第五百七十四話 深緑に、命尽きるまで(その十八)
さてと。
我が親友たるノエル氏が、取り敢えずは俺を信じて協力してくれるようなので、肝心要のヴィリーくんの説得に掛かりましょうか。
成功してくれると良いんだけどねぇ。
――そう思った矢先、口を開いたのはノエルのほうだった。
彼(彼女?)は、ヴィリーくんに対して云う。
「不幸になる人がいるのを知って、しかもそれを回避できる手立てがあるというのに、それを行わないという法はないだろう?」
「平民風情が、この私に命令をするな! そも貴様とて、目の前で起きている不幸の全てを取り除いて生きているわけでもあるまいに!」
ヴィリーくんの振り下ろす剣の圧が増した――ような気がした。
正論――その通りである。
その証拠に、云い返されたほうのイケメンちゃんも、眉間に皺を刻んでいる。
彼の言葉は正しい。
たぶん、俺の提案はそもそも不公平で、筋も通っていない。
単なる依怙贔屓なんだから、当然ではあるのだが。
けれども、ならば何故、ヴィリーくんはここまで激昂するのだろうか。
このお貴族様が、心からあの親子をどうでも良いと考えているのであれば、こんな反応はしないのではないか。
『兄』のように立派になりたかったらしい彼。
薬草畑を、買収しようとした彼。
メルローズに、気後れした彼。
イケメンちゃんの言葉に、激しく反応する彼。
(つまり、ヴィリーくんも迷っているのでは)
少なくとも、葛藤を抱いているような気はする。
誠実な生き方に対して、思うところがあるんじゃないかと。
俺がヴィリーくんにあの家族の保護を求めたのは、完全にこちらの都合であり、云い換えれば、一方的なお願いであるにすぎない。
だが、もしも――。
もしもヴィリーくんが『今の生き方』を気に入っていないのであれば。
或いは、引っかかっているものがあるのであれば……。
俺の視線に気づいたらしいヘイフテ家の息子さんが、こちらを睨み付けてきた。
「何だその目は! 貴様もコーレインの子と同じく、この私にありがたい正義を説いてくれるとでも云うのか!?」
残念ながら、俺はそんな高尚な人間ではない。
そもそも心の中に、確たる『善心』を有しているわけでもない。
俺にとって大事なのは、正義や善などという立派なものではなく、すぐ近くにいる家族や親しい人たちなのだから。
だから、その『家族』と親しくしてくれたあの子や、『友人』に縋ってきたあの人が、救われて欲しいと思うのだ。
怒り狂っているヴィリーくんの目を、ジッと見つめる。
「えと、ですね」
「何だ!?」
「あの子は、貴方のことを信じてました」
「…………っ」
薬草畑のご婦人の娘さん。
ヴィリーくんに安心していた、ちょっと変わった子。
そして、フィーの友だちになってくれた子だ。
お貴族様は、僅かに身を竦ませた。
俺やイケメンちゃんには平気で斬りかかってくるこの人物も、無垢な子ども相手では、勝手が違うと云うことなのだろうか。
俺は、腕の中の妹様を見つめる。
相も変わらず、ちっこい女の子だ。
よく食べ、よく笑い、よく動き、よく眠る。
だから健康そのものなのに、どうしたわけか、あまり背が伸びていかない。
たぶん体力とか元気さは、同年代の女の子たちと比べても、ぶっちぎりで勝っているとは思うのだが。
俺と目の合ったフィーは、心底嬉しそうに、にへ~っと笑った。
そんなマイエンジェルを、ヴィリーくんの前に掲げてみる。
「……あの子は、こんなにもちいさかったじゃないですか」
あの幼女ちゃんも、どちらかと云えば小柄な存在だった。
折れそうなほどに華奢で、元気ではあっても弱々しくて。
それはまさしく、大人が守ってあげるべき子どもの姿そのものだった。
「――――」
ヴィリーくんは、剣をおろした。
剣をおろして、俯いたまま、独り言のように呟く。
「お前は私に、何を望んでいるというのだ……」
「あの子が笑っていられる環境を」
「自分に出来ないから、この私を頼るというのか」
「そうです。俺には、何の力もありません。でも、貴方は違う。弁が立ち、財があり、その身は貴く、武力も持ち合わせている。――そういう人物でないと、メルローズを退けることは出来ません。だから頼むんです。うちの妹の友だちを、助けてあげて下さい」
俺は頭を下げた。
フィーも真似して、一緒に下げた。
「フン……。家族のためか」
カチン、と、剣を納める音がする。
見上げる貴族の瞳には、怒気はなかった。
霧散していた。
「本来、平民の生き死は私のあずかり知るところではないし、その頼みを聞いてやる筋合いなど、これっぽっちもないのだが――」
ジッと。
ヴィリーくんはフィーを見つめてくる。
いや、うちの妹様ではなく、それを通して、この場にいない『誰か』を見たのだろう。
「非力な者の頼みを聞き入れる度量も、貴族には必要だ。――地に頭をこすりつけ、感激するが良いぞ平民。貴様の願いは、今叶った」
「それじゃ……」
あの家族を、守ってくれるのか。
助けを求めておいてなんだけど、それはメルローズを敵に回すと云うこと。
今日だけではなく、『これから』も背負うと云うことだ。
「……ありがとうございます、貴族様」
「ありがとーございます! ふぃー、にーたが好きです!」
うん。
お前は状況を理解してないよね?
でも、お礼を云えるのは兄ちゃん嬉しいよ。
ヴィリーくんは、そんなマイシスターを見て、口をへの字に歪めている。
「……先程まで、この私にすさまじい殺気を飛ばしていた者と同一人物とは思えぬほどに、ゆるみきった笑顔よな」
反論しようもございません。
そうして、彼はクルリと背を向ける。
「メルローズの小男が再訪するのは、早くても明日であろう。仕方がないので、明日もあの貧相な宿屋に訪れてやる」
云い捨てるようにして、ヴィリーくんは去って行った。
剣を納めたノエルが足早に傍に来て、俺の横に立つ。
「――まさか、あのヘイフテ家のドラ息子を引き込めるとは思わなかったよ」
うん。
俺も思わなかったよ。
イケメンちゃんは、俺の瞳を見つめてくる。
この子、ちゃんと目を見て話す子なんだよね。
「正直ボクには、彼と仲良くするという考えなんてなかった。それに、説得する方法も」
それは、お前さんが正しかろうよ。
彼、結構アレな人だし。
俺だってイェットさんに調べて貰ったデータがなかったら、ヴィリーくんをパージする方向で考えただろうし。
「アル、訊いても良いかな?」
「うん?」
「彼は何で、あんなに激昂していたんだろうか」
「ああ、そのことか」
俺はイケメンちゃんに、ヴィリーくん家のことについて語った。
流石に貴族と接する機会の多い護民官子どもである。
彼女(彼?)も、ある程度はヘイフテ家の事情を知っていたようだが、『お兄さんのこと』については初耳だったようだ。
「……そうか。あの男には、そんな過去があったのか」
「『立派な人間になる』。『人に誇れる人物になる』って云うのは、ヴィリーくんにとっては尊敬する兄の遺した言葉であり、『挫折した夢』でもあったってことだね。つまり、触れて欲しくない部分だ」
「ボクは、そこに触ったと。まさしく逆鱗に触れたわけか」
「それに関しては、ノエルは悪くないだろうさ。彼を煽ったんじゃなくて、自分の『決意』を口にしただけなんだからね」
「…………」
イケメンちゃんは、もう見えなくなったヴィリーくんの去った後を見つめていた。
静かだけど、複雑そうな表情だった。
「……アル」
「なに?」
「ボクは、キミに応援を頼んで良かったと、心から思えるよ」
「そいつは光栄だね」
けれども、まだ一段落ついただけだ。
メルローズを退けることが出来るか分からないし、ヴィリーくん自身も全面的に信用して良いものか、正直自信がない。
だからノエルの言葉は、適当ではないのだろうな。
「にーたにーた!」
「うん? どした、フィー?」
「ご用が済んだなら、美味しいもの食べに行きたい! ふぃー、お外出るの楽しい!」
思わず苦笑してしまった。
けれども、妹様の言葉は正しい。
あまり外に出る機会がないのだから、明日のことは明日に任せて、『今日』を楽しんだって良いはずだ。
「それなら、ボクが美味しいお菓子を出すお店に案内するよ。今日のお礼もかねて、ふたりには御馳走させて貰うよ」
「ほんとーっ!? ならふぃー、甘いのが良い! ふぃー、甘いの好きっ! にーたが好き!」
ひしっと抱きついて、もちもちほっぺを押しつけてくるマイエンジェル。
俺にとっての大切なものは、いつだってここにある。




