第五十七話 エイベルと工房へ
「……ん。正解」
勉強の時間。
今日も今日とて、エルフの少女に頭を撫でられる。
最近はエイベルとふれあう時間が増えた気がする。
他人に触られることの苦手な、このエルフ様は、俺にだけは触れてくれる。
親友である母さんは、エイベルに触ることの出来る数少ない存在。
一方で俺は、エイベルから触れてきてくれる希有な存在なんだとか。
「ほんっと~に、羨ましいわー……」
と、母さんが云う。
「ほんっと~に、羨ましいですー……」
と、アブナイメイドさんも云う。
「すぴすぴ……」
最愛の妹様は、幸せそうに睡眠中。
母上様が抱きかかえたまま、銀髪を撫でている。
羨ましい……。
「……座学はここまで」
魅惑の耳を持つ先生が、一旦の休憩を告げる。
普段ならここで、弾かれたようにマイシスターが飛び込んでくるのだが、前述の通り夢の世界の住人と化している。安眠を妨げるつもりはないので、フィー抜きの休憩時間になりそうだ。
「……アル」
珍しくエイベルの方から声を掛けられる。
普段は俺や母さんが話しかけることが殆どだから、貴重な光景だ。
「どうしたの、エイベル」
「……少し話がしたい。私に付き合って欲しい」
云い切ると同時に、エイベルは母さんを見る。
それだけで親友同士には充分な遣り取りであるらしい。
「私はここで、フィーちゃんを見ているわね?」
母さんは苦笑しながら呟いた。
(……今の視線は、『遠慮して欲しい』と云う意味だったのか。よくわかるな、母さん)
普段なら、
「あら、いいわね。私もご一緒するわ」
とでも云う所だ。マイマザーの性格だと苦笑いして遠慮するなど、あり得ないことだ。
この辺、矢張りふたりは親友なんだな。
「わ、私はアルトきゅんに同行してあげますよー」
お前は仕事しろ。
※※※
そうして、エイベルとふたりで外に出る。
庭師が世話しているだけあって、侯爵家の庭はちょっとしたものだ。
普段はフィーとの遊び場であり、魔術の修行場でもあるこの場所が、目的が違うと景色も変わって見える不思議。
エイベルはいつも通りの無表情で、俺には感情が読み取れない。
母さんならわかるんだろうか? ふたりの絆が羨ましい。
「で、エイベル、どこに行くの?」
「……工房」
「工房? この時間だと、ガドはいないよ?」
「……だから、選んだ。私とアルだけ。他には誰もいない」
内緒話ということなのだろうか?
多分、そうなのだろう。でなければ、母さんの同行を許すはずだ。
エイベルを伴って、冷たく、薄暗い工房にやって来る。前述の通り、ガドはいない。
エルフの先生はすぐに魔術で明かりを灯すと鍵を掛け、それから結界で出入り口を塞いだ。
「厳重だねぇ……」
「…………」
カーテンまで閉じたエイベルは、奥に仕舞ってあった『氷の魔剣』を手に取った。
失敗魔剣はガドが処分してくれることになっているが、まだ残っていたようだ。
「……ん」
エイベルが力を込めると、ちいさな手にある属性武器は水を得た魚のように、清澄な結晶を刀身に纏わせる。
綺麗だな、と思った。
エイベルの作り出す氷は、遠目から見ても質が良い。
ただ単に魔剣の力を解放しているのではなく、氷結系に適性があるのが分かる。
それに、魔力の質そのものが極めて良質なのだろう。
「……複雑な出来」
かすかに苦笑いするかのように、エイベルは呟いた。
この場合の『複雑』は難解だとか、ごちゃごちゃしていると云う意味ではなくて、剣としての評価の下し方についての『複雑』なのだろう。
ガドが評している通り、単体の刃物としての出来は最低だろう。けれど、魔芯はしっかりと通っている。最初は背骨のように一本の線で通していた魔力の通り道だが、今は大黒柱を残しつつも、毛細血管のように金属全体に枝分かれさせている。
始めに作った魔剣よりも、魔力の通りがずっと良くなったはずである。
「……鍛冶技術は兎も角、魔力の使い方は大したもの」
「先生が優秀だからね」
「……もう」
今度は明確に苦笑いした。可愛い微笑だった。
エイベルの表情変化は黄金よりも貴重なので、つい見入ってしまう。
こんな姿を見ることが出来るのは、弟子である俺だけの特権だろう。
「……アルは、『雪の魔剣』は作れる?」
「雪?」
唐突な言葉に、少し驚いた。
魔術には得手不得手があって、火は使えるが水は使えない、と云った現象が、ままある。
たとえばガドは、風の魔術は全く使えないそうだ。
で、ここからが複雑だが、『派生』と云うものがある。
水から氷を作り出す。
それが派生だ。
氷の魔術が使えるものは、水の魔術も使える。
けれど、水の魔術が使えるからと云って、氷の魔術を使えるとは限らない。
『派生魔術』が使えるかどうかにも、また適性があるわけだ。
俺やエイベルには氷の派生適性がある。
だが、雪は作ったことがなかった。
魔術を戦闘面や日常生活の利便性で考えた場合、使用されるのは水と氷であって、雪はどう使えば良いのか、わからない。正直な話、考えたこともなかった。
(人工スキー場でも作るなら、話は別だが)
この世界ってスキーはあるのかな?
いや、あるだろう。あるはずだ。
もともとスキーとは娯楽じゃなくて、移動手段として確立したものだったはずだから。
(あ、でも、スノボは売れるかな? いや、なら別に雪は無視してスケートボードとして売るのはアリか? キックスケーターとか作ってあげたら、フィーは喜んでくれるかしら? なら、その前にプロテクターを作らないと……。でも防具のある世界だから、そっちで代用するか。待て待て、保護なら魔術で何とか出来るかな? いや、それだと俺がいない時に気軽に使えないし……。でも、フィーが俺から離れて遊ぶとは思えない……)
余計なことをうんうんと考えていると、エイベルが俺の顔を覗き込んできた。
「……難しい?」
「あ、いや。作れると思うよ。ただ、メリットは何かなと思ってさ」
「……作れるの?」
「……多分」
「……!」
きゅっと手を握られてしまった。
子供の俺から見ても。ちいさな掌だと思う。
う~む……。
しかし、無表情なのにキラキラとした期待に満ちた目だ。
たとえるなら、遊園地に連れて行ってあげるぞ、と云われた子供のような。
愛しい愛しい妹様が俺によく向ける瞳でもある。
「んで、何で雪の魔剣の話になるの?」
「……アルに、これを見て欲しい」
エイベルが取り出したのは、ふたつの綺麗な小箱。
複雑な文様はただのデザインではなく、魔力を込めた術式なのだと分かった。
(凄いな、これ。誰が作ったのか知らないし、どういう効果があるのかは分からないが、途方もない魔道具なのは分かるぞ)
魅惑の耳の持ち主は慎重に周囲を伺うと、そのうちのひとつを、俺の目の前で開いて見せた。
「これは……!?」
そこには、意外なものが入っていた。




