第五百七十九話 深緑に、命尽きるまで(その十九)
「にぃたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「にーっ! にぃぃっ!」
朝。
左右から、妹たちの『ほっぺ押しつけ攻撃』を受けている俺。
もちもちほっぺと、ぷにぷにほっぺの織りなす二重奏に、言葉を話すことすら出来ない。
「うぅぅぅ~……っ。アルちゃん、羨ましいわぁぁ~……」
文字通りに、母さんが指をくわえている。
何でこんな状況になっているのか?
まあ、フィーのほうは平常運転なのだが、マリモちゃんのほうは、昨日あんなことがあったので、俺の身を案じてくれているようなのだ。
「…………」
エイベルもジッとこちらを見つめているが、これは俺を心配してくれているのかな?
してくれているんだよね?
俺じゃなくて、微妙にほっぺのほうを見ている気もするけどさ。
「う、羨ましいですねー。何でアルトきゅんのほっぺを愉しんでいるのが、私じゃないんですかねー? お姉ちゃんなのに、悲しいですねー。ほっぺがダメなら、せめて太ももを撫でくり回させて貰いたいですねー」
黙れ不審者。
怖気を感じるような瞳を向けてくるんじゃァない。
一方、愛娘を両方息子に取られている母親の方。
マイマザーは、俺にも視線を向けてくる。
「アルちゃん。本当に、今日もお出かけするの? なんだか、とっても元気がないわよ?」
「約束しているからねぇ」
本調子ではないけれども、エイベルからは栄養ドリンクみたいのを飲まされたしな。
おかげで昨日よりは、段違いに体調はマシになった。
魔力はあまり、使いたいとは思えないけれども。
「おかーさん、大丈夫! 大好きなにーたのことは、ふぃーが守る! ふぃー、にーたの敵を、えいやーってするの!」
しちゃいけません。
フィーは魔力の制御は抜群に上手だけれども、感情の制御と手加減がまだまだだからな。
それに何より、この子にはどんな理由でも、他人に暴力を振るうこととは無縁でいて貰いたいと思っている。
まあ、これは俺のエゴなんだけれどもさ。
うちの先生が、俺の目を見た。
「……イェットには、異変があった場合は最優先で報告をするように伝えてある。尤も、『人間同士の争い』には、これまでどおりの対応で良いとは云ってあるけれども」
つまり、昨日の今日で花の精霊王がちょっかいをかけて来ない限りは、これまでと同じということね。
(まあ、争いが起きないことを天に願っておきましょうかね)
こうして朝の時間は、ほっぺサンドのままで過ごした。
※※※
「やあ、アル。――って、今日はいつにも増して、くたびれた感じだね? 雰囲気だけでなく、体調も万全ではないのかな? 大丈夫なのかい?」
イケメンちゃんが、そんなことを云ってくる。
つーか、『万全な雰囲気』って何よ?
「フィーちゃんは……今日も元気そうだね?」
「ふぃー、にーたと一緒なら、いつでも元気! 毎日幸せ! ふぃー、にーた好きっ!」
俺の腕の中から、ブンブンと手を振って気持ちをアピールする妹様よ。
イケメンちゃんは、暖かい目でマイエンジェルを見つめている。
(あとは、ヴィリーくん次第か……)
彼を巻き込んでメルローズへの対処を求めている時点で、ある程度は彼任せになる。
果たして、どんな手段をとってくれるのだろうか。
考えていると、そのお貴族様ご本人がやってくる。
彼は昨日までとは出で立ちが違い、高級そうな皮鎧を身につけていた。
そして、その手には何か細長いものをくるんだ布の包みがあった。
(今日は冒険者風の格好だな……。けれど皮鎧も包みの布も、明らかに良いものっぽい。セロで見た冒険者たちと比べても、圧倒的に装備品で勝っていそうだ。これが彼のバトルスタイルなのかな?)
ヴィリーくんは、俺たちを一瞥する。
ノエルが驚いた風に頷いた。
「……それ、ヒラゴルの皮だね」
「ほう? 平民の割に、目が利くではないか? いかにも、これはヒラゴルの皮より作り出したる鎧よ」
「と云うことは、そちらの包み――たぶん武器だろうけど、それも名品の類なのかな?」
「フン。これこそは、貴族の貴族たる証だ」
ノエルは剣技に優れるだけでなく、武具やその素材にも明るいのか。
俺もガドに習っているから刃物の善し悪しは多少分かるが、防具に関してはサッパリだからねぇ……。
ヴィリーくんは、布包みを大事そうに撫でている。
つまり、余程のものなのだろうな。
俺の視線に気づき、彼はこう云った。
「まずは、あの小男が来る前に例の貧相な宿屋へと向かう。私はまだ、大切な言葉を聞いていないのだからな」
うん?
大切な言葉? それは何だろうか?
首を傾げながら、俺はお貴族様の後をついて行った。
※※※
「あ、貴方は……っ」
宿屋に着くと、例の薬草畑のご婦人が不安そうな声をあげた。
まあ、そりゃそうだよね。
ズカズカと入り込んできたのは、ヴィリーくんなんだもの。
買収話を持ちかけてくるという点にかけては、メルローズと大差ないだろうしね、この女性にとっては。
「あ、あの、これは一体……?」
次いで婦人は、怯えた様子でイケメンちゃんを見つめた。
一緒くたに入ってきたのだから、混乱している――或いは手を結んだのかと思っているのだろう。
まあ、『手を結んだ』こと自体は事実なんだけれどもね。
他方、その娘の幼女ちゃんのほう。
華奢な外見の割に物怖じしない彼女は、友人のフィーとヴィリーくんこと『頼れるお兄ちゃん』がやって来たことで、素直にはしゃいでいる。
将来は大物になりそうね。
傲慢なるお貴族様は、いつものように冷たい目をしてご婦人に云った。
「道理の分からぬ愚かな女よ。お前にひとつ、聞いておかねばならないことがある」
「な、何で、しょうか……?」
云い方ァっ。
本当に口が悪いな、ヴィリーくんは。
思わずノエルと顔を見合わせてしまったぞ。
「お前は、この私の魅力溢れる提案を却下し、己の畑の独立を保ちたいと、都合の良いことを考えている――。間違いないな?」
「う、そ、それは……」
彼女は云い淀む。
素直に肯定すれば、目の前の貴族の不興を買うと思っているのだろう。
ご婦人は、縋るようにしてノエルを見つめた。
性別不詳の美貌の友人は、彼女に力強く頷く。
「大丈夫ですよ。遠慮することなく、胸中を吐露して下さい。それは、とても大事なことです」
「…………」
ご婦人は何度かヴィリーくんとノエルを見やり、
「も、申し訳ありません……。私は、畑を売るつもりはありません……」
目を伏せながら、そう答えた。
「フン……」
ヴィリーくんは不愉快そうに口元を歪めたが、激昂することもない。
それはたぶん、彼女の言葉を予想できていたからであろう。
「ではひとつ訊くがな、女。お前はあのメルローズからの誘いの手を、どうやって払いのけるというのだ? いや、そもそも、奴らの誘いを払いのけるという意味を分かっているのか?」
あちらの提案を断ること。
そして断った場合に付いて回ること。
ヴィリーくんは、それらに対する決意と対応策の有無を訊いているに違いない。
「…………」
彼女は再び目を伏せた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「貴方の仰るとおり、私は愚かな女です。何の解決策も思いつきません。――ですが、だからこそ私は、平民会に助けを求めたのです」
その目はしっかりと、イケメンちゃんに向いていた。
けれども、口を開いたのはヴィリーくんのほうだ。
「……成程。確かに愚かだ。頼る筋を、完全に違えておるわ」
ふふんと笑い、見下すような瞳を遠慮無くノエルに向けるヴィリーくん。
たぶん彼は、平民会など益体もないものだと考えているのだろうな。
それに対して、ムッとしながらも反論することのないイケメンちゃん。
それは余計な波風を立てない為になのか。
或いはベイレフェルト侯カスペルに勢力を大きく削がれたことを意識して云い返せないだけなのか。
まだ付き合いの浅い俺には、判断が付かない。
いずれにせよこの美形の友人は、沈黙することで節度を保つ道を選択したようだ。
そこに、参加してくる者がいる。
うちの妹様ときゃいきゃい騒いでいた、あの精神的に逞しい幼女ちゃんである。
彼女はトテトテとこちらへと歩いてくると、ヴィリーくんの高そうな衣服を遠慮無しにクイクイとつまみ上げた。
「お母さん。このお兄ちゃん、お母さんのこと、助けてくれるよ?」
「え、えぇ……っ!? な、何を云っているの!? ま、まずは、手を離しなさいっ。失礼ですよ!」
ご婦人、大混乱。
そりゃ昨日まで強引な買収に来ていた勢力の片割れだし、今こうして話している様子も、とても友好的には見えないだろうからね。
娘さんの言葉は意味不明のはずだ。
加えて、お貴族様の服を掴んで引っ張っている。
こんな無礼を働いたらどんな雷が落ちるかと、気が気でないのだろう。
(たぶん、言葉じゃないんだろうな)
この幼女ちゃんは俺の見るところ、直感で動くタイプではないかと思う。
言動や態度ではなく、それ以外の部分で、ヴィリーくんが助けてくれると判断したのではなかろうか?
(それに、このお貴族様、俺とノエル以外の子どもには優しいからなァ……)
たとえば俺がこの高級品っぽい服を掴みあげたら、どんな反応をするだろう。
ヴィリーくんは、ジロリと俺を睨んだ。
「……おい平民。貴様の薄汚い手で高貴なる私の衣服を触ったら、その時点で五体がバラバラになると思えよ?」
ほらァ~……。
俺にだけは塩対応ですよ。
そしてご婦人は、幼女ちゃんとヴィリーくんを交互に見やっている。
「あ、あの……。まさか、本当に……?」
「――今日の私は、そのためにやって来てやった」
ヴィリーくんは、フンと鼻を鳴らした。




