特別編・クレーンプット家のバレンタイン
二月十四日――。
それは、波乱に満ちた決戦の日。
市井の男女が。
或いはどこかの商会が。
はたまたモテない男たちの集団が。
それぞれの目的と執念を燃やし、目を血走らせて奔走する日なのだ。
そして我がクレーンプット家の誇る天使様も、このイベントとは無縁ではなかった。
「ふ、ふへへ……っ! にーた、もうすぐバレンタインデー! ふぃー、楽しみ!」
ひしっと俺に抱きついてきて、だっこをねだる妹様よ。
マリモちゃんを抱きかかえている母さんが、マイエンジェルに視線を向けた。
「フィーちゃん、バレンタインデーがどんな日か、分かってる?」
「ふへへ、もちろんなの! バレンタイン、それ、チョコを食べられる日! ふぃーとにーたが、一緒にチョコを食べる日なの! ふぃー、甘いの好き! にーたが好きっ!」
そうなのである。
妹様の中でのバレンタインというのは、『チョコを食べる日』という認識なのだ。
前世と違い、ありがたいことに俺は身内や商会の皆さんに、チョコを貰える。
当然それらを独り占めする訳にもいかないから、分け合って食べる。
毎年こうなのだから、フィーの中で二月十四日の認識が間違ってしまうのは、ある意味では当然と云えた。
「にーたにーた! 今年はどんなチョコが食べられる!? ふぃー、たくさんチョコ食べたい!」
青いおめめをキラキラさせながら、フィーは俺に頬ずりをした。
※※※
「はい、アルちゃんっ! お母さんから、大好きなアルちゃんへのチョコよ?」
そして、二月十四日。
ハートマークを大量に飛ばしながら、マイマザーが俺にバカでかいチョコをくれた。
どうせ家族皆で食べることが確定しているので、母さんは量に拘っているのだ。
……また太っても知りませんぜ?
「にーた! チョコ! 朝からチョコ! ふぃー、早く食べたい!」
朝一からは、やめておきなさい。
そうしてフィーをだっこしたまま母さんとマリモちゃんに抱きつかれていると、部屋の外からパタパタという女の子特有の足音が響いてきた。
「アルトきゅ~ん! いますかねー? いますよねー? ミアお姉ちゃんですよー!」
「あ、朝早くから、失礼します……」
現れたのは、ミアとイフォンネちゃんの、美少女メイドさんコンビであった。
その手には、大きめの包みが抱かれている。
「あ、ミア、それって……」
「くふ……っ! 気になりますかねー? 気になりますよねー? お察しの通り、これはミアお姉ちゃんから、大好きなアルトきゅんへのチョコなんですねー」
「こっちは私からです。どうぞ、アルトくん。ミアちゃんみたいに上手く作れなかったけど、味わって貰えると嬉しいな?」
ありがたい話です。
俺よりも腕の中のフィーのほうがはしゃいでいるが、この際それは云うまい。
「あきゃっ!」
ああ、うん。
マリモちゃんも食べたいのね。
母さんや義姉の影響か、当家の末妹様も順調に食いしん坊に成長しておいでだからな。
まあ、精霊は元から食いしん坊が多いんだけれどもさ。
「それとですね、アルトきゅん。アルトきゅんに、お荷物が届いていますねー」
「うん? 荷物?」
送り元は――セロからだ。
そして、よっつの包み。
「あら、これ、私のお母さんからのチョコだわー」
ひとつはセロに住む祖母・ドロテアさんが送ってくれたチョコ。
で、こっちはシスティちゃんか。
それも、手作りだな。
わざわざ手間暇掛けてくれたんだな。
ハトコ様、お料理頑張っているんだなァ……。
(で、残るふたつは……?)
包みを開けてみると、更なる包み。
別にマトリョーシカじゃないのよ。
そこにあるのは、お店の銘の入った包みだったのだ。
ミアが密着するようにして、それを覗き込んでくる。
イフォンネちゃんも、それに倣った。
「これ、『ノッチョーラ』の袋ですねー。セロ有数の、お菓子のお店ですねー」
「美味しいよね、ここのお菓子。セロから頂く贈り物と云えば、果樹園の果物が有名だけど、私はこっちも好きかな?」
流石はお貴族様よ。
サラリとセレブな発言を。
ミアは「私は、殆ど食べたことがありませんよー」と呟いているが、イフォンネちゃんのほうは、慣れてる感じだ。
(で、送り主は誰だ……?)
バウマン子爵家――。
つまり、軍服ちゃんの家か。
(と、云うかさ)
フレイよ。
何で男のお前が、男の俺にチョコを送ってくるんだよ。
わざわざメッセージカードまで添えて。
「親愛なるアルトへ。これは私からの気持ちだ、どうか受け取って欲しい。どうせキミのことだ。貰ったチョコは家族と分けてしまうのだろうが、私からのチョコだけは、キミだけで味わって欲しいな」
とか書いてある。
あと文字の横のキスマークは何これ?
貴方様のなのですか?
ちなみのもうひとつの包みは、フレイの双子の妹、フレアからのものだった。
こちらは普通にいただけるね。邪気の類はなさそうだ。
「にーた! これだけチョコある! 傷んだら大変! 早く食べた方が良いと、ふぃーは思う!」
うん。
フィーが早く食べたいだけだよね?
※※※
午後になると、商会の幹部の皆様がやって来た。
トップスリーが抜けちゃって、お仕事の方は、大丈夫なんですかね?
「どうぞ、アルト様。こちらは当商会の今年の新製品になります。食べた後は感想などを頂けると、嬉しく思います」
そう云って高そうなチョコをくれたのは、赤いフレームの眼鏡が似合うショルシーナ会長である。
この『義理と実益』を兼ねた感じがいかにもザ・義理チョコって感じで、気兼ねなく受け取れますな。
「はい、アルくん。こちらは私からのチョコですよ? 少しずつ食べて、それからちゃんと、歯も磨いてくださいね?」
「こちらもどうぞ、アルト様。頑張って作りましたので、受け取ってください」
ヘンリエッテさんとフェネルさんが、同時にチョコを差し出してくれた。
笑顔で受け取っているのがフィーなのがアレだが、こちらもありがたく頂戴しよう。ホ
ントお世話になってます。
「では、こちらは、私から」
「おぉっ、ティーネ、ありがとう!」
まさかまさかのヤンティーネ先生からのチョコですよ。
店売り品だろうけど、貰えるとは思っていなかったので、ちょっと嬉しい。
フェネルさんが、同僚の方を見る。
「ヤンティーネさんがチョコを送るなんて珍しいですね?」
「まあ、このくらいは」
フイッと横を向く槍術の先生。
少し照れているみたい。
あとフェネルさん。不意打ちで抱きかかえるのはやめて下さい。
ヘンリエッテさんも、頬をつつきまわさないで。
一方、俺と一緒くたに抱きかかえられているフィーは、切なそうな顔で服を引っ張ってくる。
「にぃたぁ……。ふぃー、そろそろチョコ食べたい……」
「む……。そうだな……」
朝からずっと我慢をしていてくれたのだし、ここらへんで食べさせてあげるべきか。
うちの天使様は、云えばちゃんと待つことが出来る偉い子なんです。
「よし、じゃあ食べようか!」
「や……」
「や?」
「やったああああああああああああああああああああああああああああああ! ふぃー、にーたと一緒に、チョコを食べられるううううううううううう!」
はい、暴れない暴れない。
そしてフィーが暴れても嬉しそうにしているフェネルさんの筋金入りよ。
この人、子どもがリアクションとるのが、いちいち嬉しいんだろうな。
※※※
「はい、にーた! あーん!」
「あ、あーん」
「ふへへぇ~……。にぃさま、どうですかー? ふぃーの食べさせてあげるチョコ、美味しいですかー?」
フィーが食べさせてくれるから美味しいんじゃなくて、チョコが美味しいからチョコが美味しいような気もするが――いいや、マイエンジェルが食べさせてくれるから美味しいんだ!
そうに決まっている、うん!
「ほら、フィーも、あーん」
「あーん。ぱくっ! ふへへ……! 甘くて美味しい……っ!」
妹様、デレデレ顔ですな。
あっちでは、母さんが笑顔でマリモちゃんにチョコを食べさせている。
自分も娘も、パクパクパクパクと。
危惧していたとおりの消費スピードだ。
大量に貰ったチョコを、それこそ今日一日で食べ尽くすほどの。
(うちの家族、甘いものに対するブレーキが効いてないからなァ……)
マイシスターもエサを待つ雛鳥のように、次の『あーん』を今か今かと心待ちにしている。
「フィー、そんなに食べて、お腹いっぱいにならないのか?」
「ふぃー平気! 甘いの好きだから、いくらでも食べられる! それにおかーさんも、『甘いものは別腹』云ってた!」
妹様が堂々と云い切ると、向こうの方では無言で顔をそらすマイマザーの姿があった。
忸怩たるものがあるなら、食い控えれば良いのに……。
そんなこんなで『飽食の宴』は、我が家の女性陣がダウンするまで続きましたとさ。
※※※
――さて。
うちの母娘は食べ過ぎで倒れ伏したが、俺のバレンタインはまだ、終わってはいない。
本当にチョコを貰いたい人が、残っているからだ。
昨日の夜のうちに、ヤンティーネ経由で伝言を貰っている。
曰く、皆が寝静まったら、屋根裏部屋に来るようにと。
なるべく音を立てないように階段を上る。
――その人は、ぼんやりとした光の中で、静かに座っていた。
いつものように、無表情で。
けれども、とても穏やかに。
まるで安息を司る闇のような。
そんな彼女が、こちらをジッと見つめている。
「アルト・クレーンプット。お呼びに従い、参上致しました」
「……ん」
ちょいちょいと手招きをするうちの先生。
相変わらず、ちんまいですね。
(穏やかって云ったけど、ちょっと訂正――)
近づくと分かるけど、うちの先生、顔が赤いわ。
あと、常日頃から俺を誘惑してやまない美しい耳も真っ赤ね。
美人女教師は、ぽむぽむと床をたたく。
「……座って?」
「はい、失礼しますよっと」
正面ではなく、横に腰を下ろす。
マイティーチャーは、前を向いたままだ。
心なしか、ぷるぷると震えているような。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
無言が続き、時間だけが過ぎていく。
このままだと、『二月十四日』も終わっちゃうかな?
そう思いかけたとき、漸くうちの先生が口を開いた。
「……アル」
「はい」
「……今日は、人間たちの間で、少し変わった日だと聞いている」
「まあ、『大切な日』だって人もいるだろうねぇ」
「…………」
あーあー……。
俯いちゃって、まあ。
天性の恥ずかしがり屋さんだからな、うちの先生。
マイティーチャーは結局、それ以上の言葉を紡がずに、そっと包みを差し出してきた。
中身が『何』かなんて、確認するまでもない。
それは俺が、この日に一番欲しかったものに違いないから。
「――ありがとう、エイベル。嬉しいよ」
「…………っ」
俺は、精一杯の笑顔を作る。
得意の『営業スマイル』なんかじゃなくて、心からの笑み。
エイベルは、そんな俺を見て微笑した。
俺が喜んだことが嬉しくて、笑ってくれたのだ。
(このチョコは、独り占めしよう……)
即座に、そう決めた。
改めて先生を見る。
エイベルは無表情な赤い顔のまま、目線だけを逸らしていた。
その日は、幸福なバレンタインでありました。




