第五百七十一話 深緑に、命尽きるまで(その十五)
ヴィリーくんには、ひとりの兄がいた。
ヘイフテ家の長兄。
そして、嫡男だった人物だ。
彼は常に誠実であろうとしたし、まわりにもそれを求めた。その性質は穏やかで、良い意味で『貴族的』な存在であったようだ。
能力的にも文を好み、武を練り、更には魔術をも使いこなし、万能な人であったとも。
そんな兄を、ヴィリーくんは心から尊敬していたようだ。
だから勢い、彼の『目標』は、その『兄』となる。
兄のような立派な人物になるのだと、幼い日のヴィリーくんは周囲に語っていたようだ。
状況が変わったのは、その歳の離れた兄が自殺をしたことによる。
理由は、古参の名族である『自分の家』を傾かせたから。
『善』であり『誠実』であろうとしたヘイフテ家の嫡男は、その性質を利用されるという結果で報われた。
ある人物を信じ、だまされ、家の名誉の喪失と多額の借金を抱える有様となったのだった。
残されたヴィリーくんには、尊敬した兄の残した『結果』――負の遺産だけがのしかかった。
彼が現在、尊敬していた兄をどう思っているのかはわからない。
けれどもヴィリーくんの『歪み』は、その頃から始まったのは確実であるらしい。
何せその事件は、彼がまだ多感な少年であった頃に起きたのだから。
――と、いうのが、俺がイェットさんに調べてもらったことだ。
どうも彼のちぐはぐさが気になっていたので、わざわざ調査を依頼したわけである。
肩を怒らせて前を行くお貴族様の後ろ姿を、ジッと眺めた。
※※※
俺たちはやがて、寂れた広場にたどり着いた。
建物の陰なので通行人もおらず、声を上げても殆ど届かないような場所だ。
天下のお貴族様が『こういう所』を知っているというだけでも、ヴィリーくんが色々とスレスレなのがわかる。
彼は広場の中央に立つと、無言で剣を抜く。
「コーレインの子よ。先ほども云ったように、貴様の覚悟を見てやろう……」
ヴィリーくんの目は、冷たく据わっている。
警戒の必要があると判断したのか、ノエルも剣を抜き放ちながら答える。
「意味がわからないな。ボクが貴方とここで斬り合う意味はないはずだ」
「ある。……私は先ほどまで、入り口の傍にいたのだぞ?」
さて、それはどういう意味だろうか。
俺たちが出て行く前に入り口にいたのは、メルローズ商会の小男、オットーであるはずだ。
あの場に潜んでいたヴィリーくんは、そこで何かを聞いた――或いは、見たということなのだろうか。
貴族家のドラ息子は、次いで俺を見る。
「平民の小僧、私はこれから、コーレインの子の『覚悟』を問う。今度は邪魔立てするなよ?」
「いえ、しますけど」
「何っ!?」
するに決まってんじゃん。
ノエルは俺の友人で。
だからそこに危害が加わるなら、当然そんなことは阻止するよ。
ヴィリーくんの心中がどうであれ、それは俺には関係のない話なのだから。
苦虫をかみつぶしたかのような顔で睨んでくるヴィリーくんに対して、ノエルはこちらを見て目を細めた。
なんだか、とても嬉しそうな笑みだった。
それから彼女(彼?)は、目の前の貴族に云う。
「知っているとは思うけど、段位魔術師は強いよ? 特に、ボクの大切な友人はね」
状況次第では、ふたり掛かりも辞さないという宣言。
流石のヴィリーくんも、これには鼻白んだようだ。
だが、そこはプライドが高く負けず嫌いの彼である。
ノエルに向けていた剣を、こちらに移動させた。
「……二級試験のときは手加減をしてやった。しかし邪魔するつもりなら、今度こそ容赦はせんぞ?」
試験のとき、手加減されていたかなァ……?
ともあれ、ヴィリーくんが俺に明確な『意志』を向けたせいで、腕の中の妹様が反応された。
「んゅ……? にーた、この人、何か怒ってる……?」
周囲の状況などお構いなしに、もちもちほっぺを擦り付けていたマイエンジェルは、大きなおめめをお貴族様に向ける。
ヴィリーくんはフィーを一瞥し、俺に云う。
「貴様にも、こうして家族がいるのだろう? 別れを告げるのは、早いと思うがな?」
子ども相手に、その発想が出るのがスゲーよ……。
つーか、目がマジっぽいし。
ヴィリーズヴォイスに俺はドン引きしただけだったが、強く反応した子がひとり……。
「――にーたのこと、いじめる……?」
「…………っ!?」
ヴィリーくんとイケメンちゃんが、同時にたじろいだ。
それは、静かな圧力。
或いは、滲み出る気配。
ノエルは戦慄しながら、フィーを見た。
「まさかこれは、殺気……!? こ、こんな強烈な……! とても、幼い子どもの出すものじゃ……!」
「にーたいじめるなら、ふぃー、許さない……っ」
この子は、北の果てでのオオウミガラスたちとの一件以来、『命』に対して敏感になっているから、こうした目に見えるような敵意を向けられると、過敏に反応してしまうのだろう。
「ぬ、ぅぅぅ……っ」
負けず嫌いから来る『根性持ち』のヴィリーくんですら、冷や汗をかいている。
しかし、これは無理からぬことであろう。
フィーをだっこしているから、俺にはわかる。
これは――無意識の魂命術だ。
『魂の魔術』に適正を持つこの少女は、『威嚇』をヴィリーくんのそれに向けて発していることになる。
俺もフィーにせがまれて自分の魂魄をさわらせることがあるが、完全完璧な『好意』からくる接触であっても、魂に触れられるのは、恐怖を伴う。
それは魂が、命の大もとだからなのであろう。
明確な威圧を受けているヴィリーくんは、だから逆に凄いと思う。
この状況下で、冷や汗だけで済んでいるのだから。
(とはいえ、そろそろ止めないとね)
この場で最年少である妹様は、この中で間違いなく最強の存在。
圧倒的な上位者である。
誇張表現を抜きに、他者の生死を一方的に左右できる立場だ。
そして俺が嗾ければ、フィーは本当に攻撃をしてしまうことだろう。
それはダメだ。
それはさせられない。
この子はそういう殺伐とした世界には関わらないでいてほしい。
ごく平凡な幸せの中で、笑っていてほしいと思うのだ。
「フィー」
「んゅ……? なぁに、にーた? ふぃー、今すぐこの人、やっつけたほうが良い?」
やっつけちゃいけません。
「俺は大丈夫だから、今はだっこに集中しような?」
「――っ! だっこに集中……っ! にーた、いいこと云った! ふぃー、だっこに集中するっ!」
たちどころに笑顔になって、俺に抱きつきなおす妹様よ。
フィーがあっさり引いたのは、ヴィリーくんから敵意が消えたからだろう。
うちの子に気圧されて、それどころではなかったのだろうけれども。
イケメンちゃんがこちらに寄ってきて、ちいさく語りかけてきた。
「……フィーちゃん、凄いね? もしかして、この子もアルのように天才だったりするの?」
天才じゃないのは、俺なんだけどね。
尤も、秘すべきなのは、妹様の才能のほうなんだが。
だから俺は、苦笑いして誤魔化した。
ノエルは続ける。
「それにしても、キミたちクレーンプット兄妹が間に入ってくれなかったら、彼と斬り合いになっていたかもしれない。そうなった場合、今のボクの身体能力では、手加減の類は一切出来なかっただろう。だから形はどうあれ、ヴィリーの気をそいでくれて助かったよ。――ありがとう、アル」
フィーが怒ったのは、ノエルの為ではなかったろうから、頭を下げられるのは複雑な気分だ。
まあ、戦闘にならなかったのは、素直に良いことなんだろうけれども。
「……しかしあの男は、何であんなに怒ったのだろうね? ボクには、それが不思議だ」
それはねぇ、キミの語った、『決意』に原因があるんだよ。
そう説明をする前に、イケメンちゃんは続けて云った。
「何にせよ、これで彼が退いてくれれば、問題はメルローズだけに絞れるんだけどね」
うん。
物事が複雑なときは、単純化して行くほうがわかりやすくなる。
それは理解できるんだ。
でもね。
「俺は――ヴィリーくんを脱落させない方が、良いと思うんだけど」
「えぇ……っ!? アル、正気かい……!?」
こちらの言葉に美形の友人は、目を白黒させて絶句していた。
間が開いてしまい、申し訳ありません。




