第五百七十二話 深緑に、命尽きるまで(その十六)
云うまでもないことだが――。
この俺、アルト・クレーンプットの『中身』は、日本人である。
価値観、ものの考え方、常識に至るまで、まるまる前世を引きずっている。
これはある意味当然のことで、そしてこの先も付いて回ることでもあろう。
『三つ子の魂百まで』ということわざを引用するまでもなく、幼い頃の習性や性質と云ったものは、長じても残っていくものだ。
それが良い方に転がるか悪い方に出るかは、人によるのだろうが。
さて、それは我らがヴィリーくんにも当てはまる。
彼は実兄が亡くなって歪む前までは、真っ直ぐな子どもであったと云う。
尤もこれは、二級試験の時に居た彼の弟――確かヴォプだったか――と同じで、ナチュラルに他人を見下すところはあったようだが。
そんなヴィリーくんの中核をなしているのは、『人に誇れる立派な人物になれ』という、亡き兄の言葉だ。
イケメンちゃんに対して激昂した原因でもある。
つまり幼い日のヴィリーくんの目標は、兄のような、そして兄の語ったような人物になることだったのだ。
けれどもそんな想いは、歪んでしまう。
云うまでもなく、兄が亡くなったからだ。
彼は『立派に生きる』という『理想』に浸ることは出来ず、多額の負債を背負ったという『現実』の中に生きねばならなかった。
――何をするにも、まずは金。
金を得られなければ、生きてはいけない。
そして、手酷くだまされた兄の姿を反面教師とした結果、今のヴィリーくん――コスいことをやって他者から金を巻き上げる人物像が完成したのだという。
それは迷惑をかけられる側からすればたまったものではないだろうが、ものの数年で借金を返済し、更には蓄えを作った彼の存在は、実家のヘイフテ家からすれば、とても頼もしく見えたことだったろう。
一応、どん底であったヘイフテ家を支えたのは、彼だけではなかったらしい。
間接的に保護をして立ち行くようにしてくれたのは、あのヴェンテルスホーヴェン侯爵家であったという。
云わずとしれた、クララちゃんの母方の祖父の大貴族だね。
もちろん、それは純粋な善意だけではなかっただろう。
古参の名族でありヴェンテルスホーヴェン侯爵家傘下であるヘイフテ家が没落することは、侯爵家にとっても痛手となるであろうから、力を貸せるなら貸すのは、ある意味当然ではあったのだが。
だが、それでもそれは、ほぼ孤立状態であったヴィリーくんには、大きく心に響くものであったらしい。
前述の如くヘイフテ家は元々ヴェンテルスホーヴェン侯爵家傘下だが、これ以降彼はよりいっそう、件の侯爵家に恩義を感じるようになった。
初めてヴィリーくんが登場したとき、彼の手下が第三王女を罵ったときに窘めたのも、こういう事情があったからなんだそうだ。
だからだろう。
ヴィリーくんの『シノギ』は、クララちゃんの家の庇護下には、絶対に迷惑をかけないようにしてきたようだ。
この辺の妙な律儀さは、『幼少期は正義を信じる真っ直ぐな子どもだった』からなのだろう。
俺がイェットさんに調べてもらった範囲で、あるひとつの重要なデータが浮かび上がっている。
それは彼が阿漕な手段で手に入れた『財産』たちについて、だ。
今回の薬草畑のように、ヘイフテ家が(あの手この手で因縁をつけて)得た土地や権利はたくさんあるが、その全てが、その後は好待遇・好条件で運用されているという事実だ。
あの薬草畑のご婦人の娘さん――フィーの友達になってくれた幼女ちゃんが安心していた理由も、そこにある。
彼女は云ったのだ。
「あのお兄ちゃん、お母さんが畑を守っていきたいって云ったら、こう云ってくれたの!」
曰く、ならば今後は管理人として働けば良い。
思い返してみれば、彼は確かにそう提案していた。
メルローズのように、ただ買い取って終わりと云うのではなく、見方を変えれば、『その土地に残ること』を認めていたとも云える。
いずれにせよヴィリーくんは、手に入れた土地に対して徹底的に絞り上げるのではなく、きちんと活かして使うタイプの経営者であったようだ。
(まあそれでも、大切な土地を手放す手放さないってのは重要なことなんだろうけどね……)
このちぐはぐさ、到底善人ではないのにそれだけではないという姿は、そのまま彼の歪な心象が形になったものなのだろう。
以上の理由で、俺は今現在、ヴィリーくんを脱落させることに反対なのだ。
ヘイフテ家に買い取られた方が良いとまでは云うつもりもないが、メルローズに売るよりはマシな結果になることが分かっているのだから、選択肢のひとつとして残しておかない手はないと思うのだ。
(と、云うのを、ノエルにどう説明したものか)
だがその前に、ひとつ確かめておかなければならないことがある。
俺はヴィリーくんの『謎根性』に瞠目しており、今回も買い取るまで諦めないんだろうと思っていた。
しかし彼は先程、『立ち去らないとも云ってない』と云った。
つまり、帰る可能性があることを示唆した訳だ。
その理由が気になる。
ヴィリーくんは今も、薬草畑を買うつもりはあるのだろうか。
振り返って見るお貴族様の顔は、真っ青になっていた。
片膝を付いているのは、それだけフィーの魂命術の影響力が強かったことを物語っているのだろう。
「…………くっ」
彼は屈辱に表情を歪めながら立ち上がる。
そりゃ何も知らなければ、『五歳女児のメンチに屈した男』となるわけで、プライドが高ければ高いほど、精神的ダメージは大きいはずだ。
流石にこの状況で、「ねぇ今どんな気持ち? どんな気持ち?」と煽れる程、俺も非情ではない。
一方ノエルは、油断なく剣に手を掛けたままとなっている。
静かにヴィリーくんを見つめ、仮に攻撃が来たとしても、即応出来る体勢を整えている。
この辺は、流石『熟練者』と云ったところか。
「…………」
お貴族様は相変わらずこちらを睨み付けてはいるが、どうやら攻撃の意志が霧散したようである。というより、フィーに散らされたと云うべきか。
彼は忌々しそうに口を開いた。
「下賎な平民どもといると、つくづく気分が悪くなるわ! 今日だけは見逃してやるが、次に会えば、容赦はせぬぞ!」
と云って、身を翻している。
矢張りこのまま、立ち去ってしまうらしい。
俺は彼の背中に声を掛けた。
「あの~……。薬草畑の交渉はしないんですか?」
「フン、あのような土地、最早狙う価値もない……っ!」
それは明確な『脱落』の宣言。
ここまでハッキリと離脱を明言されると、矢張り何かあったのだという確信を抱かざるを得ない。
「貴族様」
「何だ、もう話しかけるな!」
「貴方は先程、宿屋入り口の傍にいましたよね? そこで何かを知ったんですね?」
「…………」
俺の言葉に、ヴィリーくんは肩越しに振り向き、睨み付けてきた。
ちいさな声で、忌々しいガキめが、と呟いたのが聞こえた。
「……バンクスだ」
「はい?」
バンクス? 何だそれ。
人名なのか地名なのか、はたまたアイテム名などの、別の意味があるのか。
俺にはそれだけでは、理解が出来なかった。
けれども聡明な友人は、それだけですぐに顔をあげた。
「バンクス! それは、元・帝国騎士の……っ!?」
うん? 帝国?
それって、ムーンレインよりも北の方にある、あのお騒がせ国家のことか?
そこの元騎士がどうかしたのだろうか。
ノエルが俺の肩をつついた。
どうやら、説明をしてくれるらしい。
フィーも真似して、俺をつついた。
こちらは、くすぐったい。
「アル。キミも当代皇帝が引き起こした『血の粛正事件』で、帝国から多数の人材が流出したのは、知っているだろう?」
知っているだろう? とか云われても、こちとら世情に疎いのでね。知りませんとしか。
素直にそう伝えると、イケメンちゃんはかいつまんでその辺を教えてくれた。
俺やイケメンちゃんが生まれるちょっと前に、帝国で大規模な粛正事件があって、多くの人が死んだり逃げ出したりという事件があったんだとか。
何せ第一皇子や第二皇子まで出奔するような、大きな騒動だったらしい。
バンクスという男はその事件以前に帝国に仕えていた人で、この時に祖国を去ってからは、傭兵として各地を渡り歩き、武名を轟かせた人なんだそうだ。
ノエルは、ヴィリーくんの背中に云う。
「つまりバンクスが、今はメルローズに雇われているということなのかな?」
性別不詳の友人の言葉に、彼は直截には答えず、そのままの姿勢で空を見上げながら、独り言のように呟いた。
「昨日、メルローズの雇ったチンピラどもが、何者かに蹴散らされてな」
何者かにって……。
あいつらを叩き伏せたのは、ノエルとヴィリーくんじゃんか。
「あの小男は、どうしても薬草畑がほしいようだ。武力戦に備えて、バンクスを投入すると云っていた」
あれで虎の尾を踏んだと。
もともとヴィリーくんはメルローズが『背後』の権勢をチラつかせた時点で及び腰だったし、そこに強い人――わざわざこんな反応をするんだから、彼よりも上手の使い手なんだろう――が参戦してくると聞いて、完全に手を退く気に傾いた、ということなのかな?
さて。
俺はヴィリーくんを、引き留めることが出来るのだろうか。




