第五百六十九話 深緑に、命尽きるまで(その十三)
薬草畑うんぬんのことは置いておいて――。
俺にもひとつの、心残りがある。
それは昨日のこと。
性別不詳の我が友人、イケメンちゃんことノエル・コーレインをもてなすことが出来なかったことである。
俺の雑な見立てでは、あの子は自分から苦労を背負い込むタイプだ。
労苦の類なんぞ、大人になればイヤでも背負うことになるのだから、子どものうちは、もっと伸び伸びとしていて欲しいんだけどね。
たとえば、うちの子のように。
待ち合わせまでの道すがら、抱きかかえている妹様を見る。
「――っ! にーた、ふぃーにごよう!?」
目が合うだけで、もの凄く嬉しそうだ。
「いや、何ね……。フィーはそのまま、いつも笑っていておくれよ?」
「ふぃー、にーたと一緒なら、いつでも嬉しい! だからずっと笑っていられる! それ、このさきもずっと!」
「ははは……。そうか。フィーが幸せなら、俺も嬉しい」
「ふぃーも! ふぃーもにーたと一緒っ! にーたが幸せだと、ふぃーも嬉しいっ! ふぃー、にーたと同じ! とっても嬉しいっ!」
押しつけられるもちもちほっぺの圧力から、その言葉が心からのものなのだと分かった。
「やあ、アル。それに、フィーちゃんも」
「おはよう、ノエル」
「おはよーございます! ふぃーはきょーも元気です!」
彼(彼女?)は、商会の裏口で待っていた。
イェットさんが大忙しといっていた通り、商会スタッフたちも慌ただしい。
こんな中で応接室に入るのは、流石に迷惑だろうということで、ここでの待ち合わせとなったのだ。
(イケメンちゃんのことも、楽しませてあげたいんだけどねぇ……)
今日も薬草畑の持ち主の所へいくのだが、まだ少し時間がある。
「ノエル、出発前に、少し露店でもひやかすかい?」
「――いや。昨日あんなことがあったんだ。薬草畑の親子が心配だよ。まずは、そちらを見に行こう」
性格の差だねぇ。『自分』は後回しか。
この子には、『過労死の後輩』にはなって欲しくないぞ?
とはいえ、あの母娘の安否が気になるのも事実。
まさかそれらを放置して、これ以上遊びに行こうと誘える訳もない。
俺たちは、昨日の宿屋に向かうことにした。
※※※
「ぬ……!?」
「う……っ」
道中の角で、ヴィリーくんとバッタリ。
状況から察するに、彼もご婦人の所へ向かうつもりなのかな?
「ふん。コーレインの子に、平民の兄妹か。息災だったようだな?」
そういやヴィリーくん、昨日は暴漢に襲われる子ども三人を放置して、先に立ち去ったんだもんな。
ノエルが強いしイェットさんが控えていたしであまり緊迫感は無かったが、彼にその辺、忸怩たるものがあったりは――。
(しないよなァ……)
別に友だちや仲間じゃないからね。
おまけにこのヘイフテ家の息子さん、独特の価値観で俺たちを『一人前』と判定しているからな……。
あー、あー、イケメンちゃんなんか、ムッとしたような目でドラ息子様を見つめているよ。
彼女(彼?)にとっては、『善性』からは程遠いヴィリーくんとは、相容れないんだろうねぇ。
だが、ノエルは形の良い口をへの字にしただけで、何も云わなかった。
云っても無駄だと思っているのか、或いは逆に乗じられると警戒しているのか。
何にせよ、『今回の件の落としどころ』が定まらない限り、余計なことはしないほうが良いとは、俺も思うが。
皆が無言のまま、例の宿屋へと到着した。
「あらあら、皆様、ようこそおいで下さいました」
ご婦人は、表面上は来訪を歓迎している態である。
そりゃ、進んで悪印象を持たれる必要は無いだろうからね。
「あー! フィーちゃん、今日も遊びに来てくれたのー!?」
「ふへへ……っ! ふぃー、今日も来たの! にーたに、連れてきて貰った!」
幼女ちゃんは、笑顔で妹様を出迎えている。
なんだかんだで、どっちの子も物怖じしない性格っぽいからな。
お友だちが増えてくれるのは結構なことだ。
(うん。この様子だと、危難は無かったみたいだな……)
俺たちにタゲが逸れてくれたおかげで、こちらのご家族は無事だったようだ。
そういう意味では、襲われた甲斐があったとは云える。
一方我らがヴィリーくんは、ズカズカとご婦人の前に出て、傲岸不遜な態度でこう云った。
「――平民。畑を売る気にはなったであろうな?」
「…………っ」
ストレートな物云いだった。
彼って結構口が回るイメージがあるが、そういう技術やら駆け引きやらは不要と考えているのだろうか。
そう思った矢先、ヴィリーくんはニヤリと笑うと、うちの妹様を、顎をしゃくって指し示した。
「そこな子どもは昨日ここを出て、すぐに襲われたぞ? ――理由は分かるな?」
「そんな……っ!?」
普通に利用する気満々だった。
だから道ばたで一緒になっても、「失せよ」とか「帰れ」とか云わなかったのね。
ヴィリーくんは続ける。
「メルローズとは、そういう連中だ。金銭も提示されたのであろうが、それもちゃんと支払われるかどうか……。――そこへいくと、当家は違う。何せ古参の名族であるからな。約束事を破るような卑劣なマネは、決してしない」
どの口がそんなことを、と、イケメンちゃんが呟いている。
ご婦人は泣きそうな顔で俺を見つめた。
「私が貴方たちを巻き込んでしまったのですね……」
怪我はないか、大丈夫なのかと、夫人は訊いてくる。
その様子は、こちらが気の毒に思える程だ。
イケメンちゃんが間に入って、女性に笑いかけていた。
「大丈夫です。彼のことはボクが守りますし、彼もしっかりしていますから! だから、貴方が気に病む必要は無いんです」
そう云いながらも、ノエルは夫人が項垂れた瞬間に、俺に対して頭を下げた。
この子はこの子で、俺を巻き込んだことに負い目を感じているのだろう。
だから、俺は云う。
「うん。全然大丈夫だよ」
ノエルを見ながら、云うのだ。
気にする必要なんてないのだと、この友人に対して。
俺の言葉と視線は、たぶん聡明な知己に伝わったことだろう。
イケメンちゃんは、どこか安堵したように笑った。
ヴィリーくんはそんな俺たちの様子を冷ややかに見つめていたが、すぐに女性に向き直った。
「かの財団が乗り出してきた以上、個人の感傷で『売りたくない』は通らないと心得よ。一日遅れるごとに被害は増え、そして深刻に広がっていくことであろうよ。そうなれば、いずれは家族すらも失うことになるのだぞ? それで良いのか?」
「…………ぅ」
女性は悲しそうに顔を伏せている。
ヴィリーくん、人を追い込むのが上手いね。
悪さをしたのはメルローズ商会だけれども、それを十分に利用しているのは、彼のほうだ。
ノエルもそれに気付いているのだろう。
彼(彼女?)は明らかに怒っている。
でも不思議だ。
俺には何故かこのお貴族様が、どこか急いでいるように見えた。
――そしてそこに、ノックが響く。
夫人は身を竦ませた。
それは、来訪者の声を聞いたからだろう。
「失礼しますよ」と云って入って来たのは、昨日会った小男、オットーであった。
ヴィリーくんが、ちいさく舌打ちをした。
「おや……。昨日も見た人たちと――昨日は見かけなかった御仁がおりますねぇ……」
オットーは、ヴィリーくんを見て笑う。
次に、俺を見つめた。
「坊やは、怖い目には遭わなかったかな?」
世間話でもするかのように、そんなことを云った。
『標的』がピンピンしているから、不思議に思ったのだろうか。
それとも、わざと関与を臭わせるようなことを云ったのだろうか。
オットーはすぐに、ヴィリーくんに丁寧な挨拶と自己紹介をした。
ヘイフテ家のドラ息子は、小男に云う。
「貴様が何者であっても関係ない。今は私の商談中だ。この女に用があるなら、後にせよ」
「はて……? 商談とは、彼女の持つ、薬草畑のことですかな……?」
「だとしたら、何だ」
「これは困りますねぇ……」
オットーは、ニヤニヤと笑う。
「彼女の土地は、我がメルローズ商会が購入を持ちかけているのです。こちら抜きで商談を進められるのは、認められませんねぇ……」
「認められない、だと――?」
ヴィリーくんの瞳が、スッと細まった。
「貴様、誰に対してそのような上からの口の利き方をする? 我がヘイフテ家が名門であると知らぬのか?」
「無論、存じておりますよ? しかしですねぇ――」
くつくつと、オットーは笑う。
「生まれを大切にされるのであれば、それは当然、他家の権勢も尊重して頂かねば困ります」
「ほぉう……? では、貴様の家名を告げるが良い。そこまで云うのだ。さぞや名門の出なのであろうなぁ……?」
「いえいえ。私は、しがない平民でございますとも。しかし、ええ、しかし。貴方様も王国貴族であるのならば、ケーレマンス伯爵家の名は、当然ご存じでありましょう? 我が商会――そして我らが財団が、どこから出て来たものなのか、聡明な貴方様ならば、知っておりましょう? ――その上で問いますよ? 御貴殿のヘイフテ家は、ケーレマンス伯爵家と事を構える気概をお持ちであると、そう『上』に報告をして良いのでしょうなぁ?」
「…………っ」
ヴィリーくんは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
家柄を誇る以上、『格上』の話が出てくると、色々難しくなるのだろう。
貴族の青年は、表情を取り繕って云った。
「ふん。興が冷めたわ。こうも平民ばかりが集まると、空気が悪くなる。失礼させて貰う」
「お兄ちゃん、もう帰っちゃうの?」
去ろうとしたヴィリーくんに声をかけたのは、うちの子と遊んでいた幼女ちゃんだった。
「…………」
ヘイフテ家のドラ息子は、一瞬だけ彼女を見て、それから何も云わずに立ち去った。
オットーはその様子を、薄笑いを浮かべて見送っている。
まるで、格付けが済んだとでも云いたげに。
そして、ご婦人に振り返る。
「さて、今日は昨日の返事を受け取りに参りました。貴方の所持する薬草畑――当然、我らメルローズ商会に売って頂けるのですよねぇ……?」
「……そ、それ、は……」
彼女は俯き、それから一瞬、我が子や俺たちを見た。
弱気になっている上に『実害』が思い浮かび、心細くなっているのだろう。
このままだと、この場で押し切られてしまいそうだが……。
(急場しのぎでも、何とかこの男を追い払わないと……)
しかし、どうやって?
逡巡していると、聞いたことのない女性の声が響いた。
「わぁ、桶を投げたら危ないわよー?」
微妙に棒読みな感じの声。
同時にヴィリーくんが開けっぱなしにしていた入り口から、掃除に使うような汚水の入ったバケツが飛んできて、オットーの頭に命中した。
いきなりのことで、商会の小男は反応が出来なかったようだ。
高そうな服は薄汚れ、頭には逆さになったバケツが被さっている。
「ふぉぉぉぉおおぉぉぉ~~~~っ! にーた、この人、格好良い! 頭からバケツ被る、それ、ふぃーがおかーさんに、めってされて、出来ないこと!」
うちの妹様が『バケツ人間』になったオットーに、激しく反応された。
そして廊下のほうでは、先程の声がする。
「こんなイタズラをしたのは、貴方ね!? 待ちなさ~い!」
やっぱり棒読みな声で、走り去っていく足音が響いた。
うん。
『貴方ね』とか云っているのに、響いた足音は、ひとつだけだったが。
「…………」
オットーは、ゆっくりとバケツをどかした。
急なアクシデントなのに取り乱していないのは、流石と云えよう。
「これだから、安宿はイヤなんだ……っ。有り得ないようなトラブルに巻き込まれる……!」
と思ったら、取り繕ったような顔のままで、血管がピクピクしていた。
「……今日の所は、一旦出直します。ですが、明日にはしっかりと返事を頂きますよ……!」
肩を怒らせて、小男は去って行く。
ご婦人はポカンとして、そしてフィーは残念そうに、その後ろ姿を見送っている。
ノエルが小走りに俺の所に走ってきて、声をかけた。
「今のは、何? 本当に、イタズラかアクシデントだったの……?」
そりゃ、あまりにも有り得ないことだったんだから、戸惑うよねとしか。
(立派に護衛してくれているんですね、イェットさん)
心の中で救いの主に、そっと手を合わせる俺だった。




