混乱の極みにあるようだ。
まあ無理もない話だが。
そんな婦人に、ヴィリーくんはいつも通りの毒舌をぶちまける。
「もとより考える必要など何もないのだぞ? 燕雀のたとえもある。所詮いち平民に、私の大志など理解できるはずもないのだからな。愚者には愚者の振るまいがあろう。無駄な思考を排し、我が言葉をおしいだけばそれで良し」
結果だけありがたく甘受せよと。
この一方的な『俺様節全開さ』は、流石お貴族様というべきか。
そうして余計に混乱したご婦人を余所に、あの逞しい幼女ちゃんは嬉しそうに彼を見上げている。
そんな娘の様子を見て、婦人は恐る恐る質問する。
「あのぅ……。本当にわたくしどもを、お助け頂けるのででしょうか……?」
「くどいぞ。私は誇り高き貴族だ。二言はない」
云い切るヴィリーくんと、ちょっと冷めた目でそんな彼を見るイケメンちゃんよ。
婦人は問う。
「ですが……。一体、何故?」
「貴様には理解できぬと、私はつい先程云ったはずだが?」
まあ……。
このお貴族様に、昨日あったことを説明するつもりはハナからあるまいな。
片眉を上げたまま、無理矢理に押し通すつもりらしい。
ただヴィリーくんの思惑は兎も角、この母娘には『理由』が必要だろう。
信頼に値する、そんな理由が。
そうでなければ、土台が定まらない。
将来、破綻の遠因にもなり得るのだし。
なのでほんの少しの事実と、ある程度の曲解をまじえた理由付けを提供することにした。
彼に気づかれぬように背後に回り、それからチョイチョイと、幼女ちゃんを指さした。
果たして、効果は覿面だった。
母親は驚いたように。
幼女ちゃんは大層嬉しそうに。
それぞれ表情を変えた。
まあ、解釈はお任せしましょ。
真実がどうであれ、結果が良い方に向くなら、取り敢えずは構わないだろうさ。
ヴィリーくんは云う。
「女よ。たとえこの私がお前たちに慈悲を与えてやるつもりになったとは云え、それだけでは『契約』は不充分なのだ。何故なら、救われるべき者の意志を無視するわけにはいかないからだ。――わかるな?」
ああ、これがヴィリーくんが宿屋に来る前に云っていた、『大切な言葉を聞いていない』ということなのか。
確かにこのご婦人が、このお貴族様に『助けて』を云わなければ、踏み込んだ介入は出来ないよねぇ。
(まずそこがすっぽ抜けていたのは、俺の手落ちだな……)
渋い顔をすると腕の中の妹様が、俺のほっぺを嬉しそうに引っ張った。
どうやら、変顔をしていると思われたらしい。
一方、ご婦人のほう。
彼女は一瞬だけ俯き、次いで背の高い青年を見上げている愛娘に視線を向けてから、深々と頭を下げた。
「お願いします。どうか私たちを、助けて下さい」
「――承知した。お前の願いは、必ず叶うであろう」
自信ありげに笑う青年貴族。
対して婦人は、今度は不安そうな様子を見せる。
「あの……それで、助けていただける『対価』なのですが――」
「要らぬ」
「えっ」
「要らぬと云ったぞ? 私は押し売りに来たのではない。援助をエサに、譲歩を引き出しに来たのでもない。ただ一言、助けると云ったのだ」
「――――」
婦人は絶句しているが、これには俺もノエルも驚いて、思わず顔を見合わせてしまった。
だって、あのヴィリーくんですぜ?
純然たる善意で動くなんて、とても思えなかったから。
そも俺からして、話の落としどころの候補は、平和裏に『ヘイフテ家に引き取って貰うこと』、であった。
ヴィリーくんの家にも何事かの旨味がなければ、動いて貰えないと思っていたのだ。
だって無報酬で働くなら、骨折り損の上にメルローズと敵対したという『事実』だけが残ることになってしまうから。
「そ、それで良いのかい……? 完全に、そちらの持ち出しになってしまうけど……」
ノエルも思わず声を出している。
ヴィリーくんは諦観したような瞳で、イケメンちゃんを捉えた。
「フン。所詮身分卑しき平民風情には、我ら貴族の持つ誇り高さは理解できまい」
ヴィリーくん、昨日の時点でここまでの覚悟を決めていてくれたのか。
正直、俺も彼のことを見くびっていた。
もっと俗な精神の持ち主なのだと。
(幼少期は、立派なお兄さんに憧れていたんだもんな。或いは、これはそんな理想の発露か)
もしも歪まずに育っていたら、もっと誇り高い男になっていたのだろうか?
それこそ、ここにいるノエルと親しくなれるような。
(いや、流石にそれは怪しいか)
彼の弟さん――確か、ヴォプとか云う名前の少年の立ち回りを思い出すに、ちょっと難しい気がするぞ。
しかし今回は、ヴィリーくんのプライドが良いほうに働いてくれた。
俺――或いはバイエルンかエッセンの名前で、今後彼に何か報いてあげられる道も考えておこうかしら?
ヴィリーくんは、胸を張って云う。
「私は天下の賢才だ。その私が救ってやると決めたのだ。お前たち親子は大船に乗ったつもりで構えているが良い」
「貴族様、ありがとうございます」
「おにーちゃん、ありがとう!」
婦人は再び頭を下げ、幼女ちゃんは彼の足に抱きついた。
ついでにフィーも、何故か俺に抱きついた。
――そこに。
「おやおやおやおや……。随分とまぁ、勇ましい言葉が聞こえてきますねぇ……」
慇懃にして、しかし不快感を伴った声が響いてくる。
部屋の借り主に断ることなく、扉が勝手に開かれた。
現れたのは、あの男。
メルローズ商会の小男・オットー。
(今日は、用心棒が増えているのか……?)
この間まで一緒にいた大男の他に、もうひとりいる。
それは、二十代くらいの若い女だ。
妙に露出度の高い魔道着に身を包んでいるところを見ると、フリーランスの魔術師か魔導士だろうか?
ノエルは俺にだけ聞こえるような小声で呟いた。
「バンクスはいないね……」
そういえば、帝国騎士くずれの傭兵だか用心棒だかもいるんだったか。
今回は来ていないのか、それとも外に待機しているのか。
メルローズゆかりの三人組は、遠慮会釈もなしに、ズカズカと入り込んでくる。
オットーと大男は、俺たち『子ども組』を取るに足らないと思っているのか、見向きもしない。
それはある意味正しいのだろう。
そして、有り難くもある。
油断や慢心は、いくらでもしてくれて構わないのだから。
けれども。
「ふぅん……? 私好みの、可愛い子がいるわねぇ……?」
魔術師風の女は、俺の方を見てニヤリと笑った。
何というか、うちにいる不審者に向けられる瞳に近いような笑みだった。
だからか、妙な寒気がする。
「めっ!」
妹様は、そんな彼女に敵意剥き出しの感情を向けている。
どうやらマイエンジェルに、『ダメ認定』されたようだ。
(頼むから、戦いにはならんでくれよ……?)
こちとら、まだ本調子じゃないのだ。
魔術を使うような状況は避けたい。
幸いヴィリーくんは舌が回るし、それに期待するしかないだろう。
女は俺を見てから、もうずっと視線を固定化させている。
思わず鳥肌が立ったぞ。
なんか俺の周囲って、俺を大切にしてくれる人とアブナイ変質者と、二極化されてませんかね?




