第五百六十八話 深緑に、命尽きるまで(その十二)
「ヴィリー、人に誇れる、本物の貴族になりなさい」
懐かしい、声を聞いた。
それはもう、二度と聞く事の出来ぬ声。
敬愛する、兄の声。
「――夢、か……」
とある貴族の青年は、朝の光の中で目をさました。
ヘイフテ家の次男であり、次期当主となるはずの人物、ヴィリーである。
「…………」
兄の夢を見たからか。
彼は、壁に掛かっている兄の剣をジッと見つめた。
『お前なら、きっとなれる。誰もが羨む、その生き様を誇れる男に』
それは嘗て聞いた、兄の『期待』。
頬に熱を持って喜んだ、長兄からの励まし。
「……兄上、私は――」
呟いた彼の声は、庭からのかけ声にかき消された。
ヴィリーは起き上がり、外を見る。
「ヴォプ……」
そこには、早朝から剣を振るう弟の姿があった。
あらゆる面が、まだまだ未熟。
けれども、真剣さと頑張りだけは、明確に伝わってくる練習風景。
「…………」
ヴィリーはすぐに使用人を呼ぶと着替えを手伝わせ、外に出た。
そして、弟に声をかける。
「ヴォプ、励んでいるようだな」
「兄上っ!」
ヴィリーの声が聞こえると、貴族の少年は木剣を投げ捨てて、彼に駆け寄った。
その様子は、犬が飼い主に懐くのにも似て。
ヘイフテ家の次期当主は、思わず苦笑した。
「武具を粗末に扱うな。その行いは、必ず己に帰ってくるぞ? 悪しき因果には、必ず報いがあるものだ」
「あ、も、申し訳ありませんでした……! ですが、兄上がいらっしゃったので、嬉しくてつい……!」
真っ直ぐに向けられる、熱い瞳。
弟は本当に、この兄を慕っているのだ。
「私などに会えて、嬉しいか」
「はい、もちろんです! 兄上は、私の理想ですから!」
強く、聡明で、魔術も使え、金も稼げ、一時は没落しかけたヘイフテ家を立て直した政治的手腕もあり、家族にも優しい。
ヴォプにとってヴィリーは、まさに『完璧な男』なのであった。
実際普通の貴族は、どれかが欠けている。
仲の悪い兄弟も多い。
それこそ、命を狙い合うような。
けれどもヘイフテ家の兄と弟は、上は下を慈しみ、下は上を慕うという良好な関係であった。
ヴォプ自身、そのことを他家の者に羨まれたこともある。
(『兄上は、私の理想』か)
それは以前、ヴィリー自身が口にした言葉。
長兄に向けた視線。
だからか。
「ヴォプ」
「は、はい……っ!」
「人に誇れる、本物の貴族になりなさい。お前なら、きっとなれる。誰もが羨む、その生き様を誇れる男に」
「――っ! は、はい……っ! はい、兄上……っ!」
ヴォプは感激に打ち震えていた。
自分もそうだったと、ヴィリーは思い出す。
あの時は純粋に、『兄』の向けてくれる期待が嬉しかったのだ。
(兄上……。私は、貴方の思ってくれた男になれましたか……?)
ちいさく自問する。
(ヴォプ……。私は、お前に胸を張れる兄であるのか……?)
胸中の呟きに答える者は、どこにもいない。
※※※
「に、い、たぁあぁぁぁあああああああああああああああああああ!」
朝。
快眠を終えられた妹様が、元気いっぱいに突撃してきた。
俺は、大ジャンプから大の字で飛び付いてくるマイエンジェルを抱きしめて、おはようの挨拶をする。
「フィー。おはよう」
「ふへへ……! にぃさま、おはよーございます! ちゅっ!」
うーん、キスされてしまったぞ。
今日のマイシスターは、いつにも増して上機嫌だ。
「フィー、朝からご機嫌だな?」
「ふへ~……! んっとね~……。それはねー……。ふへへ、ふぃー、今日は、またにーたとお出かけできる! それが嬉しいの! お外楽しい! ふぃー、色々見て回るの好きっ!」
本日もノエルに付き合って、例の『薬草農家』の買収騒動があるからな。
あまり明るい話題ではないはずだが、この娘には関係がないようだ。
(外出も大好きな子だから、本当はもっと、気楽にお散歩をさせて上げたいんだけどな……)
その辺、中々難しいからねぇ……。
難しいと云えば、イケメンちゃんのほうの件も難しい。
あれ、もともとはヴィリーくんとこの買収をなんとかしてくれって話だったけど、メルローズが出て来てしまったからな。
仮にチンピラ貴族のほうを諦めさせたとしても、チンピラ商会のほうが野放しになる。
それで『依頼達成』となるだろうか?
ならないよねぇ、常識的に考えて。
(その辺、ノエルはどう考えているんだろうね……?)
平民会自体はヘイフテ家との軋轢を避けようとしていたみたいだし、となると当然、今をときめくメルローズ財団を敵に回すのだって躊躇うはずだ。
(ぶっちゃけ、俺が何とかするには手に余る話だよなァ……)
武力や魔力でカタを付けるっていうジャンルじゃないからねぇ。
上機嫌でもちもちほっぺを擦り付けている妹様とは対照的に、うんうん唸っている俺なのでありました。
「にーた」
「うん?」
「ふほーしんにゅうしゃって、ふぃーがやっつけて良い? ふぃー、えいやーってするの!」
「は? 不法侵入者?」
うちの天使様は、いきなり何を云い出すんだ?
とは云え、俺を見つめるクリクリとした青い瞳に、ウソの気配は見られない。
するとまさか、本当に侵入者が?
(誰だ? トゲっちあたりの差し金か? それとも昨日の今日だから、メルローズに後を付けられたか? いや、それは無い。仮に追跡者がいたとして、隠密の本職のイェットさんが気付かない訳がないし、そもそもフィーの魂命術と魔力感知のコンボをどうにか出来る訳がない)
俺が眼をパチクリさせていると、『侵入者』のほうから、声をかけてきたのである。
「こ、攻撃は、や、やめ、て下さい……」
「イェットさん!?」
音もなく現れたのは、諜報部所属のハイエルフであった。
そうか。
彼女が来るという選択肢があったか。
そもそも不法侵入者が害意ある怪しい人物であった場合、フィーが気付く前に、うちの屋根裏部屋にいる可愛い先生がカタを付けているはずだろうからな。
「うぅ……? な、何故バレたのでしょう……?」
「んゅ……? 丸出しなのに、何云ってる……?」
姿を隠すとか、気配を消すとか、そういう次元の話じゃないからなァ……。
文字通り、うちの妹様は存在するステージが違うので、困惑するのも仕方がないと思うぞ。
「イェットさん、こんな朝早くから、どうしたんですか?」
というか、何でコッソリやって来た?
「うぅ、そ、それ、は……」
彼女は云い澱みながら答えてくれた。
まず、朝早くやってきたわけだが、その理由はふたつあって、ひとつめは早朝から貴族の屋敷を訪ねるのは無礼――というか、彼女を呼んだ我が家が、あちらさんに『非常識』と取られるのを避ける為であったのだとか。
まあ彼女は、もとよりベイレフェルト侯爵家に挨拶をするつもりなんぞ無いのだから、コッソリやって来るのは、ある意味では正しい選択なのだろう。
で、もうひとつだが、これは――。
「商会が忙しい、ですか」
「で、です……」
彼女は今回の俺たちの護衛役だが、商会が超忙しいので、俺たちが出かけるまでの間は、向こうで色々と手伝ってくるのだとか。
無論、護衛が終わった後も。
「ご、ごえ、護衛中は、は、話しかけることが、ほ、ほとん、殆ど、できま、せんから……」
という理由で、昨日俺が依頼した『ある調査』の結果を伝えに来てくれたのだという。
再度云うが、その後の彼女は商会へトンボ帰りするみたいだ。
過労死してこの世界に来た人間としては、何とも身につまされる話だ。
「お祭りの準備って、そんなに忙しいんですか……?」
ちょっと心配になって訊いてみると、彼女はこう答えた。
事はそれだけではないのだと。
現在は神聖歴1207年の四月だが、先月――三月に例のオオウミガラス軍団のいるスパ……いや、レジャー施設というべきか、ともかく、アレがオープンし、凄まじい人気を誇っているのだとか。
俺の戯れ言は何の間違いか受けに受けて、『銭湯に複数の楽しみ方があったとは』と、盛り上がっているらしい。
そしてそれ以上に、オオウミガラス軍団が大勢のお客を魅了しているのだとか。
グッズの販売も好評だが、それ故に、それらの増産でも、てんてこまいなのだと。
まあ工場生産じゃなくて、手作業の世界だからね。そりゃ大変だろう。
「け、けい、警備部、も、オオウミガラスに手を出そう、と、し、している人の対応や、む、無理矢理に買い付けようとする、き、貴族の相手で、大忙しです……」
「あ~……」
そりゃ、欲しがる連中もいるだろうがね。
でも、あそこはドワーフたちが手を入れて環境を整え、超一級のテイマーであるフェネルさんがそれを監修し、氷雪の園の精霊たちが魔石をくれて成り立っている『疑似楽園』なので、他所じゃァあの子たちがちゃんと生きて行けるか、相当に怪しいからな。
それに何より、ショルシーナ商会傘下であるからこそ、フィーが気軽にバラモスたちに会いにいけるのだし、日々繰り返されるぽわ子ちゃんの『侵入』も黙認されているわけで。
「あ、後は、しゃ、写真館の、準備、も、忙しくて……」
つまり、なんだ。
商会の皆さんが忙しいのは、アルト・クレーンプットとかいうヤツのせいなのか。
過労死した人間が、他所様の過労の原因を作り出しているとか、笑い話にもなりゃしない。
ああぁ……、なんだか申し訳ありません。
「にーた! ふぃーも! ふぃーも、バラモスたちに、会いに行きたい!」
オオウミガラス軍団の話題が出たからか、妹様がそんなことを云いだした。
でも日中は一般開放中だろうから、会いに行くのは難しいだろうな。
夕方以降は家に帰らないといけないし、商会の人たちもクタクタだろうしね。
「そ、それ、で、アルト様に、た、頼まれていた、ちょ、調査結果なのですが……」
俺はフィーを撫でながら、イェットさんの話を聞いた。




